OSAKA TEENAGE BLUE 1980 ~vol.17 ■ 佐野元春『約束の橋』
作詞:佐野元春
作曲:佐野元春
編曲:佐野元春
発売:1989年4月21日
『佐野元春「約束の橋」①:スージー鈴木の OSAKA TEENAGE BLUE 1980 vol.16』からのつづき騒然とするJR大阪駅コンコース
ネットから火がついて、いつのまにか、大変な騒ぎになってしまった。
「『80年代弱者軍団』の亡霊 / ソンビが、大阪駅に現れた!」とネットメディアに続いて、マスメディアも面白おかしく騒ぎ始めた。
そして、いよいよテレビカメラをもったクルーも集まり始め、JR大阪駅のコンコースは騒然となる。
「僕の個人的な思い出の人々が、ただ現れただけなのに、僕と個人的な会話をしているだけなのに、なぜこんなに騒がれるのだろう?」
そう思いながら僕は、子供の頃に味わった、あの自家中毒のときのような不安感にさいなまれた。
「すいません、MBSテレビです。この集まりは一体何なんですか?」
「ABCラジオです。これはデモなんですか? 何を訴えているんですか?」
昔、子供の頃に親しんだ放送局の記者が、トンチンカンな質問を僕に、そして僕の思い出の連中に浴びせる。そして僕や連中は、突き付けられたマイクを前に、押し黙ってしまう。
「いや、そもそも僕自身も、なぜここにいるのか、なぜ思い出の連中がここに集まったのか、分からないんです……」
と、本音を言おうとしたが、口をつぐんだ。なぜなら、そう言ったとしても、メディアの連中は信じちゃくれないだろうから。
そうこうしているうちに、僕らを囲むメディアの向こう側に、拡声器を持った奇妙な人々が集まり始めた。
「おーい弱者、ここから出て行かんかい!」
「お前ら、生活保護受けてんねんやろ! 税金泥棒!」
何と、ヘイトスピーチが始まった。もちろん標的は僕らだ。そしてそれはいよいよ、耳を疑うような無根拠な内容にまで広がっていく。
「おーい、不満があるんやったら、日本海の向こうの母国に帰れ!」
拡声器の大音量がキッカケとなって、いよいよ警察官も立ち入ってきた。何だか分からないことが起きている間に、何だか分からないえらい騒ぎになってきた。そのとき、思い出の連中の中から、ひときわ高い叫び声が聞こえてきた。
「唇よ、熱く君を語れ」渡辺の姉ちゃん、突然の反撃
「誰が弱者やねん! 誰が哀れんでくれって頼んだんや!」
渡辺の姉ちゃんだ。
渡辺真知子『唇よ、熱く君を語れ』に乗せて、高校の文化祭で、突然のスピーチを始めた、あの姉ちゃんだ。
「あのとき、四年制大学行きたかったのに、短大しか行かれへんかった。青春のうちに、色んなことしたかったのに、早々と結婚させられた。でも、専業主婦になって、子供3人育てて、今やみんな社会に出たわ。振り返ったら、ええ人生やったと思うわ」
さすがは渡辺の姉ちゃん。見てくれは昭和のセーラー服を着た女子高生だが、中身は典型的な「大阪のオバチャン」のようだ。
「短大に行かされて、見合い結婚させられたあの頃、私は、もしかしたら弱者やったかもしれん。でも、未来は絶対に何とかなると思とった。いつかきっと幸せになれるって信じてた」
確かにそうだ。あの頃、ずっとうつむいていた僕も、心のどこかで、何とかなると信じていたものだ。
「でも―― あんたらはどうなん?」
驚くべきことに、渡辺の姉ちゃんは、返す言葉で、令和の大阪を生きる人々に、メッセージを斬り付ける。
「いつの間に、大阪って、こんな冷たい街になったん? 弱者を見つけ出しては、叩き付けて、叩き付けられた弱者が、またさらに自分より弱者を見つけ出しては叩き付けて……」
そして、ヘイトスピーチを繰りかえす面々の下に向かっていき、彼らの拡声器を取り上げて、今この場で、ある意味、もっとも言ってはならないメッセージを、さらにひときわ高い音程で叫んだのだ。
「弱者、弱者って、ほんまの弱者はあんたらやないの!」
大阪駅のコンコースが一瞬、静まり返った。
そして流れたはじめた佐野元春「約束の橋」歌っているのは小川?
