7月21日

恋焦がれたアメリカン50's「絶対チェッカーズ!!」バンドの本質が詰まった1st アルバム

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“未完成の完成版” 「絶対チェッカーズ!!」


ザ・チェッカーズ(以下チェッカーズ)の魅力をひとつだけ挙げるとするのならば、あの7人でしか奏でることのできない独自性の高い音を発信し続けたということだ。それは、初期の売野(雅勇)&芹沢(廣明)コンビの楽曲でヒットを飛ばし続けていた初期も例外ではないし、1枚1枚のアルバムにも顕著に表れている。

2023年はチェッカーズデビュー40周年のアニバーサリーだ。このタイミングで Re:minder は全アルバムのレビューを掲載するという。“アルバムアーティストとしてのチェッカーズ” の実像を浮き彫りにしていくという趣向だ。まずは記念すべきファーストアルバム『絶対チェッカーズ!!』の魅力を掘り下げていきたいと思う。



多くのアーティストにとって、ファーストアルバムというのは、いわば、“未完成の完成版” だ。つまり、アマチュア期に積み重ねてきた技量や音楽性の集大成がファーストアルバムだと思う。もちろん荒削りな部分もあると思うし、幅広い層をターゲットにするためには足りない部分もある。だからこそ、バンドの本質が詰まっているのもファーストアルバムだと思う。それは『絶対チェッカーズ!!』にしても例外ではない。

チェッカーズ旋風が吹き荒れる中、ベストタイミングでのリリース


このアルバムがリリースされたのは1984年の7月21日。セカンドシングル「涙のリクエスト」がロングヒットを記録し、次にリリースされた「哀しくてジェラシー」そしてデビューシングルの「ギザギザハートの子守唄」が3曲同時にチャートインしてから間もない時期であった。全国にチェッカーズ旋風が吹き荒れる中、ベストタイミングでのリリースだったといえるだろう。



当時のチェッカーズといえば、アイドル的な人気が先行していたから、ヒット曲を連発していてもその音楽性は未知数だった。ただ、映画『アメリカン・グラフィティ』をモチーフに描かれた「涙のリクエスト」からはアメリカン50'sのオマージュが存分に感じられたから個人的にはアルバムへの期待度がかなり大きかった。



何もかもが新しかった鶴久政治の歌う「HE ME TWO(禁じられた二人)」


当時全編を聴き通して、まず注目したのは、サイドボーカルふたりがリードをとる楽曲だった。つまり高杢禎彦の歌う「MY ANGEL(I WANNA BE YOUR MAN)」と鶴久政治の歌う「HE ME TWO(禁じられた二人)」だ。

「MY ANGEL(I WANNA BE YOUR MAN)」は副題にもあるレノン=マッカートニーが書き下ろし、ローリング・ストーンズのデビュー曲になった同曲にも通じるロックンロールの衝動と楽しさが凝縮。久留米時代の彼らの日常をそのまま描いたようなストレートさが痛快だった。作曲を手がけた武内享が高杢に作詞を促して完成させたというエピソードもメンバーの結束を感じられてすごく良い。そこには、古き良き時代へのオマージュが溢れていた。

これに対して鶴久が歌う「HE ME TWO(禁じられた二人)」は何もかもが新しかった。当時台頭してきたイギリスのネオアコースティック・サウンドにも通じる清涼感の中、儚くも健気なセクシャルマイノリティのラブストーリーを鶴久はファルセットボイスで歌う。そこにはロックンロールの躍動感とは一線を画した音楽性の深みが感じられる。作曲を手がけたのも鶴久だ。このファーストアルバムには、鶴久が楽曲を手がけた「ウィークエンド アバンチュール」という名曲も収録されている。こちらはラテン・フレーバー。のちに様々な音楽を吸収し、多面的な色合いを見せる彼らの片鱗はここでもはっきりと感じ取ることができる。

高杢、鶴久の歌うこの2曲が大きなアクセントとなるのだが、もう1曲、このアルバムの独自性を物語るのに欠かせない1曲がある。それは、大土井裕二作曲の「ガチョウの物語」だ。ガチョウの鳴き声の真似から始まるこのコミカルな楽曲の意外性は、子どもにも親しまれるようにという制作サイドの意図があったかもしれないが、これこそが、彼らがカバー曲として抜粋し、練習に明け暮れたアメリカのドゥーワップにも相通じるエンタテインメント性だったと思う。

もちろん、このアルバムの根底はアメリカン50’sへのオマージュであり、これを生き方として久留米時代を過ごした彼らのアマチュア時代の軌跡と藤井郁弥(現:藤井フミヤ)のボーカリストとしての圧倒的な存在感は、「渚のdance hall」、「ひとりぼっちのナタリー」という珠玉のロッカバラードで存分に感じ取ることができる。アマチュア時代の集大成として、この2曲を軸としながら、様々な表情を楽しめることは特筆すべき点だ。

「ムーンライト・レヴュー50s'」という彼らの原点を描いた名曲


そして、このアルバムが、“チェッカーズ・ドリーム” の序章であることを見事に体現しているのが最後に収録されたアカペラ曲「ムーンライト・レヴュー50s'」だ。7人のボーカルだけを重ねてシンプルに収録されたこの曲のアンサンブルこそが、アマチュア時代のチェカーズの集大成だ。

 ターンテーブルの上で想い出が踊る
 頬を涙でぬらし聴いた夜もあったね
 みんな気のいいやつだよ素敵なSweet 50s'

―― というリリックに滲むドリーミーな世界観こそが彼らを体現していた。どんなにチェッカーズが売れても、どんなに音楽性が深化していっても、その根底にあるのはアメリカン50'sの世界に恋焦がれた久留米地代であり、「ムーンライト・レヴュー50s'」だったと思う。この根底があったからこそ、チェッカーズは7人でしか奏でられない音にこだわってきたのだと思う。“未完成の完成版” であるアルバム『絶対チェッカーズ!!』は「ムーンライト・レヴュー50s'」という彼らの原点を描いた名曲を収録させることにより青春の煌めきを永遠のものとして、ファンの心に刻み込んだのだ。

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2023.09.06
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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