77年には自身のアルバム「雪之丞見参」をリリース、森雪之丞の出自はロック 1970年代後半から数多くのヒットナンバーを生み出してきた森雪之丞は、シブガキ隊や堀ちえみ、Babeなどのアイドルに、滅法楽しく面白い歌詞を書く作詞家であり、また『ドラゴンボールZ』の「CHA-LA HEAD-CHA-LA」や、「キン肉マンGo Fight!」など、80年代アニソンの名作を数多く手がけた人物として知られている。
シブがき隊の「NAI NAI 16」や、「♪イジ・イジ…」のフレージング(歌詞上は easy easy)が愉快な「意地悪ばあさんのテーマ」など、言葉の語感やリズムを重視し、擬音や二音反復、ダブルミーニングを多用する独特の作詞術は、クレジットを見なくてもとわかるほど個性的な作風を持つ。
その一方で、90年代以降はロックアーティストにも数々の名作を提供しているのは、意外な印象もあるが、森雪之丞のもともとの出自はロックなのである。1973年頃より渋谷ジァンジァンなどで弾き語りをはじめており、77年には自身のアルバム『雪之丞見参』を、79年には2作目『1人称・単数・現在』を発表。
バックには知人だった四人囃子の森園勝敏がギターを弾いている他、ゴダイゴやSHOGUNのメンバーも参加している。また、この時代に作詞面で影響を受けたのはジャックスやデヴィッド・ボウイなどで、「人間のダークな部分を闇の中で燃える炎のように表現する世界観が印象的だった」と語っている。
森雪之丞の転機となったミカ・バンドとの出会い VIDEO 森雪之丞が最初にロックに関わったのは、78年のレイジーのアルバム『Dream a Dream』に収録された「フルカウント」。デビュー曲「Hey!I Love You!」以来、レイジーには楽曲を提供してきた森だが、彼らが最初に歌った本格的なロックナンバーがこの曲だった。だが、80年代は前述の通り、アニソンとアイドル歌謡で大ヒットを連発していたこともあり、それ以外でのロック系アーティストとの関わりは少なかった。
それが転機となったのは、89年にサディスティック・ミカ・バンドが桐島かれんをヴォーカルに迎えて再結成された際のこと。この時、高橋幸宏に勧められ、再結成シングル「Boys & Girls」を小原礼とともに作詞。アルバム『天晴』にも「賑やかな孤独」「愛と快楽主義者」などを作詞、小原との共作「42℃のピクニック」、高橋との共作「暮れる想い」など半数近い作品で関わっている。
当初は、森雪之丞のナンセンスな感覚が、ミカ・バンドのテイストに合致したものかとも思ったが、詞の内容はダークネスで退廃的なトーンで、これはデヴィッド・ボウイやジャックスの影響を受けた、作詞家・森雪之丞のもう一つの側面が発揮されているように思う。
森雪之丞は、ミカ・バンドとの出会いを契機に、ロック系アーティストの作詞を数多く手がけるようになる。その代表的な組み合わせが、布袋寅泰、氷室京介という元BOØWYの2人との仕事だ。
「雪之丞見参」を買っていた布袋寅泰、初期からその歌詞に注目していた VIDEO 布袋寅泰とは、90年9月に発売された2作目のソロアルバム『GUITARHYTHM Ⅱ』で日本語の歌詞を歌う際、布袋から森にアプローチがあったという。布袋は中学時代に森のアルバム『雪之丞見参』を買っていたそうで、初期からその詞に注目を置いていたことがわかる。
『GUITARHYTHM Ⅱ』の2枚組全24曲中、森が布袋に提供したのは「SLOW MOTION」「DEVIL’S SUGAR」など8曲。アルバムコンセプトが “時空を超えた魂の旅” というだけあり、スペイシーで壮大な絵巻物のような重厚さを持つが、その中で森は、日本語の美しい響きや情感をもって、絵画的にその世界観を表現するスタイルで挑んだ。
