おニャン子クラブ会員番号12番、河合その子に恋をした
“ファン” という感情とは全然違うステージの気持ち… それは、同じクラスの女の子を好きになるのと同じ感覚。1985年、大学2年生の僕は、ひとりのアイドルに恋をした。河合その子、会員番号12番はまさに地上に舞い降りた天使そのものだった。
以前のコラム
『1980年12月31日、僕は一瞬で「石野真子」に恋をした』で書かせてもらったけど、僕の初恋の相手は石野真子だ。小泉今日子や菊池桃子も大好きだったけど、これはファンという感情。河合その子への気持ちは石野真子への気持ちと同じで、まさに恋。久しぶりの感情でちょっと自分でも戸惑ったことを覚えている。
ゴルゴ13と同じで、自分のことを第三者目線で見ることができる僕は、「おいおい大学生だろ、二十歳だろ、大丈夫か、まるで中学生じゃねえか」と、自分で自分を戒めたりしたんだけど徒労に終わり、開き直ってこの人生2度目で最後の片思いを思う存分楽しむことにしたんだ(あくまでアイドルに対するに話です)。
夕やけニャンニャン「ザ・スカウト アイドルを探せ!」第1回目の合格者
とんねるずのファンで、オールナイトフジも好きだった流れで、『夕やけニャンニャン』を始めから見ていた僕は、新田恵利(会員番号4番)の笑顔の虜になって「おニャン子クラブ」のファンになる。番組開始時のメンバーは11人。
河合その子は番組内の「ザ・スカウト アイドルを探せ!」というコーナーの第1回目の合格者。だから会員番号12番となる。「なんて可愛いいんだろう、こんなかわいい娘がいるのか」と一瞬で恋に落ちた僕は、早々に新田恵利に別れを告げ、河合その子への片思い生活を開始する。
苦いからコーヒーが飲めないと聞けば、ブラックでコーヒーを飲むのはやめたし、朝起きたらまず最初に冷蔵庫を開けてオレンジジュースを飲むと聞けば、真似して朝起きたらオレンジジュースを飲むようにしたり、今思うとなんて馬鹿なんだろう…。
もちろん、彼女が出ている雑誌は買い漁り、写真集だって保存用と鑑賞用の2冊買い、アルバムが出れば自分で買うのはもちろん、特典のポスターがもうひとつ欲しくて貸レコード屋にもらいに行ったりした。番組だって毎日観なくちゃいけないので、スケジュールのやり繰りが大変だった。当時の僕はまだビデオデッキを持っていなかったので。
「青いスタスィオン」でアイドルを卒業、アーティストにステップアップ
おニャン子の中で最初にソロデビューしたのは河合その子だ。デビュー曲は「涙の茉莉花LOVE」、2曲目が「落葉のクレッシェンド」。この2曲は、まだおニャン子の中の一人って感じの可愛い路線の曲。彼女の可愛い声質と相まって、これぞアイドルって仕上がりで、今改めてYouTubeで動画を観ると、こっちが恥ずかしくなってしまう。
3曲目が名曲「青いスタスィオン」だ。
この曲はおニャン子からの卒業が決定した後の曲で、独り立ちして歌手活動を開始する彼女の方向性はこうだ、と言っているかのように大人びた曲調に代わっている。実は、河合その子本人はアイドルとして扱われるのを嫌がっていたので、大人っぽく変わったこの曲を待ち望んでいたはずだ、と僕は思う。曲の素晴らしさに負けないように、一生懸命歌っている彼女の姿がとても愛おしかったなぁ。
「青いスタスィオン」で河合その子はアイドルを卒業してアーティストにステップアップします。この曲以降の彼女には素晴らしい曲が沢山あり、
『河合その子「再会のラビリンス」は「青いスタスィオン」の続編?』、そして
『河合その子の最高傑作「悲しい夜を止めて」は3部作の完結編?』でも紹介していますので併せてご覧ください。
※2017年2月11日に掲載された記事をアップデート
2021.03.21