10月8日

EPICソニー名曲列伝:渡辺満里奈「深呼吸して」そのアイドルはサブカルに向かう

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EPICソニー名曲列伝 vol.15

渡辺満里奈『深呼吸して』
作詞:秋元康
作曲:山本はるきち
編曲:新川博
発売:1986年10月8日

ここで唐突に、おニャン子クラブのシングルが出てくる。

渡辺「美里」に代表される「アイドル歌謡曲とニューミュージックとロックの中間市場」を創造し・君臨したエピックの歴史の中で、純然たるアイドル音楽は完全に外様である。個人的に印象にあるのは、この渡辺満里奈に加えて、東京パフォーマンスドール(含む篠原涼子)くらいか。また、音としても、エピック情緒の薄い、完全なアイドルポップスである。

おニャン子クラブの音楽的功績というのが確かにあって、松田聖子が結婚、中森明菜は大人の世界に移行、82年組アイドルも一巡した80年代中盤に、アメリカンポップス・ベースのシンプルな音楽の魅力を復権させたことである。

その代表が『冬のオペラグラス』(新田恵利)、『じゃあね』(おニャン子クラブ)、『風のInvitation』(福永恵規)という、86年の前半に発売された3枚のシングルである。ただこの音楽的クオリティも長くは続かず、一種粗製乱造にも近い形となって、人気も低迷。翌87年の9月に早々と解散する。

おニャン子ブームが下り坂に向かっていた86年の秋に発売されたこの曲も、強い印象を残すものではなかった。音楽的にも『冬のオペラグラス』のような破天荒なパワーに欠けると思ったし、歌っている渡辺満里奈が、どことなく居心地悪そうにしていたことも、個人的にはマイナス印象だった。

やたらと瑣末なことを書く。おニャン子クラブ解散と相前後して終了したフジテレビ『夕やけニャンニャン』の後番組『桃色学園都市宣言!!』の水曜日版「抜弁天女学館」の主演級で渡辺満里奈が起用された。その番組は女子高の新体操部の設定で、出演者は全員レオタードを着ていたのだが、渡辺満里奈だけは、かたくなにジャージを着用し続けたのだ。

「アイドル志向、芸能界志向の弱い人」なのだと、そのとき私は認識したのだが、ではそれらが「弱い」分、どんな志向に「強い」人だったのかが、数年後に判明することになる。

90年のシングル『大好きなシャツ』の作詞・作曲はDOUBLE KNOCKOUT CORPORATION(フリッパーズ・ギターのペンネーム)。92年の『BIRTHDAY BOY』の作詞・作曲は小沢健二。そして、95年のシングル『うれしい予感』の作曲と、同曲を含む96年のアルバム『Ring-a-Bell』のプロデュースは、なんと大瀧詠一。

つまり渡辺満里奈はサブカルチャー志向が「強い」人だったのである。フリッパーズ・ギター / 小沢健二との出会いは、私の手元にある雑誌『明星』(集英社)の90年4月号。この号で渡辺満里奈は、初対面のフリッパーズ・ギターと対談しているのだ。こんな感じで。

―― 雑誌の記事で彼らのことを知って、デビュー CD の『THREE CHEERS FOR OUR SIDE』を買ってみたら、大当りーだったの。言葉じゃ言いにくいけど、大好きな音の世界があって、もう合う(ママ)人ごとに「いいよ、いいよ」って言いまくって…。で、実現したんです。これが。話すのはじめてだから、緊張しちゃうなぁ…。

この対談の中には、当時渋谷クアトロで行われたフェアーグラウンド・アトラクションのコンサートで小沢健二が渡辺満里奈を見かけたと言っていたり、渡辺満里奈がジャック・タチ監督の『ぼくの伯父さんの休暇』を見たと話していたりと、サブカルチャー度(それも当時のおしゃれ系)満点の展開となっている。

こういう渡辺満里奈のサブカルチャー志向を痛烈に批判したのが、故・ナンシー関である。著作『何だかんだと』(世界文化社)に収録された、00年のコラム「渡辺満里奈『台湾通宣言』はミッキー安川への第一歩となるか」では、その頃「台湾通」をアピールしていた渡辺満里奈に対して、こう斬り込んでいる。

―― 久々ともいえる「満里奈の所信表明」だ。さあ、今度は台湾で行くわよ、ということなのである。かつては「小沢健二」や「フランス映画(単館上映系)」などで「いくわよ」の姿勢を見せていたわけであるが。さて、一体どこに「いくわよ」なのか。どこなのかははっきりとわからないが「小沢健二」「フランス映画」「台湾」が同一の目的地に向かっていることは確かだ。

とかなり手厳しい。90年代以降展開された、ナンシー関による一連の「渡辺満里奈批判」によって、当時の私も「渡辺満里奈評」を手厳しい方向に変えたし、この記事も「名曲列伝」と銘打ちながら、クールな書きっぷりになっているのも、そのときの「渡辺満里奈評」を引きずっている。私にとって、ナンシー関はそういう人なのだからしょうがない。渡辺満里奈には、相手が悪かったとしか言いようがない。

渡辺満里奈と同様に、アイドル出自でサブカルチャー方面との連携を強めた先輩に小泉今日子がいる。ただしキョンキョンは、好き勝手やっているうちに、サブカル人脈が吸引されていった(ように見えた)のに対して、渡辺満里奈は、それそのものが目的化している印象を受けた。

おニャン子後期の主要メンバーである渡辺満里奈と工藤静香には、先に書いたような「おニャン子にいることの居心地の悪さ」を感じたものだ。『夕やけニャンニャン』で楽しく歌い踊りながらも、目線は決して笑っていないという感じ。その目線は、おニャン子ブームの終焉をクールに見据え、次なる展開を模索する眼差しでもあった。そしてあれから30年以上経って、渡辺満里奈は、今もなお芸能界で活躍中である。

2019.10.08
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カタリベ
1966年生まれ
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