10月3日

人生いろいろ? ポリス「ゼニヤッタ・モンダッタ」は光り輝くキャリアの中の汚点なのか

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ザ・ポリスのサードアルバム「ゼニヤッタ・モンダッタ」がリリースされた日
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The Police / Zenyatta Mondatta


ザ・ポリス節目のサードアルバム


アーティストにとって3つ目の作品って、3rdアルバムとかってことですが、何かしら節目な感じがします。たとえば、“The Doobie Brothers”や“10cc”は3rdアルバム(順に『The Captain and Me』(1973)、『The Original Soundtrack』(1975))で売上が飛躍して、ブレイクしました。“Eagles”は3rdアルバム『On the Border』(1974)でカントリーロックからロックへの移行を明らかにし、“Steely Dan”は3rdアルバム『Pretzel Logic』(1974)のあと、ライブから撤退し、バンド形態をやめました。

“The Police”の場合、全部で5枚しかアルバムをつくっていませんが、やはり3rd『Zenyatta Mondatta』と4th『Ghost in the Machine』の間には大きなギャップがあります。より具体的に言うと、『Zenyatta Mondatta』はそれまでと同じ流れで、

①ギター、ベース、ドラマというロック最小単位のアンサンブルにこだわり、キーボードなど他の楽器を極力使わない音づくり
②エンジニアはナイジェル・グレイ(Nigel Gray)
③独特の造語によるタイトル

といった点が共通しています。

それが、『Ghost in the Machine』では真逆。シンセを多用し、エンジニアをヒュー・パジャム(Hugh Padgham)に代え、英語のタイトルになりました。

『Zenyatta Mondatta』は、ランキング的には過去2作を上回っているのですが、実はそれは時の勢い、ハッキリ言って内容は、ポリスの中ではいちばんの駄作でした。本人たちも自覚していたようで、一度解散したあとの1986年、「Don't Stand So Close to Me(高校教師)」と「De Do Do Do, De Da Da Da(ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ)」をリメイクしたくらいです。ただ不幸にもその時、スチュアート・コープランド(Stewart Copeland)が落馬事故で鎖骨を骨折してしまい、ドラムは打ち込みとなり、これもポリスのよさがまったくないものになってしまいました。

「ゼニヤッタ・モンダッタ」の制作事情




「時間がなかったんだ」、と『Zenyatta Mondatta』についてコープランドは振り返っています。ワールドツアーの合間で、4週間しかスタジオに入れなかったそうです。と言っても、前作『Reggatta de Blanc(白いレガッタ)』もスタジオ時間は4週間程度、1stの『Outlandos d'Amour』はたぶんもっと少なかった(お金がないのでスタジオの隙間時間を使わせてもらった)。ただ、数ヶ月に渡って少しずつというやり方だったので、考える時間は十分あったところが違うんでしょうね。

バンドの人気が急騰して、ツアーや取材、放送メディアへの出演などで休む間もなかっただろうに、売上が期待されるニューアルバムのリリーススケジュールは延ばせないという状況でした。

「駄作」と言っても演奏がよくないわけではありません。ポリス独特のロックなグルーヴは健在ですが、曲とアレンジのクオリティが低い。それでも、シングルカットした「Don't Stand So Close to Me」と「De Do Do Do, De Da Da Da」は悪くないし、A面1~4曲目の流れはテンションも高く、がんばっているのですが、やはり、『Reggatta de Blanc』A面の「Message in a Bottle(孤独のメッセージ)」から「Bring on the Night」への怒涛の流れとかに比べてしまうと、明らかに見劣りがします。そして、コープランド作曲の2曲(「Bombs Away」「The Other Way of Stopping(もう一つの終止符)」)はほんとにつまらないし、アンディ・サマーズ(Andy Summers)作曲の「Behind My Camel」に至っては「ひどい」としか言いようがありません。

スティング(Sting)はこの「Behind My Camel」が嫌いで、演奏に参加するのも断ったので、サマーズが自分でベースも弾いているそうです。それどころか、ある日スタジオでこの曲のテープを見つけると、裏庭を掘ってそれを埋めた!という話もあります。そんなに嫌いなら、アルバムに入れるのを拒否すればいいのに、それはできなかったんですね。人間関係なのか、そういうルールがあったのかは分かりませんが。

ザ・ポリスに必要だったものとは、なんだったのか?


