ザ・ポリスの「見つめていたい(Every Breath You Take)」は、僕にとって夏の歌だ。1983年7月、小雨が降りしきる日の放課後、僕らは学校のベランダにいた。濡れないように横一列に並び、ちょうど全米1位を独走していたこの曲の話をしていたのだ。
「あのビデオ、かっこいいよな」
「うん。大人って感じだよね」
「白黒なのがいいよ」
「他のアーティストとは全然違うもんな」
「やっぱりポリスは別格なんだろ」
「そうなんだろうな」
真上からのアングルでカメラが煙草の灰皿を映し、それが白く光るとドラムのスネアに変わる。このフィルムを撮ったのがゴドレイ&クレームだと知るのはずっと後のことだが、映像の秀逸さは子供だった僕らにもはっきりと伝わっていた。
友達のひとりがウッドベースを弾く振りをしたのは、プロモーションビデオのスティングを真似てのことだった。
「スティング、かっこいいよな」
「ああ、声がいいよな」
「顔もいいし」
「でも、スティングってやばくないか?」
「やばい。悪いことしてそう」
「犯罪とかな」
「そうそう。ちょっとエロいやつ」
「なんだよそれ」
僕らはどっと笑った。エロいと言われれば笑う。男子中学生のルールである。こんなどうでもいい会話を、やけに鮮明に覚えているのはなぜだろう。この曲を聴くと、あのときのベランダに漂っていた空気の湿り具合や、汗ばんだ腕に当たる小雨のひんやりとした感触までが、ありありと蘇ってくるのだ。
確かにあの頃のスティングからは、いつも危険が匂いがした。鍛えられた肉体と、ナイフのような知性をたたえた顔つき。その射抜くような鋭い視線は、いつもカメラの向こう側にいるであろう誰かを見据えていた。高いインテリジェンスが、内に秘めた暴力的な衝動を抑制しているかのように見えたし、物静かな佇まいがかえって凄味を感じさせた。今のどこか紳士然としたスティングからは、ちょっと想像しにくいかもしれないが。
とにかく、「見つめていたい」は、その夏を代表するヒット曲だった。1983年7月7日付の全米チャートで第1位を獲得すると、8月27日付まで8週間もその座を守ったのだから、僕がこの曲を夏の歌だと感じるのは、なにも不思議なことではない。
ただ、あれから36年が経って、「見つめていたい」は押しも押されもせぬスタンダードナンバーになった。そのことが、この曲から当時はあったはずの季節感を奪ってしまった感は否めない。今「見つめていたい」を聴いて、ヒットしていた頃の出来事(例えば学校のベランダでの会話とか)を想い出す人は少ないかもしれない。そもそも、そんなことを必要としないのがスタンダードナンバーたる所以とも言える。そして、スティングが危険な男だったことも忘れ去られていく… というわけだ。
「見つめていたい」は、歌詞の内容からストーカーソングだと冗談めかして言う人がいる。「君が息をするたび、君が動くたび、君が束縛を破るたび、君が一歩足を踏み出すたび、僕は君を見つめている」という内容は、確かにそういう風にも受け取れる。しかし、実際は違う。
この曲は、当時の奥さんとの離婚問題がきっかけで生まれた歌だった。一緒に暮らしているのだから(別居していたかもしれないが、もしそうだとしても)、ストーキングをする理由はないのだ。この歌詞で言うところの「見つめている(I'll be watching you)」には、もっと複雑な意味があった。
それは、ふたりが別れるに至った様々な理由からくる嫉妬や憎悪であり、財産分与に関わる所有権の問題も含んでいた。つまり、この歌の主人公は、愛する女性を見つめているのではなく、悪意をもって「監視」しているのだ。スティング自身も、当時からそのことは認めており、「ただの不快な曲だよ。むしろ悪い歌だ」と語っている。また、最近のインタビューでは「その時はどれだけ悪意があるのか気づかなかった」とも述べている。
そして、歌が憎しみに基づいていたがゆえに、スティングはそれをストレートに歌うのではなく、偏執的なラヴソングに仕立て、曖昧な含みを持たせたのだ。シンプルに構築された演奏は、深遠で、無駄がなく、必要以上のことを語ろうとはしていない。そのことが、本人曰く「不吉さと奇妙な心地良さ」を生んだのだろう。でも、その真意は、もっと現実的で生々しいものだった。
「お前が何をしているか、俺には全部わかっているんだ。好きなようにはさせないぞ。いつも監視しているからな」
意訳するとこんな感じだろうか。やはりスティングは容赦ない男だったのだ。でも、あれから36年を経て、この曲は押しも押されもせぬスタンダードナンバーになった。そのことが、個人間の恨みつらみをこの曲から洗い流した気がしないでもない。季節感やスティングの危険なイメージと一緒に。
こうして「見つめていたい」は名曲として後世に残ることとなったわけだが、本当に優れた歌とは、多かれ少なかれ、そういうものなのかもしれない。そして、僕はといえば、今年も新しい夏を迎え、あの日の学校のベランダを想い出しながら、こんなコラムを書いている。2019年の「見つめていたい」。
2019.08.06
YouTube / ThePoliceVEVO
Information