7月の終わりに実家から戻ったら宅急便が届いていた。ユニバーサルミュージックの封筒から出てきたのはCDとDVDの2枚組『HILLBILLY BOPS 30th ANNIVERSARY COMPLETE BEST』。あっという間に時間が巻き戻る。
ヒルビリーバップスは永瀬正敏のバックバンドを探す過程で見出されて、86年4月にデビュー。もとはゴリゴリのロカビリー・バンドだったが、ボーカル宮城宗典の声質とルックスから初期チェッカーズやC-CーBのようなアイドルバンド的な売り出し方をされた。プロデューサーはかつてRCサクセションを手掛けていた森川欣信氏(現オフィスオーガスタ社長)。その縁で忌野清志郎からも可愛がられ、2ndシングル「バカンス」は清志郎の詞曲だ。
私が彼らを好きになったのは少し遅くて、87年に入ってからだと思う。原稿を書かせてもらっていた雑誌に記事をねじこみ続け、87年10月からテレビ朝日系で放送されていた『ヒルビリー・ザ・キッド』も必ず見ていた。とにかく宮城くんの声が好きだった。6thシングル「真夜中をつっぱしれ」の一節 ”もうダメさ 一人じゃ不安定なのさ” の部分を聴くたびに今もきゅううっとなるし、アルバム『TEAR IT UP』に収録されている仲井戸麗市のカバー「ティーンエイジャー」は、本家よりもいまだ胸の奥に巣食う10代の自分に刺さる。
88年3月28日の新宿パワーステーションでのライブはよく覚えている。コントロール不能の熱気が渦巻き、「ついに売れる」という確信を誰もが感じていた。その翌朝、宮城くんは自宅近くの団地の12階から飛び降りて亡くなった。享年23。
原因はまったくわからなかった。その日は全国ツアー(チケットはすべてSold Outしていた)への出発日で、集合場所に現れない宮城くんをみんなで待っていた。少し時間を置いてメンバーやマネージャーに話を聞くことができたが、本当に誰も心当たりがなかった。お通夜が終わったあと夜遅くにお寺に来て、頭をずっとなでていた清志郎さん。5月5日に日比谷野音で行われた追悼ライブで「ティーンエイジャー」を歌い、宮城くんの写真を指差しながら絞り出すように ”何を卒業したんだ!?” と叫んだチャボさん。私も亡くなる10日ほど前のインタビュー・テープをいまだに捨てられない。
届いたDVDには在りし日の宮城くんがいた。87年11月20日後楽園ホールでの懐かしいライブ映像。固定カメラで撮った資料用だが、そのぶんリアルに全体が映っている。ラスト「バカンス」のエンディングで ”どこへ行ったの” とリフレインする宮城くんに、喉の奥が熱くなる。それはこっちが訊きたいよ。51歳のきみの歌を聴きたかったよ。
追記:
ヒルビリーバップスのリーダーでベーシストだった川上剛が解散後に組んだバンド、ザ・ヴィンセンツのボーカル荒井謙がこの8月1日に病のために急逝したそうです。あのとがった不穏な目を忘れません。ご冥福をお祈りします。
2016.08.18
YouTube / narichanbolt
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