7月5日
ツッパリの終焉、リーゼントを捨てお茶の間を一気に席捲したチェッカーズ
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チェッカーズのシングル「俺たちのロカビリーナイト」がリリースされた日
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photo:ラジオ歌謡選抜公式blog  

83年にデビューしたチェッカーズのサウンドは、大雑把な枠で考えると70年代から続く、キャロル、クールス、横浜銀蝿の流れであるリーゼントの似合う軽妙なロックンロールがウリであった。

もちろん、厳密にはキャロルが初期ビートルズの影響下にあり、切なくもメロディアス、ブリティッシュな匂いを振りまいていたのに対し、クールスはアメリカの音楽の影響が大きい。

70年代のロックンロールリヴァイバルの立役者となったシャナナや、ソングライターであるジェームス藤木氏、一時期加入していた横山剣氏のセンスに寄るところの大きい黒人のR&Bが下敷きになっている。

また、横浜銀蠅は、ダウンタウンブギウギバンドのサウンドを踏襲した歌謡曲フレーバーの強いものであった。

同じリーゼントとしてくくるのはこのように多少難しい部分もある。しかし、リーゼントでロックンロールという枠で考えると、チェッカーズも紛れもなく彼らの後継者だったように思う。

しかし、チェッカーズは、アマチュア時代までのリーゼントスタイルをあっさりと捨て、派手なチェックの衣装と、ポストパンク経由、ニューロマンティックの印象も感じられる前髪を垂らした独特のヘアスタイルで、一気のお茶の間を席捲した。

つまり、これが、リーゼントをイメージするようなツッパリというカルチャーの終焉であり、時代はよりキュートなものを受け入れるようになっていたのだ。

リーダーの武内享氏は、デビューの頃、インタビューなどで、「ビートルズもアイドルからそのキャリアをスタートした」という旨の内容をよく語っていたように思う。おそらく、アイドルという立ち位置から、自分たち独自の音楽性を確立させ、音楽業界に革命を起こそうという決意表明だったのかもしれない。

彼らは85年7月5日に7枚目のシングル「俺たちのロカビリーナイト」をリリース。ここから、それまでの衣装を脱ぎ捨て、自分たちのルーツであるロカビリーのスピリチュアルな部分に原点回帰した。

そして87年5月2日に発売された初のセルフプロデュースアルバム『GO』(ヒットナンバー「NANA」を収録)では、当時親交の深かったザ・モッズの森山達也氏をゲストに迎え、60年代のブリティシュビートを基盤にした硬派なロックンロールアルバムを作り上げた。

当時の彼らの動きを思い出してみると、ボーカルの藤井郁弥氏は、森山氏とよく行動を共にし、西麻布界隈のクラブに姿を見せていた。担当していたオールナイトニッポンでは、いわゆるタイアップ的なヒットナンバーを取り上げることもなく、UKで盛り上がりを見せていたサイコビリーばかりをかけていたように思う。

サックスの藤井尚之氏がザ・モッズのシークレットライブにゲスト出演したのもそんな時期。確か、86年の年末だった思う。場所はロンドンナイトでお馴染みの新宿ツバキハウス。オールカバーのシークレットライブだった。

「ルート66」や「BE MY BABY」「ダディー・ローリング・ストーン」などにブリティシュビート発パンク経由の良質なエッセンスをちりばめた自然体の音楽の深みと不良の匂いがする素晴らしいステージを見せてくれた。

ここにサックスを構える尚之氏も、デビュー当時の面影とは全く違ったミュージシャン然とし、ザ・モッズの面々と同じステージに立っても全く違和感がなかったように記憶している。

思えば、この時期は『GO』のレコーディングに取りかかっていたのではないだろうか。そんなメンバーの日常が色濃く反映されたアルバムであったとも言える。

アナーキーの仲野茂氏が、自らの音楽活動を振り返り、「俺たちが音楽的になればなるほど、レコードが売れなくなる」といったコメントを発していたインタビューが自分の中で鮮明に残っているのだが、そのようなミュージシャンはアナーキーだけではない。

トゥマッチモンキービジネスな音楽業界でどれだけ多くの優れた才能を持つミュージシャンが苦境に立たされていたのかわからない。

そんな中チェッカーズは、これ以降もメンバーそれぞれの手でソングライティングを手掛けるようになり、音楽的深化を続けながらも、高い人気を保っていた。

後期はブルーアイドソウルの印象が強い洗練された楽曲を多く発表。亨氏の決意表明を実践し、いまだ多くの人に愛され、80年代を象徴するバンドとして語り継がれている。

2017.04.29
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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