12月21日

ザ・ブルーハーツ「TOO MUCH PAIN」心に残るジョー・ストラマーとマーシーの言葉

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ザ・ブルーハーツのアルバム「HIGH KICKS」がリリースされた日(TOO MUCH PAIN 収録)
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photo:Warner Music Japan  

マーシーが手掛けヒロトが歌う ザ・ブルーハーツ「TOO MUCH PAIN」


ザ・ブルーハーツの数ある名曲の中、僕の中で特別な意味を持つのが「TOO MUCH PAIN」だ。1991年12月21日に発売された5枚目のアルバム『HIGH KICKS』に収録されているこの曲が初めて演奏されたのは、確か1986年の晩秋。僕は高校3年生だった。場所は記憶が正しければ、小滝橋通りにあった旧新宿ロフト。幸運なことに、僕もその場に立ち会っていた。

マーシーが手掛け、ヒロトが歌うこの楽曲だが、この時はマーシーが歌っていたように記憶している。そのせいか、彼のイメージを僕の中で決定づけた曲だ。マーシーの世界がこの1曲に凝縮されている。言葉にヤスリをかけたようなリアルなざらつき。その中に感じる透明な空気感、乾いた風、季節の変わり目に感じる刹那と永遠。そんな情景が心の中に広がる。

 はみだし者達の 遠い夏の伝説が
 廃車置場で錆びついてらあ
 灰色の夜明けをただ黙って駆け抜けて
 あなたに会いにいけたらなあ

そんなセンチメンタルな言葉ではじまる一見ラブソングと思えるこの曲だが、僕にはそれだけじゃない、様々な背景や感情が含まれるような気がしてならない。

この曲が作られた1986年といえば、クラッシュが解散を表明した年でもある。1983年にミック・ジョーンズがバンドを脱退。ジョー・ストラマーは新メンバーを入れ試行錯誤しながらバンドを継続するが、3年後のこの年に限界を迎えてしまう。

その時のクラッシュに対するマーシーの思いを僕が一番強く感じ取ったのは、2002年12月22日、ジョー・ストラマーが夭逝した時の彼のコメントだ。マーシーは、ミック・ジョーンズ脱退後、ギターを持ってイギリスに渡り、本気でクラッシュに加入しようと思っていたのだという。これはブルーハーツ結成前の話だ――。

クラッシュへの憧憬を体現したザ・ブルーハーツ


80年代後半から90年代を駆け抜けたブルーハーツは、そのスタイルのみでなく、ステージから発するほとばしる熱情からも、クラッシュへの憧憬を十二分に体現していた。

つまり、「はみだし者達の遠い夏の伝説」というのはクラッシュの栄光のことではないか。そして、「あなたに会いにいけたらなあ」というのはジョー・ストラマーのことではないのかと思わずにいられない。そして「TOO MUCH PAIN」は、こう続く。

 あなたの言葉がまるで旋律のように
 頭の中で鳴っている
 TOO MUCH PAIN

あなたの言葉とは、ジョーの言っていた「誰よりも高く飛びたいのなら、誰よりも低く身構えるのさ」かもしれないし、「月に手を伸ばせ。たとえ届かなくても」かもしれない。そして、終盤に入り、

 僕はまた一歩踏み出そうとしてる
 少しこわいけれど

―― と歌詞は続く。この曲が出来上がった頃のブルーハーツといえば、順調に観客動員を伸ばし、メジャーデビューも視野に入っていた時期だったと思う。目の前のドアを蹴飛ばして、新天地に殴り込みをかける決意表明をしなければならない。迷いもあったに違いない。そんな時に彼らの前をクラッシュが、ジョー・ストラマーが走り続けていてくれたなら、どんなにも心強かっただろう。

もちろんこれは、僕の妄想であり、マーシーの本当の気持ちかどうかはわからない。ただ、僕にはそんな風に聴こえたのだ。

マーシーからのメッセージ「自由な心でいましょう」


ロックンロールには、ひとつの曲に対して聴いた人の数だけ、幾千、幾万の解釈があると思っている。正解はない。しかし、バンドとオーディエンスのバイブレーションが同じレベルに達した時、自然と涙が流れ、その場所にいたひとりひとりに、とっておきの情景が生まれるのだ。

1986年の新宿ロフトでのライブの翌日、僕は、学校の帰りに毎日立ち寄っている笹塚の紀伊國屋書店でマーシーの姿を見かけた。この日以前も、同じような夕刻の時間帯に、ステージと同じバンダナを巻いた革ジャン姿のマーシーを見かけていた。いつも難しい本を真剣に読んでいたので声をかけずじまいだったが、その日、意を決して話しかけてみた。

「昨日のライブ行きました。新曲、なんという題名ですか?」
「あれは、TOO MUCH PAIN っていうんだよ」

あの時は緊張していて、そんな素っ気ない会話しかできなかった。そして、通学用に使っていたカバンにサインをねだると、「自由な心でいましょう」という言葉をサインに付け加えてくれた。

自由な心

―― それはブルーハーツから感じ取った唯一無二の価値観だ。それは初期の名曲「ダンスナンバー」の中でも歌われている「カッコ悪くたっていいよ そんなこと問題じゃない」というように、自分が自分らしくブレることなく、媚びることなく生きるための唯一の手段だと僕は思っている。どう感じるか。それがすべてだ。

人生を生きるために用意された幾通りもの手段の中から、自由な心、すなわち、ロックンロールを選んだ18歳の自分を誉めてやりたい。そして、そのきっかけを与えてくれたブルーハーツと共に過ごした日々は、今も昨日のことのように覚えている。

※2017年9月9日、2019年2月20日に掲載された記事をアップデート

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2021.12.22
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  YouTube / おまき


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ひろ
ブルーハーツの詩は素晴らしい。『少年の詩』『人にやさしく』『世界の真ん中』等々数え切れない言葉の力業。そして童謡や唱歌のように優しく美しくシンプルなメロディ。スローに口ずさむとはっきり判ります。心に響くのは当然。
2018/02/20 19:43
5
返信
カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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