8月25日

人種の壁を飛び越える音楽、ナイロビのクラブで流れていたポール・サイモン

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ポール・サイモンのアルバム「グレイスランド」(「コール・ミー・アル」を収録)がリリースされた日
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photo:Warner Music Japan  

ナイロビのナイトクラブの扉を開けたとき、僕は強烈なアフリカンビートを想像していた。ところが、聞こえてきたのはポール・サイモンの「コール・ミー・アル(You Can Call Me Al)」だった。そして、フロアでは様々な人種の男女が楽しそうにステップを踏んでいた。

「コール・ミー・アル」は、ポール・サイモンが1986年8月にリリースしたアルバム『グレイスランド』に収められたナンバーだ。グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得した名作だが、当時は批判にもさらされた。理由は、収録曲のいくつかが南アフリカ共和国で録音されていたからだった。

80年代の南アフリカ共和国といえば、「アパルトヘイト(人種隔離政策)」が大きく問題視されていた時代である。西側諸国はこの差別的な政策に反対し、南アフリカでは演奏しない、また南アフリカのミュージシャンが西側諸国で活動するのを制限する等、文化的ボイコットが盛んに行われていた。

そんな時にポール・サイモンは南アフリカへ飛んで、現地のミュージシャンと一緒にレコードを作り、コンサートまでやってしまったわけだから、それを心良く思わない人達がいたことは想像に難くない。

「ポール・サイモンは南アフリカ共和国に利益を与えている」、「アパルトヘイトを支持する差別主義者だ」、「南アフリカの音楽を搾取している白人男」等々、僕が覚えているだけでも結構ひどいことを言われていた。

しかし、どうだろう? そういう人達は『グレイスランド』をまともに聴いていたのだろうか? この実りある美しい音楽を。最初の一音が鳴った瞬間に踊り出したくなるような「コール・ミー・アル」のイントロのファンファーレを。これの一体どこが差別的なのか? 何を搾取したというのか?

「コール・ミー・アル」は、ポール・サイモンが実際に南アフリカを訪れ、異文化に触れたときの興奮を歌っている。音が溢れ、市場には牛がいて、孤児院があり、建物には天使の絵が描かれている。歌詞は一見すると難解だが、まるで旅のスナップ写真を次から次へと見せられているような印象だ。音楽は友好的で、陽気で、そこに人種の壁など存在しない。目に浮かんでくるのは、様々な人達が行き交う賑やかなストリートの風景だ。

楽しいミュージックビデオも制作された。コメディアンのチェビー・チェイスが完璧な口パクを披露し、ポール・サイモンは歌わせてもらえない。しょうがないから、楽器を取っ替え引っ替えする。そして、ひとたびホーンのフレーズが鳴ると、ふたりは立ち上がり、揃いのステップを踏んでみせるのだ。僕はテレビでこのビデオが放送されるのが、いつも楽しみでならなかった。

後にポール・サイモンは、南アフリカのリズムがアメリカのカントリーのリズムと通じているように感じたと語っている。おそらく彼の中では、すべてが繋がって見えたのだろう。アルバムタイトルをエルヴィス・プレスリーの家の名称である『グレイスランド』としたのも、そうした感覚があってこそだと思う。

政治的なイデオロギーが大切なのは、僕にも理解できる。ただし、それが対立を生むことも忘れてはならない。ポール・サイモンが作ろうとしたのは、そうした思想の違いや人種の壁を軽々と飛び越えていく「音楽」だった。彼は誤解や批判を恐れることなくそれを実行し、やり遂げたのだ。

アルバムは世界中で大ヒット。「コール・ミー・アル」も本国アメリカでこそ最高23位にとどまったが、南アフリカ、オーストラリア、アイルランド、ベルギー等、たくさんの国でトップ3にランクインした。

ナイロビのナイトクラブの扉を開けたとき、流れていたのは「コール・ミー・アル」だった。フロアでは様々な人種の男女がこの曲に合わせて楽しそうにステップを踏んでいた。そこにすべての答えがあるような気がするのだ。


2018.09.04
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カタリベ
1970年生まれ
宮井章裕
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