少しばかりの静寂の後、状況は爆発した。
そこからはもう、僕自身もよく憶えていない。昔テレビで見た学生運動のデモのように、僕と、思い出の連中と、メディアと、ヘイトスピーチの奴らと、そして警察官がもみ合って、大暴動と化した。
渡辺の姉ちゃん以外の思い出の連中は、もみくちゃにされてヘトヘトになっていた。梅のオッサンはもう、壁に横たわって倒れている。意識がないようだ。ただし、そもそもオッサンは、1985年の阪神優勝の前に、とうの昔に亡くなっているのだが。
大暴動の中、右往左往しながら、僕はこの「OSAKA TEENAGE BLUE」シリーズを書いたことを反省していた。昔のことなんて、思い出さなければよかったのだ。
僕や連中は、ヘイトスピーチの面々が言うように、確かに「弱者」だったのかもしれない。でも、弱者が弱者なりに精一杯生きていた、あの頃の大阪での日々が強烈に愛おしかったのだ。だからこのシリーズを書き始めた。
でも、そんな気持ちのせいで、目の前の大騒ぎになってしまったのだ。過去は過去で封じ込めておくべきだった。なぜなら、あの昭和の日々は、令和の大阪との噛み合わせが悪い。悪過ぎる。そのとき――。
ジャーン!
アコースティックギターの音がした。Aのコードだ。
「ワン、ツー、ワンツー」
AとDのコードストロークの後、曲が始まった。僕にとっては強烈に耳馴染みのある、あの曲だ!
――♪君は行く 奪われた暗やみの中に とまどいながら
佐野元春『約束の橋』。歌う声は… そう。小川の声だ。
僕と一緒に、中学の卒業式で、
RCサクセション『雨上がりの夜空に』を歌った、あの小川の声だ!
たどり着いた「約束の橋」
――♪君は行く ひび割れたまぼろしの中で いらだちながら
中学校の制服を着た小川が歌う。相変わらずのバカでかい声は、混乱と騒乱の大阪駅コンコースにも響き渡る。
僕も、連中も、みんなで耳を澄ませる。マスコミも、警察官も、ヘイトスピーチの奴らも。
歌いながら小川は、弾いているフォークギターを上に掲げる。そのギターは、小川が中学の卒業式で弾いていたのと同じものだった。
みんなの視線が小川に集中する。すると、小川は、曲を途中で止めて叫ぶ。
「さぁ、行くでー!」
そうして小川は、コンコースを突然走り出す。ウヨウヨしていた人々は、一体何が起こったのかと、小川に道をあける。
小川はコンコースを突き抜けて、大阪駅の南口に向かう。そして南口を出たら、左に曲がって、デパートが鼻を突き合わせる歩道橋に向かう。
歩道橋の階段を駆け上がる。そして僕と、僕の思い出の連中は走って、小川に着いていく。その後を、マスコミも、警察官も、ヘイトスピーチの奴らが追っていく。
こうして、大阪駅前の大歩道橋が人で埋まっていく。その中心に小川が立っている。小川はもう一度、AとDのコードストロークを繰り返して、『約束の橋』を歌い出す。
――♪今までの 君は間違いじゃない 君のためなら橋を架けよう
あの頃の大阪の空によく似た、6月の梅雨曇りの大歩道橋に、小川が歌う『約束の橋』が響き渡る。
――♪今までの 君は間違いじゃない 君のためなら橋を架けよう
小川はこのフレーズを繰り返す。小川に僕も声を重ねる。思い出の連中も声を重ねる。
いつのまにか、大歩道橋は合唱になる。そして大歩道橋が、昭和と令和をつなぐ「橋」になる。それは大阪の街はずれの「弱者」と今がつながり合う「橋」だ。
――♪今までの 君は間違いじゃない 君のためなら橋を架けよう
そうだ。何も間違いなんかじゃなかったんだ。
阪神ファンの梅のオッサン、夜逃げを繰り返したあいつ、校内暴力に負けてしまった英語の先生、メンタルを病んで自害したかもしれない親方、相変わらずけたたましい渡辺の姉ちゃん、そして小川、このシリーズに次々と登場した「弱者」たち―― さらには書いた僕も!
