11月21日

みんなのブルーハーツ「英雄にあこがれて」甲本ヒロトが描く “普通の少年の狂気”

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みんなのブルーハーツ ~ vol.8
THE BLUE HEARTS『英雄にあこがれて』


作詞:甲本ヒロト
作曲:甲本ヒロト
編曲:THE BLUE HEARTS
発売:1987年11月21日(アルバム『YOUNG AND PRETTY』)


普通の少年の物語、「おしまれながら死んでゆく 英雄にあこがれ」


「普通の少年のブルーハーツ物語」を書こうと思っている。

「普通の少年」―― それは当時の私だ。後述するようなコントの台本を書く少年が普通といえるかどうかは一旦おくとして、ブルーハーツを熱心に聴きながら、それでもライブハウスに足を運ぶのは、ちょっと怖くって、ましてやライブハウスの中を我が物顔で振る舞うことなんて、絶対に出来なかった少年――。

ライブハウスという現場から遠く離れた、湿った匂いのする木造の下宿で、雑誌『宝島』なんかを読んで「へーっ」と驚いたり、「うんうん」とうなずいたりしている少年にとってのブルーハーツを書くこと―― これこそが、私が勝手に定めた、連載「みんなのブルーハーツ」のコンセプトなのである。

ここでの「普通の少年」像は、前回『キスしてほしい』のところが書いた「田舎のエリート」としての甲本ヒロトとつながる。さらには彼のいくつかの作品に見られる「狂気(凶器)を隠し持った優等生」像とも。

ファーストアルバムに収録されている『少年の詩』、そして今回の『英雄にあこがれて』、両方の主人公も「普通の少年」だ。普通に登校して、普通に学校生活を過ごしている。おそらく成績も、まあまあいい方なのではないか。

そんな主人公が隠し持っていた「狂気」については追って述べるとして、今回は「普通の少年」のヤバさについて考えたい。そのヤバさとはつまり、「おしまれながら死んでゆく 英雄にあこがれ」たり、「あんまり平和な世の中じゃ カッコ悪すぎる」と思ってしまうことだ。

「普通の少年・少女」を吸引して徐々にブレイクしていく中、目の前で熱狂するオーディエンスに対して、一種のヤバさを感じ取ったのではないか、甲本ヒロトは。

過剰に熱烈なノリ。縦ノリのビートに対して一糸も乱れない一体感。それほどの不満も不安もないのに、表面的に中指を突き出してしまう虚構―― 目の前で繰り広げられる、そんなあれこれに対して、舞台の上からうすら寒い感じをも覚えたのではないか。

「こいつらヤバいんじゃないか」

―― と。



甲本ヒロトが発信した警告「英雄にあこがれて」


さて当時、普通といいながら普通ではなかった私は、あるラジオ番組に投稿するべく、スネークマンショー風のコントの台本を書いたことがある。舞台は日本武道館でのロックバンドのコンサートだ(実は、ある実在バンドを想定して書いたのだが、ここでは明かさない)。

ボーカリスト(V)「お前ら、愛と平和が大事だぜぇ!」
オーディエンス(A)「イエーッ!」(とこぶしを突き上げる)
V「愛と平和のために戦おうぜぇ!」
A「イエーッ!」
V「戦おうぜぇ!」
A「イエーッ!」
(このやりとりがしつこく繰り返された後に)
V「イエーッ! 戦争だぁ!」
(ここで進軍ラッパが高らかに鳴り響く)
A「イエーッ!」
と狂ったように叫びながら、1万人のオーディエンスが戦争へ向かっていく(完)。

今考えたら理屈先行、面白くも何ともない頭でっかちな内容だが、当時の私は、こんなコントを真剣に考えていた。というか、こんなこと書きたくなるくらい、当時のライブにおける過剰な一体感が生理的に嫌だったのだ――「こんなん、めっちゃ窮屈やん」と。

