11月20日

初代ヴォーカリストは宮城宗典、80年代を駆け抜けたヒルビリー・バップスの軌跡

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ヒルビリー・バップスのアルバム「HILLBILLY THE KID~DOWN THE LINE」がリリースされた日
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震源地は原宿、空前のフィフティーズブーム


今年も3月29日がやってきた。ヒルビリー・バップス初代ヴォーカリスト宮城宗典さんの命日だ。もう33年も経つのに、あの時、この事実を知った時のまま、心の中の時計はどこかが止まったままだ。ファンにしてみればみんな同じだと思う。

しかし、今年は感傷に溺れるのではなく、彼がヴォーカリストとして駆け抜けた80年代、その初頭に起こったロカビリームーブメントを起点としながらヒルビリー・バップスというバンドがたどった音楽的な軌跡を書いてみたいと思う。そして、真正面から音楽と向き合い、多岐に渡る音楽を昇華させながら深化していったバンドの素晴らしさを、ひとりでも多くの人に知ってもらいたいと思う。

1980年初頭。代々木公園脇の歩行者天国では、『アメリカン・グラフィティ』のサントラ盤をダビングしたカセットをラジカセから流しアクロバティックなダンスを興じるローラー族が隆盛を極め、社会現象にまで発展した。また、表参道交番脇の遊歩道と明治通り沿い、原宿に2店舗を構えたフィフティーズファッションの聖地クリームソーダには、修学旅行生をはじめとする中高生がヒョウ柄にドクロマークの財布やドリーミーなデザインの服を求め大挙押し寄せていた。店内にはストレイ・キャッツの奏でる最新型のネオロカビリーが爆音で響いていた。全国を席捲した空前のフィフティーズブーム。その震源地は原宿だった。

ヒルビリー・バップスも中枢にいた原宿ロカビリームーブメント


そんな中、歩行者天国のローラーとも、イギリスを発火点としたクリームソーダのスタイルが象徴するネオロカビリーとも一線を画したロカビリーのムーブメントが原宿に存在した。その規模は1,000人を超えたとも言われているが、このムーブメントを取り上げるマスコミは皆無だった。彼らが明治通り沿いの古着屋DEPTで催したパーティーには、明治通りと表参道の交差点、ラフォーレ近くにまで入場待ちをする列ができたという逸話も残っている。

彼らは、ジョニー・バーネット・トリオ、ビリー・リー・ライリー、ソニー・フィッシャーといったまだまだ日本には浸透していなかったオリジナルのヴィンテージロカビリーに夢中になり、リアルフィフティーズの古着を好んでいた。日がな原宿に集まっては、映画アメリカン・グラフィティやアニマルハウスのような青春群像を描いていた。

彼らの中枢には、いくつかのバンドがあった。後にエルビス・プレスリーの古巣である、メンフィスのサン・スタジオで、ジェームズ・バートンやD・J・フォンタナ、グレン・ハーディンといったエルヴィスのバッキングメンバーとレコーディングを行った『JB SUN SESSION』を1989年にリリースするビリー諸川を擁したロケット88、90年代にレイ・キャンピやマック・カーティスといった50年代からの活動歴を誇るリアル・ロッカーの来日に尽力するデューク佐久間率いるBilly O(後のデューク&ザ・サミッツ)、Blue Caps、Pennys…そしてヒルビリー・バップスがいた。

友情から生まれたバンド、ヒルビリー・バップス


ヒルビリー・バップスは原宿の街で友情から生まれたバンドだった。一切の野心や駆け引きもなかった。ヴォーカル宮城の甘いルックスからか、ロカビリー界の “シブがき隊” とも呼ばれ、時には寸劇を入れたエンタテインメント性溢れるステージングから、アマチュアバンドにしてライブハウスの観客動員数を塗り替えるほどの人気となる。レコード会社の目に留まるまでさほどの時間を要さなかった。永瀬正敏のバックバンドを探していたキティレコードとの交渉が始まったが、結局、宮城のキャラクターを活かしたいという意向からバンドとしてのデビューが決定した。

しかし、ヒルビリー・バップスは、その後ロカビリーの枠に留まることなく多様な音楽を吸収し、忌野清志郎が楽曲を手掛けた「バカンス」との出会いなど、宿命的に唯一無二の軌跡を残すことになる。

