Re:minderのテーマは80年代ということで、これまで律儀に各年毎にコラムを積み上げてきたが、まだ書けていない年があった。それが1983年である。1965年の早生まれである私は、この年、浪人をきらって現役で大学入学を果たす。音楽も結構聴いたはずだったが、なぜかこのコラムになるテーマを思い浮かべることがなかった。 大学生活はそこそこ楽しかったのだが、何となく講義に出席し、何となくいくつかのサークルを掛け持ちしながら、今ひとつ自分なりのペース、生活のリズムを掴めていなかった。いいバイトにもありつけず、金欠病に泣き、よく先輩にご馳走になったり、下宿に泊めてもらったりしていた。何となく情けない一年を過ごしていたのかもしれない。 印象に残る音楽は、よい思い出と共にあるのだろう。とにかくこの年のヒット曲といってもピンとこないのだ。それでも何とか80年代コンプを目指し、苦し紛れにグラミー賞周辺を洗ってみた。動機が弱くて申し訳ないが、そんなこんなで思いあたったのが、1984年の最優秀楽曲賞(Song of the Year)を受賞したザ・ポリスの『見つめていたい(Every Breath You Take)』である。 とにかく名曲だ。ビルボードは8週連続1位、これを収録したアルバム『シンクロニシティ』は何と17週連続1位を記録する。この曲1曲でポリスの全楽曲売上の1/3を占め、話によるとスティングの元には今だに毎日20万円ほどの印税が入ってくるという。 思えばポリスというバンドを知ったのは、まだ中学生の頃だ。当時はニューウェイブパンクのような扱いでミュージックシーンに登場してきた彼らは、シンプルなビートと、やたら音が少ない乾いたサウンドが、玄人向きすぎて、何がすごいのか良く分からないバンドだった。 当時レゲエといえばボブ・マーリーかジミー・クリフで「ポリスがレゲエ!?」って、何かのこじつけじゃないかとさえ思っていた。アルバムタイトル『白いレガッタ』のレガッタは「レゲエ」の意味で、オリジナルタイトル『Regatta de blanc』が White Reggae(白人のレゲエ)のことだなんて、とても想像が及ばない。これは中途半端な和訳を恨むしかないのだ。 とにかくポリスというバンドはとことん計算高い。だいたいメンバーのプロフィールからして、どこのプログレバンドかってぐらい高学歴だし、アンディ・サマーズなんか、プロになった後で大学に入り直して音楽を学んだ学究肌。いくらスティングが映画でモッズのリーダーを演じてたからって、ルックスに騙されてはいけないのだ。 そして「パンクムーブメントに乗っかって売り出そう」なんて言い出したのはスチュワート・コープランドだったというから、その戦略脳は、CIAのエージェントだったという父親譲りなのかも知れない。 かくして彼らの5枚目のアルバム『シンクロニシティ』は、当初のパンクともレゲエともつかないニッチ性は影を潜め、スティングの創造性、サマーズとコープランドの高い技術とインスピレーションが融合し、このスーパートリオの最高傑作となったというわけだが、残念ながらこれが彼らのオリジナルアルバムとしては最後の作品となってしまう。 なぜ頂点を極めたロックバンドは、皆、解散してしまうのだろう。1984年のグラミー賞受賞時には、既に活動休止に入っていたらしいが、その直前にはメンバー間の対立は相当深刻な状態に陥っていたということだ。 若いスティングとコープランドを年長者のサマーズがなだめるというのが、お決まりのパターンだったというが、個性の強い実力者同士というのは、そんなことを繰り返しながら偉業を成し遂げるのかもしれない。再結成も度々されているようだが、今だに顔を合わせるとかつての険悪な雰囲気が蘇るということをサマーズが明かしている。 血気盛んというべきか、まだまだ現役で何かやってくれそうでもあるが、だからといってオリジナルアルバム制作ができるほどでもないだろう。永久にこの名盤を超えることは叶わないのだ。 さて、当時のミュージックシーンへの印象が薄かった私は、何と彼らが再結成するまで、活動休止に気づくことがなかった。再結成を知って「えっ、解散してたの?」とは何とも間抜けな話だが、そうさせたのは彼らが残した存在感によるものだろう。 その大きな余韻こそが、絶頂期でその座を下りたロックバンドだけにもたらされる資産と言えるのかも知れない。
2017.03.23
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YouTube / ThePoliceVEVO
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