情報収集はラジオが頼り、音楽との出会いはレンタルレコード
新年あけましておめでとうございます。
2021年が幕を開けました。僕がリマインダーに寄稿するようになって今年で5年目になります。80年代に思いを馳せて、なぜ40年も昔の出来事が自分の人生において、これほどまでに影響を及ぼしているのか… を考えながらペンを走らせているのですが、正直のところ、今も聴き続けている当時の音楽が懐かしいという感情は皆無に近いです。
世相を振り返ってみると、40年前といえば、携帯電話はおろか、テレホンカードすらなかった時代です。そんなはるか昔、部屋に鎮座していた主役はラジカセで、音楽に関する情報収集はラジオが頼りでした。サブスクリプションの代わりにレンタルレコードがあり、音楽との出会いは街の一角にありました。
そんな40年前の1981年は、僕が音楽と出会った年であり、FMラジオのエアチェックから洋楽のヒットチャートを知り、貸レコード店で見た目が気に入った日本のロックンロールバンドを片っ端から聴いていきました。ジャケ買いならぬジャケ借り… ですね(笑)。
幸運なことに、当時出逢ったバンドのほとんどは今もフェイバリットとして頻繁に僕の部屋で鳴り響いています。聴き続けていれば懐かしがる隙は寸分もないのです。数年前のガラケーのフォルムを久々に見ると妙に懐かしいという感情が湧き上がってきますが、不思議なものです。
1981年の音楽、大滝詠一、佐野元春、RCサクセション、ザ・モッズ、暴威…
1981年、どんな音楽があったのでしょうか。
大滝詠一の『A LONG VACATION』が大ヒット。デビュー2年目で、未だヒットに恵まれていなかった佐野元春は都市生活者の夜をコンセプトにした傑作アルバム『Heart Beat』をリリースしています。
グラマラスなロックンロールバンドに変貌したRCサクセションは、前年のライブアルバム『RHAPSODY』でバンドのグルーヴが頂点に達し後、その風格を継承させた傑作アルバム『BLUE』を発表。
そして、今年2021年に結成40周年を迎え、休むことなく最前線バンドとして多くのファンを沸かせているザ・モッズがデビューし、また、暴威(後のBOØWY)が新宿ロフトで、オーディエンスわずか13人の前でデビューライブを行い、ファーストアルバム『MORAL』のレコーディングを開始したのも1981年なのです。
1981年の音楽シーンに共通するキーワード “ロックンロール”
このように、書いていけば枚挙に暇がないのですが、これらのミュージシャンが80年代を牽引し、今に続く日本の音楽シーンの礎を作ったと言っても過言ではないでしょう。では、彼らに共通するキーワードは何かと言いますと、それは “ロックンロール” に他ならないのです。
ロックンロールといえば横浜銀蝿の「ツッパリHigh School Rock’n Roll」が大ヒット。古き良きアメリカに新たな価値観を求めた空前のフィフティーズブームが巻き起こります。また、暴走族風のコスプレをした「なめ猫」が一世を風靡し、免許証風のブロマイドが爆発的に売れまくりました。
そんな “ツッパリカルチャー” として、その軽妙さを体現していたロックンロールでしたが、その深層をどのようにアピールしていくか… ということを模索していたアーティストたちが続々と頭角を現し、また後世に残る素晴らしい作品をリリースしていったのです。
大滝詠一「さらばシベリア鉄道」で知るロックンロールへの解釈と憧憬
例えば、大滝詠一サウンドの特徴をひとつ挙げるとするなら、50年代、60年代の古いロックンロールを基盤とし、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを追求。これをどのようにクリエイトしていったのかは、『A LONG VACATION』を聴けば一目瞭然だと思います。とくに1961年のジョン・レイトンの大ヒットナンバー「霧の中のジョニー(Johnny Remember Me)」に大きなインスピレーションを得て制作した「さらばシベリア鉄道」を聴けば、綿密な伏線が張りめぐられたロックンロールへの解釈と憧憬を理解することができるでしょう。
また、佐野元春は「悲しきレイディオ」の中で「♪ ジーン・ビンセント チャック・ベリー リトル・リチャード バディ・ホリー Any Ol’ Rock&Roll」と叫び、ツッパリカルチャー的なロックンロールの破壊衝動を内的衝動へと昇華させ、新しい価値観を築き上げました。
RCサクセションは、モット・ザ・フープルやローリング・ストーンズをも凌駕する圧倒的なステージングでライブバンドの雛形を作り、ザ・モッズは、ロンドン経由のパンク、ニューウェイブの匂いをふんだんに散りばめた日本語のロックンロールを提示してくれました。ヒリヒリとした痛みを伴いながらも、十代の心に燻る衝動を見事に体現し、確実に次の世代への布石を投じたのです。
そして、忘れてはならないのが、ストレイ・キャッツやロックパイルに大きな衝撃を受けて温故知新型で最先端の音をお茶の間に持ち込んだ沢田研二が「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」のリリース。これも1981年なのです。
これらの話は、もちろん当時中学生だった自分に分かる由はなく、今だからこそ俯瞰して言えることです。こんなにも素晴らしい音楽が溢れていた1981年。あなたにとってはどんな年だったでしょうか? あの頃の音楽は、今も懐メロにならずに、あなたの心の中で鳴り響いていますか? 僕の中の1981年のロックンロールは未だ鳴りやまず、さらなる刺激を与え続けてくれています。
2021.01.03