1月21日

3曲同時にベストテン入り!チェッカーズ「涙のリクエスト」が大ヒットした秘密とは?

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アメリカン・グラフィティから生まれた「涙のリクエスト」


今年レコードデビュー40周年のアニバーサリーを迎えるザ・チェッカーズ(以下チェッカーズ)。周知の通りデビュー曲である「ギザギザハートの子守唄」は、セカンドシングル「涙のリクエスト」の大ヒットにより相乗効果でリリースからしばらくした後にチャートを賑わせた。今考えてみると、なんとも彼ららしい物語の始まりだったと思う。

「ギザギザハートの子守唄」は極めてドメスティックというか、日本独自のツッパリカルチャーを象徴したような楽曲だった。言ってみれば、暴走族、校内暴力といった80年代初頭の世相を反映したようなリリックと、歌謡曲的なフックが絶妙なマイナー調のメロディのインパクトは大きかったが、彼らの本質とは大きくかけ離れていた。

しかし、デビューから4ヶ月後にリリースされた「涙のリクエスト」は、リリックを手掛けた売野雅勇が映画『アメリカン・グラフィティ』から影響を受け書き上げた楽曲だった。そう、チェッカーズの面々が恋焦がれる世界観をフォーマットに、このヒット曲は生まれた。

『アメリカン・グラフィティ』は巨匠ジョージ・ルーカス監督の出世作だ。監督自身の青春時代をなぞり、1962年のアメリカの片田舎を舞台にした一夜の物語。そこには、恋に喧嘩にロックンロール、喜怒哀楽だけでは語ることのできない、刹那的でヒリヒリとした心の痛みなどティーンエイジャー特有の心の揺れ方が内包されていた。まさにチェッカーズの久留米時代のように…。



自分たちの青春を投影したかのようなリリックと、ドゥーワップに夢中だった彼らのアマチュア時代を集大成するかのように全面に打ち出したコーラスワーク。そして、ドラムのビートがバンドのグルーヴを率先していくシンプルなロックンロール。まさに当時のチェッカーズの精神性を投影させたような楽曲だったと思う。

イントロのアカペラから、楽曲に魂を注ぐように徳永善也(クロベエ)がバスドラを踏み込んだ瞬間にチェッカーズのサクセスストーリーは始まった。

ツッパリの終焉とチェッカーズの登場


アメリカン・グラフィティが夏の終わりを象徴しているように、この曲もまた、夏、海、恋、そんな青春の切なさと甘酸っぱさが際立っていた。そして、彼らと同じように古き良き時代のロックンロールへの憧憬を具現化していった偉大なる先人、矢沢永吉のキャロル、結成当初は舘ひろしが在籍していたクールスの系譜にあったように思う。

ただ、正しく継承していながら、チェッカーズは何もかもが新しかった。それは時代が味方したからかもしれない。

1983年という時代を振り返ってみると、80年代初頭に一世を風靡した横浜銀蝿が解散。ツッパリカルチャー終焉の年でもあった。彼らの過激にデコレートしたリーゼントや白いドカンにしても、ツッパリたちが好んだ長ラン、ボンタンといった改造学生服にしても、そういう、ある意味マッチョイズムともとれる価値観の崩壊が始まった年でもあった。そこにきて、ポップさを極限まで追求したチェッカーズのスタイリングは、ぽっかり空いた時代の穴を埋めるような新たな価値観だったと思う。

先駆的なスタイルで、普遍的なロックンロールを奏でる。この相反する要因が時代の起爆剤となった。チェッカーズはドゥーワップやオールディーズを継承しながら、そこに潜むゴツゴツとした本質を中和させながらお茶の間に届け、全国を席巻した。

彼らのファッションが人気の着火点だという声もあるが、実は、そこだけではない。時代の先鋭となるファッションというベールに包まれ、彼らの久留米時代から変わらない音楽性が潜んでいたからこそ、「涙のリクエスト」という大ヒットが生まれたのだ。

チェッカーズは青春だった


84年の1月にリリースされた「涙のリクエスト」であるが、このリリース時期というのが今となっても不思議でならない。それはキラキラ眩い初夏の時期になっても、街に鳴り響き、ディスコのキラーチューンとしても、この曲は相変わらずの盛り上がりを見せていたからだ。同年の5月に3枚目のシングルとなる「哀しくてジェラシー」がリリースされ、チェッカーズは、デビュー曲から3曲全てがオリコントップテン入りという快挙を果たした。3ヶ月に1枚のシングルリリースが当たり前だったこの時代に「涙のリクエスト」はロングヒットとなった。

84年、眩い初夏が夏本番となろうとする時期にチェッカーズは「涙のリクエスト」を収録したファーストアルバム『絶対チェッカーズ!!』をリリースする。この時、藤井郁弥(当時)はこんなコメントを残した。

「このLPで思い出がいっぱい残ってくれると最高ですね。3年後ぐらいに聴いて “これが私の青春だったわ” みたいな感じでね」

―― と。



ひと夏の残像を1枚のアルバムにめいっぱい詰め込んだ『絶対チェッカーズ!!』も、このアルバムの世界観を最も浮き彫りにしている「涙のリクエスト」も、決して色褪せることなく、今も心の奥に鮮やかな色彩を残している。多くのファンは思うだろう。3年後なんてものじゃない。40年近く経った今も ”これが私の青春だったわ” と。

そして、藤井フミヤも言う。

「チェッカーズは青春だった」

―― と。

青春ほどすごいものはない。

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2023.01.21
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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