80年代最大のアイドルがチェッカーズであったことに異論を唱える人はいないだろう。武内享はそのリーダーであり、ジョン・レノンのサイン入りホワイトアルバムをオークションでウン十万で落札するほどのファンだ。私と享くんは同い年で、ビートルマニア同士として親交を深めてきた。 その彼が90年かその次の93年の来日時か定かではないが、ポールのドーム公演を見に行き「ヘイジュード」を朗々と歌い上げるその姿に「けっ」と思って途中で帰ってきたというのである。これは聞き捨てならない。もう最後かもしれない(最後にならなかったけど)ポールの11年ぶりの来日。チケットあるよ。いい席だよ。行こう。 当日Twitterを見ていると享くんは ”歌は誰のものか” ”あの4人が揃っていない状況でも俺は認めることができるのか” というようなことをまだぐずぐずつぶやいている。ビートルズへの思い入れが強すぎるがゆえの逡巡。私は ”誰にも歌われなくなった歌ほど哀しいものはないんだから” とリプライし、待ち合わせ場所に向かった。 時間厳守者同士、ドームへは開演30分以上前についた。ビールを呑んでいると元L⇔Rの黒沢秀樹にばったり会った。彼はポールの東京公演をすべて見ている。何人ものミュージシャンに遭遇するが、みんな明らかに浮かれている。享くんは席を確認すると「じゃ」とどこかへ消えてしまった。始まっても帰ってこない。さてはバックレやがったな。この席を欲しがってる人がどれだけいると思ってるんだ。もう絶交だ。 5曲目くらいでようやく戻ってきた。遠いスタンド席のほうまで行き、来ている全員がポールを大好きでポールのライブを待ち焦がれていることを確認してきたらしい。我々の席はアリーナ前方だったので、「そんな席にいきなり座って、ビートルズの曲を歌うポールをやっぱり受け入れられなくて、おまえに不快な思いをさせるのがイヤだったんだよ」とも言っていた。 中盤「ヒアトゥデイ」ではジョンの写真がスクリーンに大写しになる。ふと横を見ると享くんがバンダナで顔をおおって泣いている。「イエスタデイ」では配られたピンクのサイリュウムを全力で振っていた。終わったあとは真っ赤な目で放心状態。 チェッカーズは92年の大晦日に解散した。あれからいろいろなことがあった。ポールのライブで享くんが何を感じたのかあまり深くは聞いていない。チェッカーズがいて当たり前だった頃を今もときどき思い出す。何度も見せてもらったライブは他に類を見ないクオリティだった。あのときのあの7人は無敵だった。ビートルズの4人が映画『EIGHT DAYS A WEEK』で自分たちについてそう語っているのと同様に。
2016.10.07
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YouTube / matias Consi
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