この、一体感への生理的嫌悪こそが、私をライブハウスから遠ざけた一因でもあったのだが、それはともかく、当時のライブにおける過剰な一体感は、よく目を凝らしたら、「愛と平和」とか何やらとか、つまりはロック音楽が向かっていくべき自由とは真逆の窮屈な方向に向かっていく可能性があると、私は思っていたのだ。

頭でっかちなコントはもちろん不採用だったのだけれど―― 話を戻す。

一体感の結果としての、つまらない同調圧力にそそのかされて、「おしまれながら死んでゆく 英雄にあこがれ」たり、「あんまり平和な世の中じゃ カッコ悪すぎる」などと、うかつに思ってしまうなよ―― という、目の前で過剰に、しかしある意味、従順に熱狂するオーディエンスに対して、甲本ヒロトが発信した警告のような曲、それが『英雄にあこがれて』だと、私は捉えたのだが、どうだろうか。

つまりはこれ、今ぐんぐんとのしてきた「ブルーハーツ」のあり方、「ブルーハーツ」という現象に対する批評でもあるのだ。これは相当に、鋭い。

普通の少年の狂気、「運動場のはしっこで 悪魔を育てよう」


ただし、ここまで書いたことを「普通の少年」の視点から考えると、また違った風景が見えてくる。つまりライブハウスで一糸乱れぬ一体感に陶酔するに至る、普通の少年・少女からの視点。

やはり、それ相応に鬱屈したものがあったのだろう。鬱屈からの逃避として、一体感への陶酔を求めたのだろう。その感覚は、私にもよく分かる。

鬱屈した気分は、心の中に、狂気を育(はぐ)くむ。鬱屈という栄養をついばんで、むくむくと成長した狂気が、普通の少年少女をロックに向かわせ、ライブハウスに向かわせ、そして一体感への陶酔へと向かわせた。

今から思えば、「普通の少年」を強く自認していた私にも、狂気の芽があったように思う。先のようなコントの台本を書いたり、よく考えたら、50半ばになっても未だに「ブルーハーツとは、ロックとは?」などと書いているのだから、まぁ、完全無欠な普通、ではないわな。

そんな私が、いちばん狂気を溜め込んだのは、中学校の頃だった。1980年前後の東大阪の中学における「スクールカースト」(そんな言葉など存在しなかったが)は、体育会系と不良ががっちり牛耳っていた。

つまり体育会系と不良が「英雄」だったのだ。で、そのどちらにも入れない私などは、なかなかに息苦しい気分を味わっていた。

それでも一応、運動部(卓球部)だったし、グレた友だちもいなくはなかったので、それらを手がかりに、スクールカーストをのぼっていくことも出来たのかもしれないが、79年、中1のとき、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)という「文化系インテリ」にずっぽりとハマってしまった私は、体育会系と不良への道を歩むのをいさぎよしとしなかったはずだ。(余談だが、東大阪の「普通の少年」から見たYMOは、そんな感じだった)。

『英雄にあこがれて』に話を戻せば、「♪運動場のはしっこで 悪魔を育て」たことが私にはある。放課後、同じく文化系然とした親友と、運動部の練習から離れたグラウンドの片隅で、ノートの切れ端に「(鬱陶しかった不良の名字)はアホ」「(同名字)なんか●●」(●●はかなり直接的な言葉遣い)と書いて、土に埋めたりしていたのだ。

そして家に帰って、YMOのアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(79年)を、密閉型ヘッドフォンを通して爆音で聴く。そういう意味では、当時の私にとってのYMOは、パンクロックであり、ハードロックだったのかもしれない。

言いたいことは、「普通の少年」だからといって、狂気や悪魔と無縁ではないということだ。そして、そんな「普通の少年の狂気」を取り上げたロック音楽は、それほど多くはなく、かなり少なかったということ。

