芸風・路線の大幅な変更というのは、タレントや役者に限ったことではなく、ミュージシャンにおいても時おり見られる話である。その場合、従来のファンをどれだけ維持する気があるのか、それを捨てて新しいパイを取りに行くのか、というのはマーケティングの事例としてなかなかに興味深い。 いちばん分かりやすい例は、長渕剛だろう。デビューしたての頃は、ヤマハのポプコン系にありがちな、ちょっと軟派なフォークミュージシャンという風だった。それが気がつけば天上天下唯我独尊な別人キャラになったときは唖然としたものだ。そこまでは極端でないにせよ、浜田省吾の微妙かつ巧妙な路線変更は見事なものだった。しかも、似たような名前のシンガーが同じ頃に同じ路線で売り出していたのだから、話は少々ややこしくなる。 1976年に『路地裏の少年』でソロデビューした際は、まだ彼の詞には70年代前半の学生運動の色が残っていた。同時期の『いちご白書をもう一度』(バンバン)とか『神田川』(南こうせつとかぐや姫)とかの歌詞にも、その残像がみられる。 それが78年ぐらいになると、地方から上京した青年がおしゃれになって都会生活を満喫、みたいな曲調に変わる。かまやつひろしがDJをしていたラジオ番組=ニッポン放送『ニューミュージックベスト10』で、『グッドナイト・トーキョー』という曲を聴き、いいなと私が思ったのも、この頃だ。さらに、おりからのニューミュージック・ブームに乗って日清カップヌードルCMソング『風を感じて』を出した浜田省吾は、完全にシティポップスの人に分類されていた。 しかも同じジャンルに浜田「金吾」という人物が登場する。名前も似てれば、グラサン長髪の風貌も似てる。おまけにレコード会社が「浜田といえば、金吾です」というキャッチコピーでNY録音の新譜を売り出したのだ。当時、二人を混同していた人が少なからずいたことを、歴史の証言者としてここに記しておく。 だが、「省吾」は、80年ごろから急速に社会派ロックに路線変更してゆく。初心をもう一度思い出したのか、心地よい音楽で都会派ぶってる自分に嫌気がさしたのか。己の出自である広島、そこから生じるメッセージ性、都会の片隅で暮らす青年の葛藤… それはバラードにおいても例外ではなく、『愛という名のもとに』『悲しみは雪のように』と昇華する。 私が浜田省吾を好きなのは、長渕剛のようにそこに無理して繕った虚勢(そう、あたかも薬物で逮捕された有名野球選手と同じように)がないからだ。それまでオシャレ野郎と思っていた男が「実は…」と告白するようなリアリティが、そこにはある。グラス片手に高層ビルの夜景を眺めて浮かれていた青年がいうからこそ、「もう一度、孤独に火をつけて」(『ON THE ROAD』)というセリフが響くのである。 そんなハマショー社会派ソングの代表『愛の世代の前に』のPVを、私の先輩Nさんが制作した2001年10月14日NHK特番のボーカルリテイク版でぜひみてほしい。なんと、この特番、まさに⒐11で米国がアフガン攻撃をしている最中にオンエアされた。逆Lの画面を見ながら、Nさんが「このタイミングでこんな事になるなんて、嘘みたいだろ。まさに歌の世界そのものだよ!」と語ったことが忘れられない。
2016.04.15
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