1984年はチェッカーズの年!
1984年の日本の音楽シーンを振り返るなら、まさしく “チェッカーズの年” だったと呼んでも過言ではない。
1983年9月21日に「ギザギザハートの子守唄」でデビューしたチェッカーズは、84年1月発売の「涙のリクエスト」で大ブレイクを果たした。7月発売のファーストアルバム『絶対チェッカーズ!!』も首位を獲得、11月21日には決定打とも言える第5弾「ジュリアに傷心」をリリースし、この曲は翌85年の年間チャート1位を獲得するなど彼らの最大セールスを記録。まさに右肩上がりで人気が沸騰していた1984年、その快進撃の1年を締めくくる形でリリースされたのが、12月5日にリリースされたセカンドアルバム『もっと!チェッカーズ』だった。
チェッカーズはこの時点で、当代一の人気アイドルグループだった。ダブダブのチェック柄の衣装、ヴォーカル藤井郁弥(現:藤井フミヤ)の前髪を長く垂らした個性的なヘアスタイルは、男性ファッションの流行に多大な影響を与え、彼らの存在、その一挙手一投足はまさしく社会現象と化していた。ただ、実のところ彼らの出自はフィフティーズスタイルのオールドロックンロールやドゥーワップを得意とするロックンロールバンドである。つまり彼らは、アイドルグループであり、ロックバンドでもあった。
ロックミュージシャンのアイドル化現象
ロックのミュージシャンがアイドル化する現象は、70年代後半のChar、原田真二、世良公則&ツイストの「ロック御三家」のブレイクがそのきっかけと思われる。彼らはTV露出を盛んに行い、芸能誌やアイドル誌のグラビアを飾るようになり、そのルックスの良さもあってアイドル的人気を獲得するようになったのだ。この御三家をプッシュしていたのがフジサンケイグループで、『夜のヒットスタジオ』などフジテレビ系の音楽番組に頻繁に出演し、知名度と人気が加速した3組中2組はいずれも同グループ会社のキャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)の所属で、原田の所属したフォーライフも流通をキャニオンが受け持っていた。
この現象がさらに拡大化したのが、同じくキャニオン所属のチェッカーズ人気であった。さらには70年代後半のロックンロール・リバイバル、80年のシャネルズの登場、ネオロカビリーブームにおけるストレイ・キャッツの人気などを経て、フィフティーズ、シックスティーズのロックンロールが幾度目かの再評価の機運にあったことチェッカーズ人気の大きな要因だろう。
アイドル性の高さと、オールディーズ好きなロックンロール・バンドという個性を両立させた世界観
デビュー以来、シングル曲は一貫して芹澤廣明が作曲、作詞はデビュー曲の康珍化以外は売野雅勇が作詞している。『もっと!チェッカーズ』の収録曲を見ると、「哀しくてジェラシー」「星屑のステージ」のシングルA面が売野&芹澤作品であるほか、ツイストの「24時間のキッス」、ドゥーワップスタイルでコーラスワークを効かせる「Jukeboxセンチメンタル」、アコースティックの「ティーンネイジ・ドリーマー」がこのコンビ。
冒頭を飾るロックンロールチューン「今夜はC(ツェー)までRock'n'Roll」が郁弥の作詞に芹澤の作曲という組み合わせ。これらの楽曲は、チェッカーズのアイドル性の高さと、オールディーズ好きなロックンロールバンドという個性を両立させた世界観で書かれていることがよくわかる。
一方で、メンバーの作曲する作品も、ファースト『絶対チェッカーズ!!』同様、ほぼ半数に上っており、リーダー武内享による「スノー・シンフォニー」などは、ムーングロウズやチャド&ジェレミーあたりを意識したであろう完璧な3連ロッカバラードで、同じスタイルである芹澤作曲の「星屑のステージ」と聴き比べると、狙いや方向性の違いが感じ取れて面白い。作詞はどちらも売野だが、2曲の世界観をちゃんと使い分けている点がプロの仕事。武内はもう1曲、自身のギターが炸裂する「ジョニーくんの愛」で、初期ビートルズやゾンビーズ、ヤードバーズといったバンドを彷彿とさせる尖ったブリティッシュ系の音で攻めるなど、リーダーの音楽性がこのバンドに与えていた影響を垣間見れるのだ。
ロックンロールスピリットが投影されたメンバー作曲作品
ベースの大土井裕二の作曲による「恋のGO GO DANCE!!」は擬似ライブ的な演奏で、ダンパのムードを再現。アマチュア期の久留米時代に、ダンスバンドとして絶大な人気を誇ったという彼らの出自を思わせるナンバーだ。もう1曲、サックスの藤井尚之作曲の「Lonely Soldier」はギターをフィーチャーしたシンプルなバックによるミディアムのナンバー。尚之は素朴な歌い方ながら、サビのファルセットで意外に甘いヴォーカルを聴かせる。
発表当時からファンの間では語られていたことだが、メンバーの作曲作品の方に、よりロックンロールスピリットが投影されており、これは「スノー・シンフォニー」以外、メンバーの作曲作品には郁弥が作詞を提供していたことも大きいのだろう。売野&芹澤コンビによる、キャッチーなナンバーは彼らのアイドル性を強調し、同時に50&60年代の不良とロックンロールカルチャーのイメージを華麗に演出したものであった。一方で、本人たちがダイレクトに影響を受けた音楽は、メンバーの作曲によるアルバム収録曲、という形でファンに届けていったのである。
大衆性という点では芹澤作品に譲るが、サウンドや曲想のバリエーションの豊かさを支えていたのは、メンバーの楽曲だった。この2タイプの作品が自然に共存しているところが、チェッカーズというバンドの面白いところで、『もっと!チェッカーズ』はそれがより顕著に現れた作品なのである。何より2大ヒットシングルを収録していながら、この2曲が浮くことなく、アルバムコンセプトの中に収まっているのは素晴らしいディレクションと言えるだろう。
アーティストやバンドのアルバムは、ファーストは自己紹介的であり、セカンドになると点が線に変わり、より音楽性のバリエーションを拡げていく傾向にある。その点でみると『もっと!チェッカーズ』は、彼らの音楽的方向性をより深化させ追求していく過程で、必須の内容であった。
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2023.09.08