より鮮やかな色合いに仕上がったブルーハーツ「YOUNG AND PRETTY」
「ドブネズミみたいに美しくなりたい」と裸のままの心情をさらけ出し、様式美に帰結するそれまでのパンクロックの概念をぶち壊したザ・ブルーハーツ。
時代に風穴を空けた歴史的名盤のファーストアルバム『THE BLUE HEARTS』のリリースから、約半年という短い期間で、より鮮やかな色合いに仕上がった彼らのセカンドアルバムが、1987年11月21日にリリースされた『YOUNG AND PRETTY』だ。
それは、70年代、反逆の象徴だった矢沢永吉率いるキャロルがアルバム『ルイジアンナ』でデビューし、セカンドアルバム『ファンキー・モンキー・ベイビー』をリリースしたときと重なるものがあった。バンドの軸はブレずに、ポップかつキャッチ―に完成度を高めたキャロルとブルーハーツは酷似していた。
偶然かもしれないが、『YOUNG AND PRETTY』のジャケットは、『ファンキー・モンキー・ベイビー』と同じく、メンバーそれぞれの写真を四分割したデザインに仕上がっている。僕は、このアルバムをキャロルへのオマージュだと捉えている。
また、ブルーハーツのラストアルバム『PAN』とキャロルのラストアルバム『キャロル・ファースト』がメンバーそれぞれのソロの集大成であるということからも、この全くタイプの違う二つのバンドは、活動期間の長さに違いはあるが、同じような軌跡を残していると言えるだろう。それは、はみ出し者たちのアンセムだということ。
70年代、暴走族に愛されたキャロルが不良少年たちの内に秘めたセンチメンタリズムを歌にした。しかし80年代、インディーズを主体とした音楽シーンは価値観の多様性を示し、世間はバブル期の真っ只中に入っていった。
自由に生きることへの決意表明、ヒロトが歌う「少年の詩」
決して目立つことはなく、吐き出す言葉が街の喧騒にかき消されてしまうようなそんな時代の中で、ブルーハーツは劣等生たちが自分らしく生き、自由に生きることの決意表明を僕らに叩きつけてくれた。
この世界観は、ヒロトがブルーハーツ結成前に組んでいたザ・コーツのオリジナルナンバーでもあり、ファーストアルバムにも収録さている「少年の詩」から始まっている。
別にグレてる訳じゃないんだ
ただこのままじゃいけないってことに
気付いただけさ
そしてナイフを持って立ってた
ブルーハーツのロックンロールはパンクロックにかぶれた、いかにもな不良だけでなく、日常に埋もれそうな毎日の中、ロックとは無縁のすべての少年少女に燻り続けていた魂の導火線にも火をつけた。
プロデュースは佐久間正英、楽曲に添える鮮やかな彩り
そして、このセカンドアルバムの中で、マーシーが「夕刊フジを読みながら 老いぼれてくのはゴメンだ」とシャウトし、彼らの人気は全国区に達した。ちなみにファーストアルバムのオリコン最高位は31位。そして、このアルバムは、最高位10位を記録する。
当時十代だった僕のハートを揺さぶる力は、ファーストアルバムに匹敵するぐらいのものであった。それなのに、このアルバムがポップでカラフルな印象にあるのはなぜか?
それは、佐久間正英をプロデューサーに迎え、キーボードを導入したこともあるが、それ以上にアルバムに収録されているヒロトの楽曲に鮮やかな彩りを添えているからだと思う。
「キスしてほしい」の中の『二人が夢に近づくように キスして欲しい』と語りかける二人は「リンダリンダ」の中で、『もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら』と願った少年の未来だろうか。
そして、「星をください」「ロマンチック」といったバラードの中の純真無垢な歌声が、紅茶に砂糖が溶けていくように心の中に沁み渡り、日常生活を鮮やかな色に変えてくれた。
ヒロトが常々、「過去でも未来でもなく、今がすべてだ」と口にしているように、ブルーハーツは、あの時代に、あの四人でしか成し得なかったバンドだ。必然的な出会いによるバンドの結成。時代に僅かなズレがあっても彼らは登場しなかっただろう。そんな彼らの当時の心情、当時の音は、今も輝きを失っていない。
あの頃のヒロトの「今」は僕の未来に繋がっていた。ブルーハーツは、30年以上経った今でも心の中に存在しているのだから。
歌詞引用:
リンダリンダ / ザ・ブルーハーツ
少年の詩 / ザ・ブルーハーツ
ラインを越えて / ザ・ブルーハーツ
キスして欲しい / ザ・ブルーハーツ ※2018年3月17日に掲載された記事をアップデート
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2022.03.17