壁にぶち当たったトップスター松田聖子
俺たちの根尾昂が苦しんでいる。振っても振ってもバットは空を切るばかり。打率は1割台と低迷し、はっきり言って一軍にいるのが不思議な成績である。一方で他球団では同期の若手達が次々に頭角を表しており、かつての高校野球のスーパースターはトップ集団から大きく離されてしまったと言わざるを得ない。
日本中を熱狂させた全国制覇も今は昔。もう3年前の夏に見せてくれたえげつないほどの輝きは、戻ってこないのだろうか? と、深刻なスランプに苦しむ根尾を案じるあまり、この掲載がRe:minderであることを危うく忘れるところだった。
気を取り直して音楽の話をしよう。スランプといえばちょうど40年前。同じように壁にぶち当たった一人の女性がいた。時のトップスターだったその人の名は、松田聖子という。
類稀なる歌唱力、超一流のアイドルであり超一流の歌手
1980年にデビューするなり瞬く間にアイドルシーンを駆け上がった聖子はどうしても「ぶりっこ」とか「聖子ちゃんカット」というキャラ本位のイメージで語られがちだが、念のため確認しておくと松田聖子は超一流のアイドルであると同時に、超一流の歌手でもある。
それはデビュー当初から一貫しており、とりわけ「青い珊瑚礁」「チェリーブラッサム」といった声量を要する楽曲で際立つ、伸びのあるハイトーンボイスにかけては抜きん出た魅力を持っていた。群雄割拠のアイドル界においてたちまちスターダムに駆け上がったのも、間違いなくこの類稀なる歌唱力あってこそだろう。
3枚目のシングル「風は秋色 / Eighteen」から通算8年、24曲連続でオリコン週間1位を獲得するなど80年代のミューズと呼ぶに相応しい大活躍をみせた聖子だが、歌手として最大の危機を迎えたのはデビュー2年目の秋、7枚目のシングル「風立ちぬ」をリリースした頃のことだった。
歌手の生命線 “喉” を壊した松田聖子、歌唱力を要した「風立ちぬ」
投手にとって肘がそうであるように、歌手の生命線はなんといっても “喉” だ。声が出なくなってしまったら元も子もない。
その大事な商売道具を、聖子は壊してしまった。よりによって大瀧詠一が作曲した新曲「風立ちぬ」は、収録前に聖子が「歌えるかしら」と心配していたほど難解で、歌唱力を要する曲だった。
音楽番組で披露しても、高音域は苦しく、かすれてしまう。『夜のヒットスタジオ』出演時には井上順と芳村真理の名コンビが「過労で疲れ切っちゃってる感じね、もう忙しくて」「ご両親のそばにいられない事で余計イライラしてらっしゃると思う」と珍しく茶化すことなく本気で体調を気遣っているあたり、表で見ている以上に裏では相当にグロッキー状態だったのだろう。
それでも当時のアイドルに “休養” の2文字はない。賞レース華やかなりし時代、年末に向けて多忙はさらに極まり、テレビで歌う聖子は声だけではなく表情にまで疲労が滲み出るようになっていた。
大晦日のレコ大ではこの年から新設された「ゴールデン・アイドル賞」を受賞。その翌朝、つまり元日の朝にはレコ大の受賞者が集って “寿” のセットの下で受賞曲を披露するという、正月らしいおめでたい生番組で「風立ちぬ」を歌った際に、涙ぐんで歌えなくなるハプニングも起きた。
前夜のレコ大本番では笑顔を振りまいており、感極まるような場面でもない。思うように声が出ない悔しさなのか、ツラかった年末のことを思い出したのか。真相は分からないままだが、聖子にとって「風立ちぬ」が長いキャリアの中でも最もしんどかった時期の一曲であることは間違いないだろう。
すみれ・ひまわり・フリージア… 彩り不足を解決した松本隆の作詞術
堀辰雄の同名小説を題材に書かれた本曲は、名プロデューサー若松宗雄曰く「本当はもっとさりげない曲が希望だったからねぇ。でも大滝さん、言うこと聞かないから(笑)」と意図した出来とは少し違っていたようだが、同時に若松は「アイドルとしての聖子の娯楽性に、松本さんの文学的な才能と大滝さんの音楽性が加わったら最強でしたから」と後のインタビューで語っている。
つい大滝のナイアガラサウンドに目が、いや耳が行きがちだが、ここで注目したいのは松本隆の “文学的な才能” 、すなわち作詞術の見事さだ。詞の中にも登場するように、本曲の舞台は「高原」である。それまで聖子ソングの定番だった “海” “渚” だと、20歳を目前にした半分大人の心情を表すにはいささか陽気すぎる。
この歌の主人公は、別れた恋人に涙ぐみながら手紙をしたためているのだ。ちょうど同じ時期にヒットした漫画『めぞん一刻』の五代くんもそうしたように、若者の逃避行には高原がよく似合う。
一方で若者向けの流行ソングとしては、“風” “草原” といったフレーズはやや質素に感じるのも確かだ。松山千春ならいざ知らず、アイドルの歌としては明らかに彩りが足りていない。
ところが松本氏は、この “彩り不足” をたった3ワードで解決してみせた。“すみれ” “ひまわり” “フリージア” である。淡白な高原の風景が、花を添えるだけでパッと彩り豊かになった。それだけではない。花の名を添えるだけで涙まじりの別れ歌は悲壮感から解放され、大瀧詠一のソロワークとも違う、紛うことなきアイドルソングへと変貌させたのだ。
歌詞の風景に応じて適した配色を選べる作詞家、松本隆
松本氏は作詞を通して絵を描く才能に長けている。頭の中に色とりどりの絵の具があって、歌詞の風景に応じて適した配色を選ぶことができる作詞家だ。
代表作である「ルビーの指環」(寺尾聰)はラストで登場する「ベージュのコート」がいい味を出しているし、特に聖子には「白いパラソル」「ピンクのモーツァルト」など、色に関連した曲をたくさん提供している。極め付きは「硝子のプリズム」の「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」だろうか。「風立ちぬ」中盤に出てくる「赤いバンダナ」も、大草原の中でやけに印象に残る色彩だ。
苦しみと共に1982年を迎えた聖子は、次作「赤いスイートピー」でトレードマークの聖子ちゃんカットをばっさり切って耳が見えるショートヘアに変身。そして二度と元には戻らなかった伸びのあるハイトーンボイスにもさよならを告げ、かすれ声にやや甘さの混ざった「キャンディボイス」を引っ提げて新しいフェーズへと突入した。
まるで「風立ちぬ」の主人公が「さよなら、さよなら、さよなら」と恋人に別れの手紙をしたためたように、聖子はこの曲をもって過去と決別。その後の活躍は言うまでもない。
参考資料・引用:
大滝詠一の80年代伝説<前編> 唯一無二のナイアガラ・サウンドで革命をもたらした 『A LONG VACATION』と松田聖子の『風立ちぬ』
特集 松本隆 × 松田聖子
2021.07.22