――♪今までの 君は間違いじゃない 君のためなら橋を架けよう
小川が持ち込んだ奇想天外な結末に、少しばかりうっとりしていると、突然、僕の意識が麻痺してきた。さっき感じた、自家中毒のときのような症状がまた再発したのだ。
感覚が朦朧としてくる。全員が合唱する『約束の橋』の音が、脳の中でエコーをもって響いて、そして
西城秀樹『ラストシーン』と混じりあう。
意識が―― 意識が途絶えた。
これからの君は間違いじゃない
気が付いたら、僕はどこかの学校の講堂にいた。見覚えがある。これは、僕の息子が通う中学校の講堂ではないか。どうやら文化祭の会場のようだ。コロナ禍を超えた2年ぶりの開催ということで、特別な盛り上がりを見せている。
しかし、舞台で演奏しているのは中学生ではない。大人だ。教師が組んだバンドが演奏する、この中学校の文化祭で恒例のコーナーだ。
歌は、さっきと同じ、佐野元春『約束の橋』。しかし歩道橋の上のギター一本ではなく、バンドサウンドが講堂のエコー付きで響いている。
バンドの真ん中で、ギターを持って歌っているのは小川だ。でも今度は中学生時代の見てくれではない、今の、50代の、かなり貫禄が付いた小川だ。
「小川、うちの息子が通う中学の先生になっとんたんや……」
オーディエンスは乗りに乗っている。学生も父兄も、小川の素晴らしい歌声と、他の教師が醸し出すバンドの一体感ある演奏に魅了されている。
僕は今、息子の文化祭に来ているのか。でも、それにしても、息子の姿が見当たらない。
と、後ろを振り向いてみると、講堂の出口の廊下で、息子が1人たたずんでいる。講堂の盛り上がりが、いかにもうっとうしいかのように、窓に寄りかかって、うつむきながら、スマホで何かを聴いている。
「文化祭、早く終わんねぇかなぁ」というオーラを、身体全体から醸し出しながら。
その寂しげな姿にオーバーラップして、小川の声が響く。
――♪これからの 君は間違いじゃない 君のためなら河を渡ろう
「これからの君」……「これからの君」。その瞬間―― つながった。昭和と令和の「TEENAGE BLUE」が完全につながった。
いかにもうっとうしそうな息子の姿は、あの頃、ヤンキーに踏み付けられながらYMOやプラスチックスのことを思った僕の姿、そのものではないか。
昭和と令和のTEENAGE BLUEが、一周回って、丸くつながった。この瞬間のために、僕はこのシリーズを書いていたのか。
『約束の橋』が響き渡る講堂を後にして、僕に目線も合わせない息子のお尻をポーンと叩いて、廊下を駆け抜けて、僕は一人、その中学校のカフェテリアに向かった。
そして急いでPCを広げて、今、このパートを書き終わった。そして小声でつぶやいた。
――♪これからの 君は間違いじゃない 君のためなら河を渡ろう
(完)
※好評をいただいておりました(盛ってはいません。これまでとは反応が一段異なりました)本シリーズ「OSAKA TEENAGE BLUE 1980」は、これにて中締めです。実は今回のエピソードの前後に、亡くなった両親も絡む大騒動があったのですが、それも含めて、おそらくは、かなり大胆に加筆修正するであろう書籍化の際に、またお目にかかれればと思います。ご愛読、ありがとうございました。
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2022.07.11