4月21日

佐野元春「約束の橋」①:スージー鈴木の OSAKA TEENAGE BLUE 1980 vol.16

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OSAKA TEENAGE BLUE 1980 ~vol.16

■ 佐野元春『約束の橋』
作詞:佐野元春
作曲:佐野元春
編曲:佐野元春
発売:1989年4月21日

約半年間、長くご愛顧いただきました「OSAKA TEENAGE BLUE 1980」シリーズですが、いよいよ最終回を迎えることとなりました。最終回ということで、前編・後編に分かれていますが、表題にもありますように、主人公の「僕」にとって、80年代を総括するような曲だった佐野元春『約束の橋』に乗せて、その80年代が始まったあたりに、大阪の街はずれでしょぼくれていた「僕」や、周りの連中とのあの日々を総括する回になります。それでは――「僕」は行く 奪われた暗闇の中に とまどいながら――。

あの連中が、令和の大阪駅に帰ってきた


あれから40年以上の月日が流れた2022年。僕は50歳を超えて、何かに突き動かされるように、当時のことを一つひとつ思い出して、このシリーズを書き連ねてきた。

書くたびに胸をよぎるのは、当時の大阪の風景だ。もちろん晴天の日もたくさんあったはずなのだが、それでも心に浮かぶのは、厚い雲の上に光化学スモッグが重くのしかかった、手の届きそうな低い空。厚ぼったく低い空の下で、受験勉強や校内暴力や、思春期特有の面倒くさい衝動や自意識がないまぜになったあの日々。

そして、あの混沌とした日々に、僕の周りにたむろしていた、どこか足りない、でもどこか憎めないあの人・この人・あいつら・こいつら――。

連中のことを、ひたすら思って・思って、うんうんと考えて・考えて、このシリーズを綴ってきた。

思い過ぎたのかもしれない。考え過ぎたのかもしれない。何と、あの頃のあの連中が僕の前に現れた!

出現した場所はJR大阪駅の中央コンコース。2022年の6月、マスクをした人々が通り過ぎていく大型通路に、あの頃の年齢、あの頃の出で立ちで、連中は僕に向かって、ぞろぞろと歩いてくる。一様にくすんだ服装。学生服で立ちすくむ中学生もいれば、ステテコ姿で仁王立つ老人もいる。そのさまを冷たく怪訝な顔で見つめる令和の大阪人。

2022年の大阪のど真ん中が、1980年前後の大阪の街はずれに染められていく異様な光景。

連中はみんな、懐かしのドーナツ盤を持っている。両手でドーナツ盤を持って、ゆっくりゆっくりと歩道橋の上を進んできて、僕の前にずらっと並ぶ。あの頃の連中が、あの頃の年齢、あの頃の出で立ちで、そして、あの頃の言葉で、私に語りかける。

「タイムトラベル」梅のオッサンと「想い出のスクリーン」が好きだったあいつ


原田真二『タイムトラベル』のジャケットを、僕に突き出して喋りだしたのは、当時、僕の家の裏の木造アパートに住んでいた、通称「梅のオッサン」だ。

銭湯で知り合った、お尻のあたりに、まるで梅干しのようなデキモノか腫瘍のような何かがくっついていた阪神ファンのオッサン。

「こんな曲、知らんけどな。流行っとんたんかいなぁ」

…と、『タイムトラベル』のジャケット見て、前置きしながら、

「阪神ファンずーっとやってました。それで、阪神が勝ったら、ボロいアパートの窓越しでこの子らに話しかけてやな……」

…と僕の方を指さして、僕に聞く。

「結局、あれから阪神は優勝したんかいな? ワシは昭和39年の藤本監督の優勝が最後になってもうたわ」

…と言う。もしかしたらオッサンは知らないのか?

「え! 1985年、掛布、バース、岡田、真弓で優勝したんやで。日本一になったんやで!」
「そんなん知らんわぁ。ワシ、もう死んどったから」

やはりそうだったのか。目の前で生きて話している梅のオッサンは、実際はもう、とうの昔に死んでいるのか。

「でももう一回、阪神が優勝した年に戻りたいわ……あ、それが『タイムトラベル』っちゅうことか。ワッハッハ」

…とオチを付けて、奇妙なスピーチが終わる。

次は、八神純子『想い出のスクリーン』が好きだったあいつだ。僕と同い年のはずにもかかわらず、目の前にいるのは当時の、中1の彼だ。手には『想い出のスクリーン』のジャケットを持っている。八神純子の曲で意気投合したのに、何かの事情で突然、オヤジと一緒に夜逃げしてしまった彼だ。

「もう一回、お前と『想い出のスクリーン』の話したかったんやぁ。今日会えて良かったわ」

…と切り出して続ける。

「笑うで。ちゅうか、笑えん話やけど、あれから何回か夜逃げしてん。オヤジの借金が原因で、借金取りが来よるから、アパートに住めへんくなんねん。お前らの前から逃げたときは、オヤジと一緒にリヤカー引いて、もうほんまに、絵に描いたような夜逃げやったわ」

なるほど、見た目は当時のままの中1だが、中身は僕と同じ50代になっているのか。話の中身も口調も、50代のそれになっている。ということは、彼はどこかで生きているのだろう。