デビューにあたっては、チェッカーズのプランニングを手掛けたスタッフが集結。グラフィックは『タモリ俱楽部』の “空耳アワー” でお馴染みの安斎肇が担当。宮城の衣装はビジュアルアーティスト、ミック板谷がデザインを施したものだった。メンバーは髪をおろし、リーゼントに古着という彼らのスタイルから程遠い、いわばアイドル的な立ち位置でのデビューだったが、そこに甘んじることなく練習を積み重ね、多面的に良質な音楽を吸収しアウトプットし、宮城在籍時に6枚のシングルと3枚のアルバムをリリース。最近でもタワーレコードリマスターのアルバムやアナログ7インチの再発など、時代を超えロカビリーファンのみならず多くの音楽ファンに愛され続けている。

ロカビリーバンドからロックバンドへ、デビュー直後に受けたプロの凄み


アマチュア時代、純然たるロカビリーバンドだったヒルビリーバップスの転機は、デビュー直後に出演した日比谷野外音楽堂で催されたイベント『勇気ある子供たちが時代を作る』への出演だった。

この日の共演はBOØWY、バービーボーイズ、UP-BEAT、Be Modernなど。この日ヒルビリー・バップスのメンバーは出演バンドのプロフェッショナルな凄みに衝撃を受けた。BOØWYの布袋の圧倒的なギターワークに、バービーボーイズの完膚なまでのステージングにプロの洗礼を受けた。

当時のことをリーダーの川上剛はこう述懐する。

「ここにロックの主流があった。俺たちもここに居たいと思った。ロカビリーにはいつでも戻ってこれる。そして、この野音に宮城と戻ってきたいと思った…」

この日を境にヒルビリー・バップスは第一線のロックバンドとしてフロントに立つことを誓い、自らの音楽を模索していく。デヴィッド・ボウイやU2、スミスなど様々な音楽を吸収し、オリジナリティを構築してゆく。そして、1987年11月20日、渾身のセカンドアルバム『HILLBILLY THE KID~DOWN THE LINE』をリリースする。

バディ・ホリーの名曲「DOWN THE LINE」を冠にし、1曲目には同曲を収録したこのアルバムには極めて個人的な友情を極上のポップチューンへと昇華させた「僕たちのピリオド」や彼らの新境地ともいえる「5時からのレボリューション」を収録。ロカビリー色を垣間見せながらも深化した音楽性はオリジナリティに溢れ、まさしく川上の言う新たな時代のロックの主流になるべき音であり、これと同時にロカビリーの精神性に回帰させていた。

その後順調に観客動員を増やし、1988年春の全国ツアーはどの会場でもソールドアウトが続いた。そして、より内省的に音楽性を研ぎ澄ませ、後に永瀬正敏が「FOR THE BOYS…」というタイトルでカバーする「夢見る頃を過ぎても」を含むサードアルバム『PUBLIC MENU』をリリース。

宮城宗典逝去、ソウルブラザー忌野清志郎が野音で歌った「バカンス」


しかし、1988年3月29日宮城逝去。「宮城と戻ってきたかった…」というひとつの願いは実現できぬままだった。同年5月5日には、日比谷野外音楽堂で追悼コンサート。場内に入りきれないファンがフェンスを囲んだ。親交の深かったレピッシュのMAGUMI、仲井戸麗市、そして宮城をソウルブラザーとして慕った忌野清志郎らが出演。

清志郎はステージの上でMCは「いなくなったやつよりも残された人のために」だった。そして、自身がプレゼントした名曲「バカンス」を歌う。

 涙だけが 友だちだよ
 バカなんだね 忘れられない
 変わったんだね 何もがバカンス…

日比谷野音のステージ上の清志郎の言葉のように、ヒルビリーバップスは全員の総意でバンドを継続。新たなヴォーカリスト横山裕高を迎え、第二期ヒルビリーバップスを始動させる…。

これは、1980年代に起こったヒルビリーバップスの軌跡だ。原宿の街で、友情から生まれたバンドはプロの洗礼を受け、深化、成長を遂げながらもロカビリーの精神性を忘れずに80年代を駆け抜けた。ここに彼らが未だ色褪せることなく多くの人に愛されている理由があると思う。



2021.03.29
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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