「SLOW MOTION」は幽体離脱がテーマ。「SPHINX」はスフィンクスが歩いている夢を見たというエピソードがベースになっており、「MERRY-GO-ROUND」では天使と悪魔の乗るメリーゴーランドといった具合に、1曲ごとのテーマについて2人はディスカッションを繰り返し、世界観を表現していく手法をとった。森は布袋とともにロンドンに滞在し、スタジオで毎日上がってくる音源をリアルタイムで聴きながら詞を書いたという。
森雪之丞の転機となったミカ・バンドとの出会い VIDEO ビートバンドでの活動から実験性に溢れたソロ作品へと移行するこの時期の布袋に、森雪之丞の日本語詞が果たした役割は大きい。森の詞は、布袋の観念的なテーマに文学性を与えたのである。布袋と森の名コンビぶりが最大限に発揮されたのが、95年に発表されたシングル9作目「POISON」と、続く10作目「スリル」、そして99年発表の18作目「バンビーナ」といった大ヒット作だ。
特に「バンビーナ」は、「♪キングのルールもギャングのコールも」や「世紀末」と「低気圧」といった具合に韻の踏み方が絶妙で、「POISON」も同様だが、森雪之丞のワードが既にリズム感を内包しているので、強力なリフやハイパーなビートに乗せても壊れずに意味が聴き手に届く歌詞が構築できるのだ。この「言葉の持つリズムの捉え方」は、アイドルソングやアニソンと同じ手法であり、その作詞術はロックのビートにも合致するものであったのだ。
これは森がもともと作詞と作曲、どちらも手がけるアーティストであったことが大きいのだろう。また、「POISON」には不倫のテイストを忍ばせ、ロマンティックかつスリリングな匂いを漂わせている。
氷室京介のストイックさが出せた「ダイヤモンド・ダスト」 VIDEO 一方、氷室京介との仕事は、森が布袋に書いた歌詞の素晴らしさに感銘を受け、自分にも書いて欲しいという形での依頼だった。この時、森は布袋に断りを入れ、氷室の作詞に臨んだという。
氷室京介はソロ作に関して、松井五郎や松本隆といった作詞家に依頼するケースも多く、森雪之丞の初起用は99年8月のソロ17作目のシングル「SLEEPLESS NIGHT〜眠れない夜のために〜」が最初。続く18作目の「ダイヤモンド・ダスト」、19作目の「永遠〜Eternity〜」と3作連続のシングルで森が起用された。ことに「ダイヤモンド・ダスト」「永遠〜Eternity〜」はメロウなバラードであり、どちらも大人の男女の濃密な関係性が描かれている。氷室のセクシーなボーカルから放たれる男の色気と相まって、ロマンチックな世界が現出するのだ。特に「ダイヤモンド・ダスト」に関しては、この曲で氷室のストイックさが出せたと後に語っている。
森と氷室のコンビは、2004年のシングル23作目「Wild Romance」まで継続され、セクシーな大人のロックが全面的に展開されていく。もともと同じバンドにいた2人のロックアーティストに、それぞれの個性と世界観を最大限に活かした詞を提供し続けたことは、自分の思いを言葉に乗せて伝えるのではなく、その人物の思いを代弁するかのように物語を構築する、職業作詞家・森雪之丞の矜持と言えるだろう。
hideは森を師匠と呼び慕っていた VIDEO もう1人、森雪之丞が全精力を傾けたロックアーティストを挙げるなら、X JAPANのギタリストhideがいる。93年のソロ1作目「EYES LOVE YOU」と、同日に発売となった第2弾シングル「50%&50%」の作詞は森で、これ以降hideは森を師匠と呼び慕っていたという。前者はデカダンスの極みを、後者では大人の愛のアバンチュールを濃密に描き出し、ロックのビート感と耽美的な世界が両立する狂おしいまでの妖艶な魅力を放っている。
“言葉の快楽を追求する作詞家” と呼んでもいいのだろうか。そのリズム感に満ちた作詞術がエモーショナルな官能美を生み出し、多くのロックアーティストに鮮烈なイメージを照射し続けるのだ。これからも森雪之丞が描く新しい日本語のロックを、心待ちにしたい。
▶ 森雪之丞に関連するコラム一覧はこちら!
2024.01.14