浜田麻里はランク外? 歌唱力ランキングがもてはやされる風潮で…
今も昔も音楽シーンには、俗にいう “歌のうまいシンガー” がたくさんいる。面白いことに、そうしたシンガー達が皆、必ずしも売れると限らないのが世の常だ。それでも、シンガーにとって “歌がうまい” ことは、成功を掴むための大きなアドバンテージになるのは間違いない。
昨今、TV番組『本当のとこ教えてランキング』で放送された「本当に歌がうまい歌手ランキング」が話題になった。これは、世間一般に歌唱力の高さこそがシンガーの価値を決める、大切な指標のひとつだという事実を、改めて示しているかのようだ。
そのランキングに、浜田麻里がランクインしていなかったのは何とも不思議だったけど、彼女が日本のロックシンガーの中で、相当な実力者であることは、多くの音楽ファンが認めるところだろう。15歳の頃からプロのシンガーとして、有名CMソングのスタジオワークを多数こなすなど、確かな歌唱力は折り紙つきだった。それだけに、彼女が学生時代に参加したバンドでスカウトされ、“歌のうまいシンガー” として、ソロデビューの道を歩んだのは、必然の流れだったといえよう。
80sジャパメタシーンから始まった浜田麻里のキャリアとポテンシャル
そんな浜田麻里にとっての表舞台でのキャリアは、意外にも「麻里ちゃんは、ヘビーメタル。」のキャッチコピーを冠され、幸か不幸か80sのジャパメタから始まったのは周知の通りだ。デビュー後は、類い稀なる歌唱力とキュートなルックスを武器に支持を集め、瞬く間にジャパメタシーンで天下を取ることになった。
ジャパメタのムーブメントは、80年代の音楽シーンで重要な事象だったとはいえ、広く世間一般から見れば、聴くものを選ぶ音楽ジャンルであることに変わりはなかった。浜田麻里のシンガーとしての高いポテンシャルを考えると、ジャパメタシーンから音楽シーン全体へと、活躍のフィールドを広げようとしたのは、当然の流れと言えるだろう。
その序章となったのが、以前のコラム
『浜田麻里 ― ジャパメタシーンから羽ばたいた唯一無二のロックの女王』で書いたように、三部作となるシングルのリリースだった。その3枚目となった「ハート・アンド・ソウル」は、ソウルオリンピックでのNHK TVのテーマソングに選ばれ、初めて一般層へのアプローチに成功した。結果としてオリコンチャート7位を獲得し、キャリアの転機となるヒット曲となった。
「ハート・アンド・ソウル」では、トレードマークのハイトーンを封印し、耳馴染みの良い音域でメロディが組み立てられていた。けれども、楽曲の構成自体は長めのギターソロを含む比較的長尺なもので、未だジャパメタの名残を残しているようにも聴こえた。また、黒を基調にしたアーティストイメージも、メタルクイーンの面影を、どこかに匂わせているように見えた。
デビューから6年、浜田麻里がジャパメタシーンを起点に様々な経験を積んだ上で、シンガーとして完全ブレイクするための機は熟していた。そして、80年代最後の年、広く音楽シーンに向けて勝負に出た楽曲こそが「リターン・トゥ・マイセルフ ~ しない、しない、ナツ。」だった。
脱ヘヴィメタルを印象づける「リターン・トゥ・マイセルフ」
勝負曲の制作は、浜田麻里のポテンシャルを最も理解する布陣で進められた。作曲の大槻啓之は、長年に渡って制作パートナーとして作品創りを支えており「ハート・アンド・ソウル」など、前3作のシングルも手がけていた。レコーディングメンバーは、初の海外レコーディング作である、1987年のアルバム『イン・ザ・プレシャス・エイジ』から続く体制を継続し、ギタリストのマイケル・ランドゥをはじめとする、アメリカ西海岸を代表する一流ミュージシャン達を起用した。
何より、アーティストイメージの顕著な変化に驚かされた。CDジャケットでは、オレンジゴールドのカラフルな色地の中で、髪をアップにした彼女が、ロックっぽさ皆無のコスチュームを着て微笑んでいた。まるでJ-POPのアーティストと見紛うほどポップなイメージであり、そこに眼光鋭いメタルクイーンの面影はなかった。
