9月21日

ブラック・キャッツ誕生!原宿クリームソーダから生まれた甘く切ないロカビリー

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ブラック・キャッツのアルバム「CREAM-SODA PRESENTS」がリリースされた日
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photo:Victor Entertainment  

ブラック・キャッツ、原宿クリームソーダのイメージそのままを体現


1981年7月21日シングル「ジニー・ジニー・ジニー」でブラック・キャッツデビュー。その2か月後にはアルバム『CREAM-SODA PRESENTS~BLACK CATS』をリリース。80年代初頭、全国を席捲した50’Sブームの震源地、原宿クリームソーダの店員で結成されたブラック・キャッツは、結成3か月後にはすでにメジャーデビューが決まったという逸話も残されている。バンドサウンドのイニシアチブを握るドラムス久米浩司、ギター久米良昌の兄弟はデビュー当時まだ十代だった。

結成して間もなく、オリジナルも僅か数曲、日々練習に明け暮れる最中にメジャーレコード会社から誘いがくるという逸話は、当時のクリームソーダの人気を体現していた。修学旅行生の巡礼地であり、当時最先端を行く、懐かしくて新しい50’Sスタイルの服は先端のモードとして海外のメディアなどにも紹介される。このショップの “カリスマ店員” であった6人で結成されたラック・キャッツは時代の寵児といっても過言ではない存在だった。

クリームソーダのイメージそのままの黒髪が艶光るリーゼントと、ロンドン発のパンク、ニューウェイヴを経由したアグレッシブな50‘Sファッションに身を包んだブラック・キャッツの6人は、そんなルックスと寸分の狂いもない、パンキッシュなロカビリーを打ち出していた。

共存する十代の衝動と甘く切ないドリーミーな世界


『CREAM-SODA PRESENTS~BLACK CATS』はエディ・コクランやCCRのカヴァーを含む全14曲。十代の衝動とも言うべき躍動感の中に甘く切ないドリーミーな世界が共存していた。彼ら初のオリジナル曲となる「シンガポールナイト」や「1950」で描かれている “永遠の十代” は、40年経った今も全く色褪せず、ロマンティックなその世界観は決して懐メロにならず、当時夢中で聴いたファンの心の奥底に生き続けている。

1960年代初頭の美しいストリングスが奏でるロッカバラードが、時を経て当時青春を謳歌していた人たちにとって美しい思い出の中に閉じ込められていくが、同じようなオールディーズテイストの「シンガポール・ナイト」や「1950」は決して懐かしさで語られることはなかった。

ティーンエイジャーのドリーミーな世界観を40年経った今も色褪せず再現し続け、ファンにとってのリアルタイムとして生き続けている理由は、ブラック・キャッツが音楽だけでなく、ファッション、スタイル三位一体となって自分たちの存在意義を見出していたからだと思う。かつて、ヴォーカルの高田誠一が「ロカビリーは聴く音楽じゃない。見る音楽だよ」とコメントを残していたことが、今も強烈に脳裏に残っている。また、ファーストアルバム『CREAM-SODA PRESENTS~BLACK CATS』は、彼らが働くクリームソーダの店内の印象を音で究極まで具現化していたというのが特筆すべき点である。

ファッション、スタイル、音楽の三位一体がブラック・キャッツの魅力


1981年と言えば、ストレイキャッツはすでにデビューしていたが、ロカビリーという言葉の認知度はまだまだ低かったと思う。ロカビリーといえば『日劇ウエスタンカーニバル』を想起させる… そんな時代だ。

その最中にオールディーズの懐かしさだけでは括ることの出来ない、後に俯瞰してみても時代最前衛といくサウンドを打ち立てた秘密には、音楽、ファッション、スタイルが三位一体となって生まれたサウンドであることと同時に、今の音として打ち立てるための数々のギミックがあったからだと思う。

結成当時のブラック・キャッツは、久米兄弟を除く全員が楽器については全くの初心者だった。そこで、バンドのイメージを固め総合プロデュースを担っていたクリームソーダ社長、山崎眞行氏は、当時桑名正博のバックバンド、ティアドロップスで活躍していた東山光良、林敏明の両名をバンドのコーチングアドバイザーとして抜擢した。

「CREAM-SODA PRESENTS~BLACK CATS」ネオロカビリーに不可欠な “新しい血”


ブラック・キャッツがデビューした1981年当時、後にストレイキャッツの代名詞となる “ネオロカビリー” というジャンル名は存在していなかった。ネオロカビリーとはすなわち、50年代にアメリカ・メンフィス、サンスタジオから派生したロカビリーをどのように時代に合わせ蘇生していくかが、肝であった。昔のロカビリーでは物足りない。だから、ストレイキャッツをプロデュースし世に放ったディヴ・エドモンズしかり “新しい血”は必要不可欠であった。

東山光良は1993年のツイスト再結成に参加するなど、各方面で活躍した腕利きのベーシストだった。林敏明にしてみても、ボブ・ディランに影響を受けフォークの時代にキャリアをスタート。元はっぴいえんど、鈴木茂と共に鈴木茂とハックルバックのドラマーとして、シティポップの名盤『幻のハックルバック』のレコーディングにドラマーとして参加している。

ロカビリーというジャンルにはまさしく畑違いだったが、様々な音楽に精通するミュージシャン2人が参加することにより、生粋の不良少年だったブラック・キャッツの面々がイメージするロカビリーへの憧憬をより具体的かつダイレクトにその魂を音としてレコードの溝に注ぎ込むことに成功した。それがファーストアルバムである『CREAM-SODA PRESENTS~BLACK CATS』だ。

ブラック・キャッツは、1981年のメジャーデビュー以降、セカンドアルバム『VIVIENNE』、ゴーゴーズとの北アメリカツアーを経て完成された『HEAT WAVE』まで、約1年2か月という短い期間に3枚のアルバムをリリース。メンバーは飽くなき探求心を持ちロカビリーを追求していく。甘く切なくパンキッシュなロカビリーは目を見張るような進化を遂げた。『HEAT WAVE』は、ネオロカビリーというジャンルの中で世界最高峰のクオリティを確立。そしてどんな進化を遂げてもファーストアルバムに内包された “永遠の十代” の煌めきは失われることがなかった。

特集 ブラック・キャッツ デビュー40周年を迎えたJAPANESE ROCKABILLYの開祖

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2021.11.25
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カタリベ
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