1980年のデビュー当時は6人編成だった “チャクラ” ですが、83年発売の3rd アルバムではリードヴォーカルの小川美潮とギタリストでサウンドクリエイターの板倉文のデュオとなっていました。
参考:
『村上 “ポンタ” 秀一との仕事、チャクラのアルバム「南洋でヨイショ」』美潮も板倉文もまだまだこれから、大きな可能性があるミュージシャンだと信じていたので、美潮のソロではなくあくまでバンドという形にこだわったのですが、やがて “文ちゃん” がCM音楽制作や “GONTITI” のプロデュースなど少しずつ仕事の場を広げ、“Killing Time” というバンドを結成して新たなアーティスト活動も始めるにつれ、「まあチャクラもそろそろいいかな」という空気になり、83年6月29日、青山タワーホールでのコンサートで解散ということになりました。
Killing Time は文ちゃんと、チャクラでローディー兼PAエンジニアを努めていたMa*To(マット)がインドで習ってきたタブラを担当し、ドイツ銀行でサラリーマンをやっていたがピアノ、マリンバ、クラリネットの名手で、やっぱり音楽がやりたいと脱サラしてしまった清水一登の3人でスタートし、83年11月にヴァイオリンの斎藤ネコ、84年夏にはベースのメッケン(荻原基文)とパーカッションのホワチョ(帆足哲昭)が加入し、6人編成となりました。
基本的にインストゥルメンタルで、楽器編成からしてもふつうのポップスではありません。コンセプトはその名の通り “ひまつぶし”、自由な発想で好きな音楽だけをやる、商業主義とは真逆のグループでした。ですからレコードを出したいとか私に言ってくることもなく、集まって曲を作ってライブをやるということを心から楽しんでいるようでした。
だけど個性も実力もあるミュージシャンたちが集まっていますから、その音楽はやはり面白いのです。私は文ちゃんの “ポップセンスもある、ひねくれた音楽性” を評価していたのですが、商業主義と真逆と言っても、Killing Time の作品にはちゃんとポップさが練り込まれており、しっかりカッコよかった。ライブを観るたび、できればレコードの形でその音楽を残したいという気持ちが膨らんでいきました。
こういう “変わり種” なら、“くじら” がEPIC デビュー前の85年3月にマキシシングルをリリースした「SWITCH 45 R.P.M.」レーベルだってことで、
参考:
『PAなしの面白さ、くじら(Qujila)の音楽をレコードで表現するには?』85年夏にはレコーディングが始まっていました。… という他人事のような書き方なワケは、実は、Killing Time の SWITCH でのリリースという話のいきさつが、まるで私の記憶にないのです。おそらく、私は絡まず、SWITCH がメンバーに直接働きかけたのだと思うのですが…。
ところがこれがリリースに至らず、頓挫。資料に「BOB(という曲)レコーディング約100時間の後、中断」なんていう記載もあるのですが、なぜ頓挫したのかも私は知りません。
私の仕事に詳しい(^^)音楽評論家:田中雄二氏のブログには、「スイッチのレコード事業部解散の後、エピックからデビューを果たす」という記述が出てきますが、くじらのところで私が書いたように SWITCH 45 R.P.M. 自体はその後もリリースが続いているので、レーベル解散ではなく経営難による組織の立て直しなどかと思われますが、ひょっとしたら Killing Time のレコーディングでお金を使い過ぎたのかもしれません!?
それと前後して『サイケデリック物理学』なる音楽イベントがスタートしました。企画者は私にとって音楽業界で最もつきあいが長い藤井和貴くん。当時はまだ渡辺音楽出版にいて、チャクラや GONTITI のプロモーションスタッフだったのですが、いわゆる “サブカル系” 音楽の市場を少しでも広げるために、“三本の矢” 方式で戦おうという趣旨のシリーズイベントを考えたのです。
初回は85年5月15日、場所は渋谷にあったヤマハエピキュラスホール、出演は GONTITI、くじら、Killing Time の3アーティストでした。このイベントはその後、“Nav Katze”、“ウニタミニマ”、原マスミ、“コンポステラ”、溝口肇、矢口博康らを巻き込み、92年あたりまで不定期ながら継続し、2004年にまたふいに復活したりします。
そうだ、この形でアルバムを作ってみよう。この時点で Killing Time だけでアルバムを出すのは大ごとだし、かといってシングルやマキシシングルでは(アピールするのに)弱すぎる。ならばサブカル系アーティスト、それも才能ある新人たちを集め、(EPICが紹介する)“ポップミュージックの新しい潮流” として打ち出し、Killing Time もそこに乗せていくほうが見え方としていいのじゃなかろうかと思い立ちました。
ちょうど私の周りには、文ちゃん以外にも気になるミュージシャンたちがちらほらといたのです。
(またしても)つづきは次回。
2018.06.06