楽曲を聴いて、その驚きはさらに増すことになる。いきなりフック強めのわかりやすいサビメロと分厚いハーモニーで始まる曲構成、ディストーションを極端に抑えたギターと、バランス大きめなキラキラのキーボード、コンパクトなギターソロ、そしてここでも超絶なハイトーンをあえて封印し、聴きやすい音域とシンプルなメロディで言葉を紡ぐ、いい意味で余力を残した歌唱。
これまでとは段違いに、“脱ヘヴィメタル”を印象づける楽曲には、ブレイクを予感させる要素に満ち溢れていた。そして、全ては印象的なサビメロと歌詞を、効果的に伝えるべく作られているように聴こえた。
時代を彩る強力なヒット曲が立ちはだかるなかで、自身初のチャート1位
それもそのはずで「リターン・トゥ・マイセルフ」は、カネボウ化粧品1989年夏のCMタイアップソングに選ばれており、CMの世界観や商品コンセプトと、完璧にマッチした曲に仕上がっていたからだ。
シングルの発売後には、水着姿の大塚寧々による真夏のビーチを舞台にしたCMが、全国で大量にオンエアされた。映像では、楽曲の歌詞の一部と化粧品の告知が効果的に連動した「化粧なおし、しない、しない、ナツ。」のキャッチコピーが映され、楽曲のプロモーションの観点からも、当時考えうる最良のタイアップとなった。
タイアップ効果は、チャート上昇という目に見える形で現れ、発売から1ヶ月以上経った6月5日付のオリコンシングルチャートで、浜田麻里は遂に初の1位獲得するのだ。前週の1位が工藤静香の「嵐の素顔」、翌週がプリンセス・プリンセスの「ダイヤモンド」という、まさに時代を彩る強力なヒット曲が立ちはだかる時期での快挙だった。ちなみに「ダイヤモンド」は年間セールス1位も獲得しているほどなので、もし発売タイミングがズレていたら「リターン・トゥ・マイセルフ」は、さらに1位を伸ばしたかもしれない。
『ザ・ベストテン』においても、1989年6月1日、15日、22日付で最高3位を獲得。最終的に1989年のオリコン年間シングル売り上げランキング15位にランクインし、約40万枚ものセールスを記録することになる。同じく女性メタルの元祖的な存在のSHOW-YA「限界LOVERS」が、ちょうど同年2月リリースでオリコン13位、年間61位という実績を考えると、浜田麻里の記録が、いかに突出しているかがわかるだろう。
ハードでヘヴィな音楽性へとシフト、歌詞に見る浜田麻里の決意表明
“リターン・トゥ・マイセルフ(本来の自分自身に戻る)”と題されたタイトルが意味するところを、改めて考えてみると興味深い。なぜなら、楽曲自体はヒットを狙うべく、細部まで作り込まれていたけど、浜田麻里の歌唱自体は、曲のタイトルを体現するかのように、“本来の自分の姿に戻る”、自然体で優しく包み込む歌声を聴かせてくれたからだ。
曲中には「I'll show you myself honestly(素直な自分を見せましょう)」という一節が繰り返し出てくる。女性ジャパメタシンガーの元祖的な存在として、道無き道を切り拓きながら一気に駆け抜けた80年代。そんな怒涛の時代に終わりが近づいた今こそ、自らに貼られたメタルクイーンとしてのレッテルを剥がして、ジャンルに縛られないひとりのシンガーに立ち戻っていく。図らずとも、そうした自分自身への決意表明に聴こえるのだ。
時は流れて、2013年の『FNS歌謡祭』。久々の地上波テレビに突如出演した浜田麻里が、ステージで歌ったのは「リターン・トゥ・マイセルフ」だった。真っ白なロングドレスを身にまとい、海外のメタル系ディーヴァのような神々しい雰囲気で登場した彼女は、1989年の発売時のポップなイメージを敢えて打ち壊すように、これでもかと超絶なハイトーンヴォイスとシャウトを何度も繰り出した。
この時のパワーアップした圧倒的な歌唱力とパフォーマンスが大きな評判を呼んで、「浜田麻里は以前にも増して凄い!」という再評価へ繋がっていき、この後の作品では、80年代当時すら超えるハードでヘヴィな音楽性へとシフトしていった。
今思えば、あの時歌った「リターン・トゥ・マイセルフ」は、紆余曲折のキャリアを経て、今度は再びメタルクイーンとしての「自分自身を取り戻す」ための、強い決意を表していたのかもしれない。
2021.04.19