7月21日

チェッカーズのドラムス・徳永善也のグルーヴ!アルバム版「涙のリクエスト」は必聴

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ライブバンド、アルバムアーティストであり続けたチェッカーズ


ザ・チェッカーズ(以下チェッカーズ)はアマチュア期を過ごした久留米時代、徳永善也(クロベエ)の加入により、唯一無二のバンドとして本格的に動き出す。そして、徳永の逝去によって、噂される再結成はあり得なくなったと僕は思っている。

チェッカーズが「涙のリクエスト」で大ブレイク、チャート席巻するヒットメイカーであったのと同時にライブバンド、アルバムアーティストであり続けたのは徳永の力量とセンスに依るところが大きい。

結成当時、徳永はキューティスという自分のバンドがあったため加入を渋り、半ば強制的にチェッカーズに加入させられたのは有名な話だ。徳永だけでなく、久留米、福岡の精鋭が集められたチェッカーズの中でも徳永の存在はアマチュア時代から解散まで、バンドの土台を構築し、守り抜いた。

チェッカーズが歌謡曲と一線を画した大きな要因とは?


1984年に「涙のリクエスト」でブレイクした時、まず目を見張ったのは、この曲の導入部で、アカペラからバッキングの演奏が入るときに徳永が見せるバスドラの踏み込み方だった。一見アイドルグループとされていたチェッカーズが本格的なバンドの片鱗をわかりやすく見せてくれたのは、この瞬間だった。

これに関しては、仲井戸麗市が1966年のビートルズの来日公演に際したリンゴ・スターのドラミングに関してこんな風に語っていたのと同様だと思う。

「リンゴの「アイ・フィール・ファイン」のバスドラの踏み方を鮮明に覚えている。今も確かに覚えている。バツグンだった。本物だった」と。

徳永もまた、バツグンだった。本物だった。正確なリズムで前へ前へグングンとバンドのグルーヴを加速させていくスタイルこそが、チェッカーズが歌謡曲と一線を画すひとつの大きな要因だ。

このグルーヴはファーストアルバム『絶対チェッカーズ!!』に収録されている「涙のリクエスト」のアルバムバージョンを聴けばダイレクトに伝わってくると思う。そして、この前のめりに紡ぎ出すドラムのグルーヴ感にベース、サックス、ギターのカッティングが絶妙に絡み合い、マイナー調のメロディが唯一無二のチェッカーズサウンドとして昇華したのが5枚目の「ジュリアに傷心」だ。デビューから約1年でリリースされたこの曲がチェッカーズの最初の到達点だったとすると、その根源には徳永のドラミングがあった。



チェッカーズの “青春” を象徴しているクロベエのドラミング


また、徳永は自らのルーツを忘れずに素直にパフォーマンスとして打ち出していたことも忘れてはならない。

1985年にリリースされたシングル「俺たちのロカビリーナイト」のB面に収録され、徳永自らが作曲を手がけ、リードボーカルを取る「青い目のHigh School Queen」は、アマチュア時代のバンド名 “キューティス” の由来でもあった「QUTY SUE(キューティー・スー)」が代表曲のひとつでもあるバンド、クールスRCのリスペクトだ。

オールディーズ寄りの甘く切ないメロディに跳ねるリズム。ライブでは肩をゆらせながら、はにかむような笑顔で歌う徳永。藤井郁弥(当時)が「チェッカーズは青春だった」と言うのであれば、その “青春” を象徴している1ページであったように思える。



デビューから9年、チェッカーズの中心にあった職人的なドラミング


そして、チェッカーズは、メンバーがソングライティングを担うようになる。アーティストとして深化していく中、ブリティッシュビート、ブルーアイドソウル、アシッドジャズなど様々な音楽を取り入れ多様性をもたらしていく中で、徳永は、この多様性に柔軟に対応。ベース大土井裕二との堅固なリズム隊がバンドの要であったことも言うまでない。そのドラミングは職人的でもあった。特にUKソウルに傾倒したかのようなビートは秀逸。この部分は、90年代にリリースされたアルバム『I HAVE A DREAM』や『BLUE MOON STONE』で顕著に表れている。

チェッカーズがメジャーデビュー以降9年間の軌跡の中で徳永のドラムはそのサウンドの中心にあった。それは、チェッカーズがライブバンドでありアルバムアーティストであった証だ。徳永なくしてチェッカーズは存在しない。今も青春の1ページとしてチェッカーズを心に焼き付け毎日を生きているファンはこのことを痛いほどわかっていると思う。

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2023.08.17
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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