8月31日

女優としてのマドンナ、映画の中のキャラクターとその実像

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マドンナという名を聞いて、欧米の人たちが受ける印象は、漢字をあてれば、聖母(聖女)と記されるように、単に憧れの女性というイメージを持っている日本人とは、だいぶ異なるかも知れない。ゆえに時折 “性” を売り物にするこの人のアーティスト活動にはいつも不謹慎や冒涜という言葉が付きまとってきた。

本名をマドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チッコーネというから、芸名ではない。畏れ多いネーミングではあるが、イタリア語を語源とするその名前は、イタリア系米国人であった彼女の父親の影響によるものであり、それが彼女のファーストネームなのだということは、後で知ることになった。

1958年8月16日生まれの彼女は、なんと今年御年61歳となる。自身が世に出るためセックスシンボルになることを厭わなかったとはいえ、長年にわたりそのイメージを保ち続けるストイックさは並大抵のものではない。初のNo.1ヒットとなった「ライク・ア・ヴァージン」。

マドンナ=聖母だから、処女で結構なのだが、そのすべてを逆手にとって体のラインも露わな衣装と、ゴンドラの船上でやたらと体をくねらせる挑発的な映像は、瞬く間に世界中の MTV を席巻してしまった。この頃、プロモーションのために来日した彼女はテレビにも出演し、いくつかのインタビューにも答えていたのだが、そこで語られた言葉には全く驚かされた。

ある時、聞き手がマドンナの胸のクルス(十字架)に着目し、それをいつも身につけている理由を訊ねた。きっと多くの視聴者は、何かスピリチュアルな回答を期待したことだろう。だが彼女の答えはこうだ。「だって真ん中に裸の男の人がいるってセクシーじゃない?」… 本気かどうかはわからない。だがその発想と徹底ぶりには恐れ入ってしまった。世界中のキリスト教原理主義者たちの逆鱗に触れ、大炎上しそうな発言である。

これだけセルフプロデュースが行き届いていたマドンナが次に利用しようとしたのは、没後20年を経てなお、永遠のセックスシンボルとして神格化されていたマリリン・モンローの再来というイメージだ。位置こそ違うが、彼女のチャームポイントである口元の黒子はビジュアル面で有利に働いた。

続くシングル「マテリアル・ガール」の PV は、モンローの主演映画『紳士は金髪がお好き』のオマージュとして制作され、モンローの再来としてのイメージを定着させるのに大いに貢献した。またその PV 撮影は後に夫となる俳優ショーン・ペンとの出会いをもたらすことになる。

当時若手俳優の有望株であったショーンは、友人宅で MTV を見ていた際、たまたま流れてきた「ライク・ア・ヴァージン」の PV を見て、その時まさに次の PV の撮影現場に彼の知人が参加していることを思い出した。それならばと近くのスタジオへ訪ねて行ったのが、二人の出会いとなったのである。それからわずか8か月。互いに惹かれ合った彼らはマドンナ27歳の誕生日である1985年8月16日に結婚式を挙げる。

向こうっ気が強く、男のいう事など聞かないマドンナと、けんかっ早く、方々で問題児扱いされていたショーンは、ある意味お似合いのカップルとも言えた。結婚式の際に撮影された二人の写真には、パパラッチと取材ヘリにセレモニーを遮られ、中指を立てながら悪態をついていたマドンナと、隠しカメラを持ち込んだカメラマンと取っ組み合いをした後のショーンの姿が映っている。まるで映画『俺たちに明日はない』の主人公、ボニーとクライドのようで、どう見てもお似合いのカップルにしか見えない。これを見る限り、すでに彼女も立派な女優の風格を漂わせているようである。

時を同じくして、彼女は映画界との関わりを急速に深めていく。映画『ビジョン・クエスト / 青春の賭け』のサウンドトラックに「クレイジー・フォー・ユー」が採用され、彼女もクラブシンガー役としてカメオ出演する。この映画は前年に大ヒットした『フットルース』の二番煎じのようなもので、青春映画と MTV を融合させたような作品。個人的には好きな映画であったが、周囲でもそれほど話題にはならなかった。MTV での露出効果も手伝い、この曲は彼女にとって初のバラードでのNo.1ヒットとなった。

この年、映画出演は続き『マドンナのスーザンを探して』にも出演。主演でもないマドンナの人気にあやかった配給会社の邦題の付け方にはうんざりするが、こちらも劇中歌として使用された「イントゥ・ザ・グルーヴ」も大ヒットする。

