EPICソニーへ入社することは決定しつつも、それまで在籍した渡辺プロダクションへの “業界的気遣い” により、契約ベースのフリープロデューサーという仮の姿で、実質 EPIC の仕事を始めていた1984年夏の私。
当時 EPIC の副社長にして実質運営のボス(今で言えば COO か)、丸山茂雄さんから入社特典? として “GONTITI” の契約存続と “くじら” との新規契約を承認してもらい、さっそくくじらのレコード企画について考え始めました。
参考:
「PAなしのエコノポップ♪ 度肝を抜かれた くじら(Qujila)の生声ライブ」その頃くじらは毎月、新宿ロフト(今とは違い、小滝橋通りにありました)で『カッパ音楽祭』と題した定期ライブを展開していました。ヴォーカルとアコースティックギターの杉林恭雄、コーラスとドラムの楠均(と言ってもおもちゃのようなドラムセット)、コーラスとベースのキオトの3人が、PAを使わない肉声+生音で縦横無尽に繰り広げるパフォーマンス(唯一小さなベースアンプが例外)は、その夢幻的かつ叙情的な詞と、ロック✕ファンク✕昭和歌謡な音とともに、まさに唯一無二な非日常空間をそこに創り出していました。
毎回観客も満杯で、静かに観つつも(でないと歌が聴こえませんから ^^)、心の中の高揚は手に取るように分かる感じで、このままうまく広がってくれれば相応の成功も見込めるんじゃないかと、A&R 心をくすぐるのでした。
しかしこの面白さの何割かは肉声+生音という“点音源” の3D効果? によるもので、通常のステレオレコード(CD)ではそれを表現し切れないことが問題でした。
余談ですが、“立体音響” というもの、たまに話題になりますよね。いちばん盛り上がったのは70年代初めの “4チャンネルステレオ”。スピーカーを4つ置いて、360度全方向から音が聞こえる。ソフトもけっこう発売されました。例によって(^^)ソニーとビクターが別方式のハードを出して… でもどちらも数年で消えました。
要は、音楽に全方向なんて必要ないんですね。ハードの宣伝用の音源で、「汽車が後ろから前に通り過ぎる」なんてのがありましたが、それは確かに迫力あるんですが、音楽にはそういう動きが、まず、ない。「まるでコンサート会場にいるよう」という “売り文句” もありましたが、後ろから聞こえるのは拍手だけ(^^)。
“立体映像” も同じようなものですね。こちらはつい5年ほど前にも、“3Dテレビ” がついに本格普及なんて言われましたが、やはり定着しません。映画はまだやっていますけど。
私個人は音響も映像も3Dは必要ないし、普及しないと思っています。
ただこの時だけは、くじらのレコード企画では、4チャンネルステレオがあればなー、とつくづく感じたものです。
いろいろ考えているうちに、「SWITCH 45 R.P.M.」というレーベルが発足し、そこでくじらを出さないかという話が来ました。「SWITCH」という雑誌が今でもありますが、その発刊とともにスタートしたレーベルで、“とんがった” 音楽を、45回転30cmのレコード(いわゆる12インチシングルですな)の形でリリースしていくという趣旨でした。
その第1弾に選ばれたのが “カトゥラトゥラーナ”というバンドと “高橋鮎生”。そして、くじらでした(1985年3月21日リリース)。
まず採算度外視だろうと思われる企画ですが、かなり継続しましたし(1998年、三宅純『永遠乃掌』がラスト?)、フジパシフィック音楽出版も参加していて、まだ音楽業界のメインストリームにも、音楽の未来を支援しようという気持ちがちゃんとあったことがわかります。いい時代でした。
私たちにとっては、EPIC でのレコード企画を考える上で絶好の試行の場にもなるわけで、渡りに船の話でした。1984年11月から12月にかけて、3曲をレコーディングしましたが、ともかくオーソドックスにやってみました。つまり、スタジオで演奏したトラックにヴォーカルを乗せコーラスを重ねたものを、バランスをとってミックスダウンする。そして、結果、私が感じたのは「普通だな」ということでした。
今改めて聴くと、「普通にいい感じ」で、アレンジもなかなか面白く、この方向でよかったじゃないかと思います。でもその時の私は、「これじゃライブの面白さに到底及ばない」と感じ、考え込んでしまったのでした…。
2018.05.09