6月21日
ブレイク直前のBOØWY、ニューウェイブとヤンキーカルチャー、奇跡の融合
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大好きなバンドが「俺たちのバンド」から「みんなのバンド」に変わる瞬間に立ち会う時は、何とも複雑な心境で、この時のジレンマは記憶の中で今は甘酸っぱいものになっている。

BOØWYのブレイクするきっかけとなったのは、85年6月21日に発売されたサードアルバム『BOØWY』だった。自ら事務所をユイ音楽工房に移籍、佐久間正英をプロデューサーに迎え心機一転、メジャー志向に打って出たこのアルバムは大きな反響を呼んだ。

その1年前。僕は彼らのライブに足繁く通っていた。渋谷駅前、井の頭口の近くにあったライブハウス、渋谷LIVE INNで行われていたマンスリーライブ『BEAT EMOTION』だ。後のアルバムタイトルにもなるマンスリーライブに通うようになったきっかけは、「新しいロカビリーを演っているバンドがいる」というウワサからだった。
 
その言葉通り、BOØWYは前年の83年、自らのサウンドを「アフロカビリー」と称してライブ活動を行っていた。「アフロカビリー」というのは、「アフロ」+「ロカビリー」という意味合い。ストレイ・キャッツのようなウッドベースにグレッチのギターを使う純然たるロカビリーとは違うが、80年代イギリスで発生したネオロカビリー的なギターのリズムのカッティングに、アフロというか、アダム・アントを思わせるジャングル・ビート的なドラミングが特徴のサウンドだ。

サードアルバムに収録されている「ホンキ―・トンキー・クレイジー」や、そのB面に収録された「16」がアフロカビリーの頃の楽曲だ。ちなみに「16」は当時「TEDDY BOY MEMORIES」というタイトルで演奏されていた楽曲が元になっている。

TEDDY BOYとは、イギリスの伝統的なユースカルチャーで、リーゼントに丈の長いエドワードジャケットと呼ばれる貴族趣味的な上着がトレードマーク。また、このTEDDY BOYなる言葉は日本においては70年代、キャロルの「涙のテディ・ボーイ」クールスの「恋のテディー・ボーイ」など、不良少年の別称として頻繁に使われた。

この頃のBOØWYは、ロンドン経由の最新型ニューウェイブ・サウンドと、矢沢永吉の影響が大きく見られる氷室氏のヤンキーの系譜を昇華した歌唱法で、唯一無二の存在感を放っていた。まさしく、「俺たちのもの」だった。

ニューウェイブ風味のリーゼントに原宿クリームソーダのジャケット着たメンバーは、ルックスも申し分なし。音楽とファッションが融合した美学がそこにあった。

そんなスタイルでステージに立つ4人。おそらくキャパ500人程度のLIVE INNが満員とまで行かなかったこの時期、ステージの4人の足元まではっきり見えた。そして、ギタリスト布袋氏の足元に並ぶエフェクターの数に圧倒される。僕にとっては完膚なまでのステージングだったが、サードアルバムを出すまでのBOØWYは自らの音を試行錯誤する迷走の時期でもあった。

ファーストアルバム『MORAL』をビクターインビテーションから、セカンド『INSTANT LOVE』はレコード会社を移籍して、徳間ジャパンからリリース。そしてサードアルバムは東芝EMIからのリリース。この期間のBOØWYは、自分たちのサウンドをどのように音源として完璧なものにしていくかを探っている時期だったと思う。あの足元に並ぶエフェクターの数はその試行錯誤を象徴していたように思えた。布袋氏のテレキャスターからは、繊細でひずみのある、今まで聴いたことのないような音色が奏でられた。それは、僕にとって未知のロックンロールだった。

84年から85年にかけて、BOØWYの周辺は大きなうねりを見せて変革していく。瞬く間にライブ会場は、LIVE INNから渋谷公会堂、そして武道館へと変わっていった。

前作とは格段の違いでブロウアップされハイエナジ―サウンドに仕上がったサードアルバム『BOØWY』を手放しに喜びたかったが、青臭い自尊心がそれを邪魔した。「俺たちのバンド」から「みんなのバンド」に変わっていく彼らを、初めて見た当時そのままの記憶に閉じ込めておきたかったのである。

そして、国民的バンドとして伝説となった今でも、僕の中ではLIVE INNで見たBOØWYのままだ。

2017.11.05
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カタリベ
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