翌年は夫であるショーンの主演映画『ロンリー・ブラッド』の主題歌として「リヴ・トゥ・テル」を提供。豪華キャストも話題となった作品であったが、結果的にその映像が切り取られて、まるでマドンナの PV のように MTV で流れてヒットに繋がっていく。彼女のミュージシャンとしての引力が強すぎたせいもあるだろう。だが印象的な映画のシーンが PV にインサートされる効果は、ミュージシャン側にも大きなメリットをもたらした。

元来 MTV(PV)はミニムービーのようなものである。撮影にはハリウッドのスタジオが使われ、音楽業界との交流が盛んになると、潤沢なプロモーション予算が映画業界にも流れ込む。マドンナは1987年の映画『フーズ・ザット・ガール』の主演を務め、女優としての活動にも意欲的に取り組んだ。だがアニメのキャラクターと実写の彼女がキュートに動き回る映像は、MTV はもちろん、世界中を回るステージ上のスクリーンにも映し出される。アルバムリリース、ツアーの実施とあらゆるチャネルで彼女が精力的に動くほど、すべては音楽家マドンナの成功に集束されていく。今にして思えば、壮大なプロモーションの一部に過ぎない彼女の演技が正当な評価を得ることは、きっと難しかったと思う。

成功する手段として音楽の道を選び、新世代のセックスシンボルとして君臨しようとしていたマドンナであったが、皮肉なことにそのあまりに大きな成功が彼女の女優としての成功を阻んでいた。そして私生活においても夫であるショーンとの間に秋風が吹き始める。

マスコミ嫌いで知られるショーンは静かに映画製作に没頭することを望んだが、彼が結婚相手に選んだのは「神より有名になる」と自らに誓いを立てた女性であった。数々の暴力沙汰でトラブルを起こしてきた彼の飲酒と DV が原因となったという噂もあったが、生粋の映画人である彼は、安息を得られないマドンナとの結婚生活と、二人のコラボレーションの成果さえ、彼女のビジネスに吸い上げられるような感覚に次第に耐えられなくなっていったのかも知れない。彼らの結婚生活は4年で終わりを迎えた。

1991年、女優としてではないが、マドンナが主役となったドキュメンタリー映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』が公開される。1990年に日本から始まったコンサートツアー『ブロンド・アンビション・ツアー』の裏側から、彼女の私生活までを克明に追った上質のドキュメントである。そこに描かれているのは、成功する意欲に満ち溢れたビジネスウーマンが緻密に計算されたプロモーションを着実に遂行していくさまと、それを阻む壁と懸命に闘い続ける姿であった。

映画は雨の東京公演のシーンから始まる。準備を進める中でマドンナは躊躇なくスタッフを叱り飛ばし、鼓舞していく。開演前のナーバスになる瞬間には、全員が互いに手を握り、円陣を組んで成功に祈りを捧げる。J.P.ゴルチエのデザインによるコーン状に先端が尖ったブラの衣装は、まるでゲームキャラクターの戦闘服のようにも見える。

やがてトロントの公演だったか、官憲による検閲が入り、彼女のダンスを改善しなければ公演は中止するとの圧力をかけられる。争点は股間に当てた手が動いたり、指が曲がったりするかだった。翌日のステージで彼女はどう動くのか。ただオペラグラスを片手にひたすらマドンナの股間を見つめ続ける警官達のことを思うとあまりに気の毒で笑えてしまうのだ。

この映画の中で、もうひとつ印象的だったのは「人生で最も愛した人はショーン」と発言し、彼こそ自分を高めてくれる存在だったことを告白していたことだ。その後もマドンナは2度の結婚を経験したが、2015年に行なわれた彼の暴力を巡る名誉毀損裁判で、法廷に立って擁護する証言をしたことには、かつて彼を追い込んでしまった過去への贖罪の気持ちがあったかも知れない。近年も度々彼に対する変わらぬ好意を口にしているようである。

1993年のエロティックサスペンス映画『ボディ』は、前年、シャロン・ストーンの主演で話題となった映画『氷の微笑』を意識するあまり、後追い感が強かった。彼女の女優としての評価は1996年のミュージカル映画『エビータ』によってようやく実を結ぶことになる。

アルゼンチン国民の熱狂と憎悪を一身に受けた実在の女性、エバ・ペロンの半生を描いたこの作品は、元々ブロードウェイミュージカルではお馴染みの演目である。鉄の意志と時には女性であることを武器にして成り上がり、決して媚びる事なく、だが女性としての側面を失うことがなかったそのキャラクターはマドンナにとってこれ以上にない適役であったかもしれない。歌という強みはあったにせよ、1997年のゴールデングローブ賞でミュージカル・コメディ部門の主演女優賞を獲得することができ、ようやく彼女も報われたのである。

2019.08.16
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カタリベ
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