甲本ヒロトという人は、「普通の少年の狂気」から始まる物語を描くことに成功した、数少ないロック詩人だった。ブルーハーツを知り、熱心に聴いたのは大学時代だったが、もし中学時代に彼らの音楽、特に甲本ヒロトの歌詞と出会っていたならば、もしかしたら私は、YMOを聴かなかったかもしれない。

「月曜の朝の朝礼で 手首をかききった」


「普通の少年の狂気」は、えらいことをしでかしてしまう。

ファーストの『少年の詩』では「ナイフを持って立ってた」だけだったが、ここでは自らの手首を「かききった」(この言葉遣い!)。まぁ、ぼやかさずにいえば、自殺だろう。未遂だったとは思うが。

以上まとめると、この曲のメッセージは、「英雄になんかあこがれるな」ということに尽きるのではないか。ましてや「死ぬ気で英雄に近付いていくなんて、やめちまえ」と。

1980年前後の「スクールカースト」で上位にいる体育会系と不良は、「死」、いや、それそのものではなく、観念としての「死」と、親和性が高かったと思う。「死ぬまで戦え!」などと口にした連中も、少なくなかっただろう。

鬱屈して、狂気を育んだ「普通の少年」の多くも、カーストの上の方のさまを見て「♪おしまれながら死んでゆく 英雄にあこがれ」たりするのだが―― やめちまえ、やめちまえと甲本ヒロトは説いていると読む。

さらに一歩進めれば、「ブルーハーツなんかにも、必要以上にあこがれるな」と言っているようにも聴こえるのだ。

ライブハウス、彼らの目の前で熱狂するオーディエンス。対して甲本ヒロトは、落ち着け、落ち着けと説いたのではないだろうか。

「英雄」が求められる時代なんて不健全だ。歴史教育というものの必要性があるとすれば、つまるところ「英雄の栄枯盛衰史」ともいえる教科書を通じて「英雄礼賛の不健全性」を教えるためにあると思う。

「普通の少年」が英雄にあこがれても、運動場のはしっこで、悪魔が笑うだけなのだから――。

ブルーハーツへの過剰な憧れや礼賛


ブルーハーツ『平成のブルース』(89年=平成元年)は、自分たちへの過剰な憧れや礼賛を、こういなしている。

―― ♪ロックンロールスターになりてぇな ロックンロールスターになりてぇな ブルーハーツのマネすりゃいいんだろう

さて。『英雄にあこがれて』から35年経った2022年、佐野元春は、アルバム『今、何処』収録の『大人のくせに』で、こう歌った。

―― ♪素朴にゆく道 ひとりだってずっと歩いてけるぜ そうさ、英雄もファシストも いらない いらない

ただ、中学生は、今どきであっても、ひとりで歩くのはまだ困難だろう。そんな若者に私は、「英雄」よりも「親友」だと言いたい。運動場のはしっこで、一緒に紙を土に埋めてくれるような。

そして、こうも言いたいのだ。「おしまれながら死んでゆく 英雄にあこがれ」の対義語は「生まれたからには生きてやる」だと。次回は、この歌詞を取り上げる。

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2023.02.02
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Baliみにょん
《ライブにおける過剰な一体感への生理的嫌悪》よくわかる、私は今でも払拭できていない。そして大多数の《普通の少年少女達が多分鬱屈からの逃避として、一体感への陶酔を求めたのだろう》という姿が見えるのも確かである。
《カーストの上の方のさまを見て「♪おしまれながら死んでゆく 英雄にあこがれ」たりする》のは、普通の多くの"少年"の(少女ではなく)心緒だろうと想像する。
《甲本ヒロトという人は、「普通の少年の狂気」から始まる物語を描くことに成功した、数少ないロック詩人だった。》と評するスージーさんの筆致は素晴らしいし、ブルーハーツの真価をガツンと感じる。《そして、こうも言いたいのだ。「おしまれながら死んでゆく 英雄にあこがれ」の対義語は「生まれたからには生きてやる」》には、今ブルーハーツを聞くべき説得力に圧倒される。




2023/02/02 14:41
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カタリベ
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