スティングの長いキャリアにおいても、『ブルー・タートルの夢(The Dream of the Blue Turtles)』は、ひとつの頂点に位置する作品だ。 ポリスが『シンクロニシティー』という名作をもって、音楽的にも人気の面でも飽和したことから、活動休止を宣言したのが1984年1月。その1年半後にこのアルバムはリリースされた。 アルバムのストーリーはこんな感じでスタートする。 「あなたの才能を求む! ニューヨークのワークショップで一緒にセッションをしてみませんか? スティングことゴードン・マシュー・トーマス・サムナーより」 この公開招待状がジャズミュージシャンの界隈に届くと、その名をあげようと多くのミュージシャンがニューヨークにやって来た。それから3週間のジャムセッションを経て、スティングはその中から自分よりも歳下の4人の黒人ジャズメンを選んだ。 ブランフォード・マルサリス(テナーサックス)、オマー・ハキム(ドラムス)、ダリル・ジョーンズ(ベース)、ケニー・カークランド(キーボード)。 彼らは皆、若くしてその才能を高く評価された凄腕のジャズミュージシャンだった。「どうやらスティングの新作はジャズに寄ったものになりそうだ」。そんな記事をどこかの雑誌で読んだことを覚えている。 しかし、実際はそうじゃなかった。『ブルー・タートルの夢』は、驚くほどに磨き上げられたスティングならではのロックミュージックだったのだ。 ポリスの音楽は、3人のメンバーの卓越した演奏スキルがその土台となっていた。あの音数を抑えた特徴的なサウンドは、メンバーの技量の確かさがあってこそ初めて実現しうるものだったと言える。 ところが、今回のバンドはその上をいっていた。ポリスよりも優れていたと言っているわけではない。だが、ポリスを飽和させ活動休止へと向かわせた大きな壁を、軽々と飛び越えていけるだけの「多彩さ」があったのは確かだ。そして、スティングがポリスを離れて求めたものこそ、このサウンドの多彩さだったのだと、今改めて思う。 ポリス時代のサウンドを踏襲しているように見せながら、音の隙間という隙間に別の「音」が存在していた。それはブランフォード・マルサリスをはじめとする、若きジャズメン達による即興演奏の断片だった。 それらは多彩な表情を見せながら、通底音として曲全体に行き渡り、細かなグルーヴを幾重にも作り出していた。ジャズのインプロヴィゼーションが、スティングの手腕によって束ねられ、独自のロックミュージックとして昇華されていたのだ。 この瞬間、スティングは、才能ある若きジャズメン達の力を借りることで、巨大な壁を飛び越え、再び自由を手にすることができたのだと思う。 ファーストシングル「セット・ゼム・フリー(If You Love Somebody Set Them Free)」を聴いたときの印象は、とにかくシャープと言う他ないものだった。PVでのスティングは、本来のベースではなく黒いストラトキャスターを弾き、ステップを踏みながらシャウトしていた。その姿には、ポリス時代とは違う大人の男の凄みがあった。自信に溢れ、全身から発せられる鋭利なインテリジェンスは怖いほどだった。 ポリス最大のヒット曲である「見つめていたい(Every Breath You Take)」の歌詞は、ひとりの女性への強烈なラブソングだ。「君が息をするたび、動くたび、束縛を破るたび、ステップを踏むたび、僕は君を見ている」という内容は、いささか偏執的とさえ言える。 「セット・ゼム・フリー」は、その対極にある歌だ。 特別な何かをとっておきたいのなら 閉じ込めて、その鍵を投げ捨てればいい 手にしたものを放したくないというのなら 僕のことは考えないでくれ 愛しているなら それらを自由にするんだ これはスティングが自分自身にも向けたメッセージだったのかもしれない。あのときスティングは確かな手応えを感じていたはずだ。ポリスのメンバーという大きなストレスから解放され、目指すべき音楽を見つけ、大空へ飛び立とうとしていたのだと思う。 次作『ナッシング・ライク・ザ・サン』も、この方向性を押し進めた素晴らしい作品だったが、肉親の不幸に見舞われたことも影響したのか、『ブルー・タートルの夢』ほどの冒険心は感じられない。 『ブルー・タートルの夢』は、スティングの中でも指折りの傑作であるだけでなく、人生の大きな節目でもあったように思う。バンドからソロになるというのは、きっとそれくらい大きな出来事なのだろう。
2017.06.25
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YouTube / StingVEVO
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