6月5日

ふたつの「Song For U.S.A.」チェッカーズとラフィンノーズの挑戦

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チェッカーズを語る上で誰もが思い浮かべることは、アマチュア時代のトレードマークだったリーゼントの髪を下ろしアイドル然とした前期と、メンバー自らがソングライティングを手掛け音楽性を深めていった後期に分けられるということだろう。

デビューから数え作詞・売野雅勇、作曲・芹澤廣明のゴールデンコンビが手掛けたシングルは、全11曲中「Song for U.S.A.」まで9曲(「ギザギザハートの子守歌」「神様ヘルプ!」のみ康珍化作詞)になるのだが、ここにはアイドル然としたルックスでは隠し切ることが出来ない、チェッカーズのちょっぴり危険な、甘く切ない不良性が潜んでいる。

この不良性こそが、彼らのバックボーンである50年代、60年代初頭のアメリカ産ロックンロールやドゥーワップであり、ジャパニーズグラフィティとも称される、キャロル、クールスなどから受け継いだ甘く切ないメロディだ。これを十二分に理解した売野、芹沢コンビが全ての曲を大ヒットさせた。

そんな彼らの持ち味は、初期のシングルでメンバー自身が手掛けたB面の楽曲でも堪能できる。特にクロベエがヴォーカルをとる「青い目のHigh School Queen」などは、クールスインスパイアの名曲だと思う。そして、彼ら本来の持ち味が全面にブロウアップされたのが、そのA面となる7枚目のシングル「俺たちのロカビリーナイト」だ。

しかし、ここから “売野・芹沢コンビ” として最後の楽曲となった「Song for U.S.A.」までは、チェッカーズがアイドルとアーティストの狭間で苦悩した時期であると言ってもいいだろう。

しかし、その苦悩とは裏腹に彼らの出すレコードは売れ続け、人気は一向に陰りを見せずスター街道を驀進していく。藤井郁弥は「Song for U.S.A.」の中でこう歌う。


 摩天楼霧に煙って
 壊れた夢に泣いている君がいるよ

 This is the Song for U.S.A.
 最後のアメリカの夢を
 俺たちが同じ時代を駆けた証に…
 Sing for all


歌詞は、彼らの魂のふるさとであった古き良きアメリカを思わせる。これは、これまでチェッカーズが楽曲で描いた世界観であっただろうし、ファンが彼らに望む究極の思いだっただろう。

ここで興味深いのは、メジャーシーンに浮上したパンクバンド、ラフィンノーズがアルバム『LAUGHIN’ ROLL』(1986年)の1曲目で、チェッカーズと同名異曲の「Song For U.S.A(20世紀に気をつけて)」を発表したことだ。当時リーダーのチャーミーが、この曲はチェッカーズに対するアンサーソングだと発言していた。

インディーズとして自らのレーベルを設立し、ばら撒きソノシートなど数々の戦略からメジャーシーンに浮上した叩き上げのラフィンノーズは、チェッカーズとは対極に位置するバンドである。もちろんその立ち位置にありながら、チェッカーズの楽曲に反応を示したということは、これはつまり、ラフィンがメジャーの音楽シーンを主戦場にするという決意表明だったに違いない。

ラフィンノーズの「Song For U.S.A」は――


 後始末なら ボケた日本人が
 勝手にやってくれるさ
 お前は そうさ 唯の “Dog of U・S・A”
 20世紀に 火をつけて
 THIS IS SONG FOR U・S・A


と時代の危機感を煽り、警鐘を促している。つまり、「チェッカーズが描いた、鮮やかな色彩に彩られたオールディーズテイストの古き良きアメリカなど、もうどこにもないんだよ」といったメッセージだ。これはまさにパンクはアティテュードだという自らのスタイルを貫いている。

メジャーに殴り込みをかけ、音楽業界に地殻変動を起こしたラフィンノーズが、アイドルバンドとしてトップに君臨し続けていたチェッカーズに戦いを挑む。これこそが現在のようにシーンが細分化される以前の音楽業界の構図だったりした。

しかし、この2か月前、チェッカーズは新たな道を歩み始めていた。売野、芹沢コンビと袂を分かち、86年10月15日藤井郁弥作詞、藤井尚之作曲の「NANA」をドロップ。久留米出身の彼ららしく、めんたいロックと称されるビートバンドと同じく、黒っぽいブリティッシュビートを下敷きに硬派な世界観を醸し出し、アイドルバンドからの脱却に成功する――

80年代半ば、トップに君臨し続けたチェッカーズも、メジャーシーンに戦いを挑んだラフィンノーズもそれぞれの苦悩の中、持ち合わせたカードに満足することなく、自らの手で、自らの道を切り拓いていった。

この後、チェッカーズは、ブルー・アイド・ソウルに傾倒した数々の名曲を残し、音楽性の豊かさを世に知らしめた。そしてラフィンノーズは、現在も未だにバンド継続中だ。



歌詞引用:
Song for U.S.A. / チェッカーズ
Song for U.S.A(20世紀に気をつけて) / ラフィンノーズ


2018.06.04
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