「大変やったんやなぁ。みんなで心配してたんやで」

僕の言葉にうなずきながら、彼は続ける。

「お前から借りたカセットテープ、めっちゃ聴いたで。返すのに手紙書こと思(おも)たけど、俺アホやから、手紙なんて書かれへんから、テープだけ部屋に置いていったんや」

思った通りだ。彼は僕から借りたカセットテープを、ちゃんと返したいという意志はあったのだ。

「でもな、この曲のな、『♪愛しているのなら 愛していると 言葉にすればよかった』っていう歌詞が好きやったから……」

…と言いかけた途端、感極まったのか、目に涙を溜め始めた。絶対に泣くようなやつじゃなかったのに、40年以上の年月、年輪が、彼の涙腺を変えてしまった。

「言葉にせなあかんかったのに、と思い続けたんや。あのとき、『想い出のスクリーン』の話をしてくれて、おおきに」

40年以上の年月、年輪は、どうも僕の涙腺の動きも変えてしまったようだ。

「スターティング・オーヴァー」の英語の先生と「ロックンロール・ナイト」の親方


「あれからすぐ、教師は辞めたった。やっぱり俺には合わんかったみたいや」

…と話すのは、ジョン・レノン『スターティング・オーヴァー』のジャケットを手にもった、僕が中2のときの英語の先生だ。

校内暴力の餌食となって、不良生徒に突き上げられて、たった1年で別の中学に赴任した彼だ。

「あれからどうなさったんですか?」
「次の中学でも結局同(おんな)じやった。ちゅうか、次のほうがひどかった。今で言う学級崩壊みたいになって、もうほんまに、めちゃくちゃやったわ」

アメリカに留学して、向こうの学生運動を目の当たりにして、日本の英語教育を変えてやると意気込んで帰ってきたはずの先生。しかし、校内暴力、学級崩壊のような、つまらない事情に翻弄されて、夢破れた人生――。

「で、今は何を?」
「なんかあれからフラフラしっぱなしで、妻子とも別れて、アメリカに何度も行って、時代遅れのヒッピーみたいな暮らしも経験して、気が付いたら、もう死にかけのジジイや。何回も『スターティング・オーヴァー』したけど、その都度『ゲーム・オーヴァー』になったわ……」

笑っているが、人生を通して悔しかったのだろう。そして心の中で、あのときのように何度も、手を床に叩きつけて「ダン! パン! ダン! パン!」と鳴らしたのだろう。

その横にいるのは、予備校で知り合った「親方」だ。僕に佐野元春『ロックンロール・ナイト』を教えてくれた、予備校では同じクラスだったけれど1年先輩。僕とは違い、「京大進学コース」の名に恥じず、二浪して京大に受かってからは、音信不通だった。

「久しぶりやなぁ。ていうか大阪のこのあたり、久しぶりやわぁ」
「親方、久しぶりです。今はどちらにいらっしゃるんですか?」
「あんなぁ、俺な、去年死んでもうたんや」

何と。生きていればまだ50代後半の親方が、早々と亡くなっていたとは。そして今、あの予備校の頃の姿で、大阪駅前に現れている。

「京大卒業してなぁ、電機メーカーに勤めてなぁ、それからは転勤転勤で、ずっと大阪離れて、海外も長かったけどな」
「ええ感じやないですか。なのに、なぜ?」
「仕事が……仕事がしんどかった。お前も知ってると思うけど、最近は日本の電機メーカーもしんどうてなぁ。上司はガイジンになるし、で、最後の10年間は、メンタルやられてしもてなぁ」

と、手に持っていた佐野元春『SOMEDAY』のLPジャケットを取り出す。

「それこそ、いつか、いつか、SOMEDAYと思って会社に尽くしてきたけど、あかん、ゴールデンリングは、どこにも無かったんや……」

もしかしたら親方は自害したのだろうか。そのあたり、僕にはよく分からないし、聞く勇気もない。

それにしても、どうしたことだろう。

80年代初頭、厚ぼったく低い空の下の大阪。高度経済成長なんて言葉で盛り上がったずっと後、バブル経済なんて言葉で盛り上がるずっと前、それでも、この国はもっと豊かになる、明日は今日より素晴らしいはずと思っていたのに、フタを開けたら、僕の周囲にいた連中はみんな、明けることのない閉塞感の中に生きていたのだ。

2022年の大阪駅のコンコース、一様にくすんだ連中と僕が、数十年ぶりの邂逅をしているさまは、周囲から見ると奇妙な一団に見えたのだろう。始めは、冷たく怪訝な目で遠ざけられていたのだが、一部の若者が興味を持ち出して、スマホを向けて、撮影を始めた。

そして、「突然、レコードジャケットを持って大阪駅に集まった不気味な集団」としてネットで拡散され、話している内容がアップされ始めたのだ。コメント欄には辛辣な書き込みが続く。

「ロックやニューミュージック、シティポップって、こんなにパッとしない連中が聴いていたのか」
「てか、数十年経っても、うじうじ言い訳ばっかりの連中やん」
「まるで弱者の同窓会やなwww」

そう、まさに「弱者の同窓会」だ。でも、何だ? 「弱者」って。どこからの目線で何が基準なんだ? じゃ「強者」は誰なんだ?

「弱者の同窓会」はまだまだ続いていく――。


(次回へ続く)

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2022.07.10
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Baliみにょん
毎回立ち上がる映像に思いを馳せ、キュンとするシリーズがいよいよ最終回へ。

《明日は今日より素晴らしいはずと思っていたのに、フタを開けたら、僕の周囲にいた連中はみんな、明けることのない閉塞感の中に生きていたのだ》
辛い事などなにもわかっていず、幸せの素晴らしさなど見たことがなかったTeenage。熟年になった今、"明日への希望"の出口はあるのだろうか。
2022/07/10 11:02
1
返信
カタリベ
1966年生まれ
スージー鈴木
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