7月21日

1984年の伊藤銀次「BEAT CITY」 L.A.レコーディング事情 ~ その7

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photo:SonyMusic  

『1984年の伊藤銀次「BEAT CITY」 L.A.レコーディング事情 ~ その6』からのつづき

1984年のロサンゼルス、吹きまくるブリティッシュ・インベイジョンの風


1984年のロサンゼルス(以下、L.A.)にも、すでにブリティッシュ・インベイジョンの風は吹きまくっていた。

『BEAT CITY』のL.A.レコーディングも、バーニー・グランドマン氏によるマスタリングという最終段階を経て無事に終了。帰国まで少し日にちがあったので、そのごほうびとして、ちょうどその期間にL.A.にやってきていたイギリスのミュージシャンたちのライヴを観ることができたのは僕にとって大きなラッキーだった。

しかもL.A.の北部の山の中、野外にあるグリーク・シアターでのライヴは、まさにカラッとしたL.A.ならではの、あふれる開放感が醍醐味。もうあれから30年以上たった今でも忘れられない、素晴らしい体験だった。

心を奮い立たせたトンプソン・ツインズのパフォーマンス


L.A.で観たイギリス勢。まずはトンプソン・ツインズ。大ヒットシングル「ホールド・ミー・ナウ」が収録されたアルバム『ホールド・ミー・ナウ(Into The Gap)』を引っ提げてのライヴはホントにカラフルで、これまでMTVでしか観れなかったイメージを遥かに超える、スケールの大きなライヴにすっかり酔いしれてしまった。

メインヴォーカルでリーダーのトム・ベイリーは従来のマイクを使わず、もう今ではすっかりポピュラーになったインカムを付けて、ステージ上を自由に動き回って歌っていたのがとても新鮮だった。サウンド、コスチューム、なにもかもが僕の心を奮いたたせるものだったよ。

「Don’t Trust MTV!!」と叫んだジョー・ジャクソン


そして、ブリティッシュ・ニューウェイヴ勢では当時すでにもう重鎮の感があったジョー・ジャクソン。

初期の頃はストレートでニューウェイヴィーなサウンドだったのが、1982年の『ナイト・アンド・デイ』あたりから、ジャズやラテンの要素が濃い音楽に変わってきてのL.A.公演。もはやベテランの風格の漂うステージはとても重厚だったけれど、やっぱりL.A.では初期のサウンドを求める観客が多かったようで、なんとなくどこか不完全燃焼な感じが漂ったライヴになってた感あり。

事実、僕の斜め前にいた若者は、ジョー・ジャクソンの「ビート・クレイジー」が大好きらしくて、ライヴがはじまってからずっと曲の合間に、「Beat Crazy!! Beat Crazy!!」と叫び続けていた。結局、この曲は当日のセットリストに入ってなくて、「ビート・クレイジー」やってくんなかったなぁ… と、残念そうに一緒に来てた友達に語りながら彼は会場を去っていった。

そういえば、この日、ジョーはなんの曲だか忘れたけれど、曲の途中でブレイクしていきなり、「Don’t Trust MTV!!」と叫んだ時はちょっとドキっとさせられた。やっぱり彼は、ただのエンタメで片付けられない硬派で強面なミュージシャンなんだな… との印象をこのライヴで深めることができたよ。

フロントアクトを務めた新人、ハワード・ジョーンズ


そのジョー・ジャクソンのライヴのフロントアクトを務めたのが、ピカピカの新人、なんとL.A.初見参のハワード・ジョーンズ。60年代的なポップスの循環コードを使っていながら、打ち込みでリメイクされた新しい80年代型のエレクトロ・ポップ・ソング「ニュー・ソング」でデビューして間もない頃。だからなのだろうか、メインアクトのジョー・ジャクソンのリッチなバンド編成とは大違いの、なんとステージ上には、ハワードたった1人!! 複数のシンセイザーを操りながら、フットスイッチでドラムマシーンやエレクトロ・パーカッションをON / OFFしながらのワンマンバンド。

絵面的には、派手で立体的… とはどうしても言えなかったけれど、その曲の良さと、1人でやりきる彼の一生懸命なアプローチがウケたのか、なんと想定外のアンコールが!

グリーク・シアターいっぱいのお客さんたちのアンコールに答えて出てきたハワードは「ファーストアルバムの曲は全部やっちゃったのでもう曲がないんだ」とちょっと戸惑い気味のコメントを。「なのでシングルの「ニュー・ソング」をもう一回やっていいかい?」というハワードに観客は大喜び。この瞬間に、彼はきっと人気が出るだろうな… って確信しました。なんか人柄も良くてね。それがライヴを通じて伝わってきた夜でした。

その後、テレビ東京だったか… 深夜の音楽番組に僕がゲストで出演した時、同じ日のゲストがハワード・ジョーンズだったときにはホント驚いた。

L.A.でライヴを観たことなど、いろいろ話せば良かったのだけれど、なんか妙に緊張して遠慮しちゃった僕は、あまり話しかけることができず…。う~ん… いまさら後悔の念にかられているのでした。ただ、会話は交わせなかったけれど、そのとき彼から感じたヴァイブレーションは、あの1984年のL.A.のグリーク・シアターで感じたものとまったく変わってなかったのはすごくうれしかったよ。



2020.12.17
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カタリベ
1950年生まれ
伊藤銀次
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