10月5日
本物のユースカルチャーがここに。80年代「新宿・渋谷」のディスコシーン
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photo:iTunes  

日本のクラブカルチャーについて、70年代のヒップな文化人に愛されたディスコ、ビブロス、ムゲンや90年代、バブル景気の熱を体現したジュリアナ東京、芝浦ゴールドが語られることがあっても、80年代の新宿、渋谷のディスコシーンが語られることはほとんどなかったと思う。

しかし、ここにこそ、ホンモノのユースカルチャーが存在したと断言しよう。

新宿のディスコといえば、82年、ワンプラスワンが舞台となり、未解決事件として時効を迎えた「新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件」や、この事件にインスパイアされて作られたといわれる尾崎豊のダンスホールなどからも、暴走族や非行少年といった印象の殺伐とした場所を想像しがちだが、実際に通っていた客層は、僕を含め、なんとか毎日学校に通い、放課後はファストフードなどでバイトをしている普通の高校生がほとんどだったように思う。

18歳未満入場不可と建前上はあっても、逆に18歳以上の客はほとんどいなかった。この頃は高校生でも、居酒屋なんかにも普通に入店できた。そんなおおらかで牧歌的な時代だったのだ。80年代は。

当時のディスコの入場料は、男性で、会員証となる店のカードやキーホルダーを提示すれば1500~2000円、女性は1000円。女のコは、街でタダ券なんかを配っていたから、それを使って入っているコも多かったと思う。

この金額でフリーフード、フリードリンクというのも、1日5食6食は当たりまえの高校生にとってはなんとも嬉しかった。メニューもピラフ、ピザ、唐揚げなどのガッツリ系が並び、店によっては、冬におでんが出されていたと記憶している。

なにはともあれ、放課後おなかを満たして、体を動かし、チークタイムには女のコをナンパすることでコミュ力を学ぶ。まだ携帯ばかりか、ポケベルも普及する前だったから、DJボックスの前に常備してあるリクエストカードに自宅の電話番号を書いてもらう。

そして、中間、期末の定期テスト前になるとフロアはガラガラになっていた。まさに高校生にはうってつけの健全で格好の社交場だったのだ。

僕がよく通っていたのは、新宿東亜会館のGBラビッツ、BIBA、サーフボードのかたちをしたキーホルダーが会員証代わりだった渋谷公園通りのラ・スカラ。

84年ぐらいか。当時のディスコはハイエナジー主流で、TVやラジオでは決して流れない、ここだけのヒットナンバーがあったことが衝撃だった。いわゆる今で言うところのクラブヒット。有名どころで言えば、ライムの「エンジェル・アイズ」やホット・ゴシップの「ブレイク・ミー(Break Me into Little Pieces)」なんかには振付もあって、さながら今の高校生たちが体育の授業でやっている創作ダンスみたいなものだ。

こんなハイエナナンバーに紛れて、当時のヒット曲もプレイされた。人気が高かったものはヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」やケニー・ロギンスの「フットルース」など。フットルースは、どのディスコでもサントラ盤まるまるヘビロテだったような気がする。

そして、数少ない邦楽のナンバーがフロアを熱狂の渦に巻き込む。TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」やアン・ルイスの「六本木心中」だ。


 この街は広すぎる
 BIG CITY IS LONELY PLACE
 独りぼっちじゃ
 街のあかりが
 人の気を狂わせる


今改めて考えてみると、僕を含め当時ディスコに通っていた高校生は、学校でも、放課後に友人と集まる喫茶店でもない、「ここじゃない何処か」に行きたかったのだと思う。

そして秒速で違う世界に飛ばしてくれるのが、みんなの知らないヒットナンバーであり、クラスのほとんどが知らないミラーボールの輝きだった。そうやって、背伸びをしたかった。背伸びをして自分という存在を確立したかったのだと思う。

大人と子どもの境界線が今以上に明確な80年代。早く大人の世界に触れたかった。そういう深層心理を言葉でなく確かめ、共有するために通っていたように思う。

そして、サウンド面から考えてみても「ジャンプ」もそうだが、ハードロック的なノリが当時のディスコには必須だったのか、「六本木心中」のイントロのギターが鳴り響くとフロアの弾け方は半端じゃなかった。この曲が主題歌だったとんねるずの深夜ドラマ『トライアングル・ブルー』が放映されていた時期だったというのもあったのかもしれない。

つまり、ディスコとお茶の間を結ぶヒットナンバーが、敷居を低くし、はじめての高校生でも思う存分楽しめる空間になっていた。

このようなディスコ文化が陰りを見せたのは、確か87年ぐらいだったと思う。西麻布のトゥールズ・バーなどのクラブのハシリができて、Run-DMCの「ウォーク・ディス・ウェイ」の大ヒットによりHIPHOPが台頭してきたころだ。僕より上の世代の先輩たちが、より細分化された音楽を好むようになり、クラブごとに音楽の特色が分かれてきた。

90年代にはいると、フリーフード、フリードリンクのディスコはほとんど見かけなくなってしまう。僕も、高校を卒業する頃になると、よりロックに傾倒し、クラブ通いを始めるようになるのだが、あのキラキラとしたミラーボールに照らされた怪しげなバイオレッド・フィズの光りと、フロアに充満するコパトーンの甘いココナツの香りは一生忘れることがないだろう。

まさにTEENAGE HEAVEN。十代の楽園がそこにあった。

2017.06.26
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  YouTube / 斉藤猛


  YouTube / anuelaKa
 

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1967年生まれ
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渋谷ラ・スカラとか新宿ゼノンのキーホルダー。懐かしすぎます。
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1968年生まれ
本田 隆
ゼノンも確かキーホルダーでしたね。当時高校生だった自分には宝物でした。
2017/06/27 00:26
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本田隆
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