結局、曲を考える時間、練り上げる時間が足らなかったということでしょうが、ギター+ベース+ドラムだけのアンサンブルを基本にした音づくりは、2枚のアルバムで出し尽くしてしまったんじゃないでしょうか。

彼らの初期の合言葉は「More Is Less, Less Is More」だったそうです。より少ない音数であるほうが、より大きな表現をできるというような意味です。ただそのためには、ひとつひとつの音が研ぎ澄まされていなければなりません。たしかなスキルとセンスがあったからこその戦略ですが、たしかにポリスの音は新しかったし、とんでもなくカッコよかった。

だけどシンプルなだけに、バリエーションは稼ぎにくい。一聴してポリスだとわかるサウンドは実現できたけど、逆に多少趣を変えても、同じように聴こえてしまう。すごいアルバムは2枚できたけど、次は、根本的に戦略を変えるか、もしこの路線でいくなら、さらに深く、突き詰める必要がありました。

ところが、時間がなかった。

「ゴースト・イン・ザ・マシーン」からの立て直し




その反省をもとに挑んだのが次の『Ghost in the Machine』です。ロンドンのAIRスタジオが運営するカリブ海モンセラット島にあるスタジオに、今度は6週間こもった彼らは、戦略を変えるほうに進みました。結果、サウンドも曲も幅が広がり、より広い層にアピールできて、売上も一段と大きくなりました。

ただ、サマーズはその新しい方向性に違和感を感じていたらしく、のちに「シンセとホーンセクションのせいで、生の3人の感覚が消えてしまった。それがすごく創造的でダイナミックでよかったのに。ポップソングを歌うソロシンガーのバッキングを努めているような感じだったよ」などと語っています。そんなメンバー間の不協和音が大きくなっていったのか、5th『Synchronicity』(1983)はバンド初の全米ナンバーワンを獲得し、最大の成功を手に入れたのに、その翌年1984年1月には、早々と解散を宣言することになるのです。

私は、サマーズの意見に半分は同意で、最初の2作の、「ダイナミックな生の3人の感覚」はほんと大好きですが、でも、後の2作が「ソロシンガーのバッキング」だとはまったく思いません。よりポップにはなっているけど、意識の低い層に迎合しているわけじゃない。最大のヒット曲「Every Breath You Take(見つめていたい)」も、ものすごく聴きやすいけど、ヤワじゃなく、いつ聴いても心に沁みる名曲だと思います。

そして真ん中にある問題の『Zenyatta Mondatta』。ポリスの光り輝く、太く短いキャリアの中の「汚点」ではありますが、「ああしときゃよかったな」とかあとでは思えても、その時はどうしようもなく、そうならざるをえなかった、なんてことはモノづくりには付き物。私自身、音楽プロデューサーとして関わった中に、そういう、聞き返すたびに後悔の念が湧いてきてしまう作品…… たくさんあります。そんな私にとっては、ポリスのこのアルバムも、「まあ、人生いろいろあるよね」と肩でもポンと叩きたくなるような、親しみすら感じる一枚なのであります。

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2022.06.16
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1967年生まれ
iM(アイム)
1986年のリメイク版「Don't Stand So Close to Me(高校教師)」はおっしゃるように「ポリスであってポリスでない」ので最初聴いた時ガッカリしたものです。後に知った事ですが、スチュアート・コープランドは当時の高額ワークステーション「Fairlight C.M.I」の愛用者で、一方、スティングは「Synclavier」の愛用者。スティングの意向でスチュアートに無理やり不慣れな「Synclavier」でドラムを打ち込みさせたとの事。打ち込みとはいえ、本意でない嫌嫌感が伝わったサウンドとなり結果ますますポリスらしさがない作品となったという事のようですね。(*´ω`*)
2022/06/16 08:50
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カタリベ
1954年生まれ
ふくおかとも彦
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