1月21日

RCサクセション「雨あがりの夜空に」:スージー鈴木の OSAKA TEENAGE BLUE 1980 vol.11

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OSAKA TEENAGE BLUE 1980~vol.11

■ RCサクセション『雨上がりの夜空に』
作詞:忌野清志郎・仲井戸麗市
作曲:忌野清志郎・仲井戸麗市
編曲:RCサクセション&椎名和夫
発売:1980年1月21日

70年代後半、お笑い界を席巻した、せんだみつお・笑福亭鶴光・あのねのね


1979年の3月。小学校の卒業式を終えたあとの教室。みんなの机を後ろに押しやって作られた空間をステージとして、その上に僕らは立っている。

僕ら―― いちばん仲の良かった小川と2人。実は僕ら2人組にはグループ名がある――「あねもね」。

数ヶ月に一度開催される、クラスのお楽しみ会のような場で、僕らは、清水国明と原田伸郎のユニット=あのねのねのコピーを、何度となく披露していたのだ。そして今、卒業式のあと、つまり小学校生活最後のお楽しみ会で、僕らはまたステージに立っているのだ。

少し説明が要るのかも知れない。1970年代後半のあのねのねについて。

平成に入って、テレビなどでお笑いの歴史が振り返られるとき、いつも声高に語られるのが、80年に起きた、いわゆる「漫才ブーム」だ。そして、ツービートや紳助竜介の映像ともに漫才ブームが語られるとき、かき消されていくのが、70年代後半のお笑い界のことである。

70年代後半、せんだみつお、笑福亭鶴光、そしてあのねのねが、当時のお笑い界を席巻したという、今やないがしろにされつつある、それでもれっきとした事実――。

中でも僕と小川は、あのねのねに夢中になった。彼らの音楽にではない。彼らのネタにでもない。では何に夢中になったのか。あえて言えば、彼らのセンスだ。それもとびっきりナンセンスな。

例えば、当時、僕と小川が好んで聴いた彼らの曲に『アホの唄』があった。バンドの演奏に合わせて「アホー!」「アホー!」と叫ぶだけの、まったく何の意味もない曲。

『アホの唄』と比較すれば、漫才ブームの漫才には、意味やメッセージのようなものが、ちゃんとあったと思う。対してあのねのねは、当時の漫画『がきデカ』や『マカロニほうれん荘』などとともに、意味やメッセージをあざ笑うナンセンスの魅力を教えてくれた。

当時、僕の家のテレビはまだ白黒だったのだが、白黒のくすんだ画面の中から、あのねのね、せんだみつお、笑福亭鶴光が送り出す、カラフルなナンセンスの風が吹いてきた。そして僕と小川は、その風を全身で受け止めた。

あのねのねをコピー、もじって「あねもね」


「あのねのねのコピーしよ。名前は、せやな、あのねのねをもじって『あねもね』や」

花の名前を使うところなど、若干の少女趣味が入っているように見えるかもしれないが、もちろん、僕も小川も、アネモネという花がどういう花かなど知らない。

そんなユニット=あねもねが最後の舞台に立つ。そう、この舞台は解散コンサートなのだ。中学生になって、こんな馬鹿なことは続けられないと、僕も小川も思っていた。

解散コンサートのネタは、景気付けとしてまず、せんだみつおのコピーから始まった。

観客=つまりクラスメイトに手拍子を強要して、せんだのギャグ「せんだ、えらい!」を真似た「小川、えらい!」を何度も繰り返す。このギャグをやるときのせんだのように、僕と小川が両手を繰り返し上に突き出して、ステージ狭しと踊り狂う。

教室が盛り上がってくる。そしてだんだん手拍子のリズムが速くなってくる。僕の動きは羞恥心のせいで中途半端なのだが、小川はもう一心不乱に踊り狂って、走り回って、そのさまがウケまくっている。

温まったところで、次は小噺(こばなし)だ。もちろんこれは笑福亭鶴光が当時得意にしていた「小噺その1」「小噺その2」…… のシリーズを真似たもの。

鶴光のようなアクセントで小川が、僕らの担任だった、当時たぶん50歳前後の女性教師=栗原先生の顔立ちをネタにした小噺をし始める。

「小噺その1。栗原先生が交通事故に遭って、顔に大怪我をして病院に行きました。顔を見た先生が……『ずいぶん治りましたね』」

小噺のオチを言ったあと、「わーい!わーい!」と僕らがステージを走り回るのがルーティン。この小噺もまた、ドッカンドッカンとウケている。

お楽しみ会への出演を繰り返す中で、僕らあねもねのネタ運びが板に付いてきたこともあろうが、それ以上に、クラスメイトが抱いていた「今日で小学校生活も最後なんだ」という感慨も、盛り上がりに加勢していたと思う。

次は漫才だ。まだ漫才ブームの1年前。僕らが披露したのは、古めかしい内容のものだった。具体的には、当時それなりの人気を得ていた漫才コンビ=青芝フック・キックのネタを借用したもの。

設定は病院。風邪をひいてずっと治らない客が僕、医者が小川。ナンセンスなやり取りが続いたあと、オチに入る。

「で、どんな薬、飲んでまんねん?」
「塗り薬や」
「そんなアホな!」

ドッカーン! もう教室はもうライブハウスと化している。そして最後は、あのねのね風のナンセンスソングで締める。

教室全体に吹き荒れた “ナンセンスの風” 大成功だった解散コンサート


僕ら2人はフォークギターを抱える。チューニングもおぼつかない僕だが、小川はギターがとても上手い。なんでも近所に、ギターを教えてくれる高校生の兄ちゃんがいるのだという。

フォークギターのヘッドのところから、切らずに放ってある弦が放射状に伸びている。あのねのねがそうしていて、かっこいいと思って、僕らも真似ている。

ジャーン!

小川がGのコードを鳴らす。そしてMCも彼の役だ。

「今日で僕ら、あねもねは解散します」

これまでとは打って変わって、しんみりとしたトーンで話し始める。

「だから次の曲が、僕らの最後の曲です。最後の曲は――『解散の唄』」

クラスメイトが静まり返る中、小川がギターのボディにピックを叩き付けてカウントを取る。

カン!カン!カン!
ジャンジャカ・ジャンジャカ・ジャンジャカ・ジャン!

「かい・かい・かい…… かいが3つで解散!」

ドッカーン! ドッカーン! ドッカーン!

今、ナンセンスの風が笑いの台風となって、教室全体に吹き荒れた。あねもねの解散コンサートは大成功だった。そして、観客から声援が飛んだ。

「3年後、中学の卒業式でもやってくれ!」
「せやせや、やってくれー!」

私立中学に行く数名を除いて、僕らはみんな同じ公立中学に行く。3年後、中学の卒業式での「復活コンサート」。悪くないなと僕は思った。

激変した80年代お笑い界の構図、漫才ブームがやってきた


あっという間に3年が経った。1982年の3月。中学校の卒業式の前日に開催される学年の集まりで、あねもねがまた舞台に立つこととなった。今度は教室ではない。ちゃんとした舞台のある体育館だ。

3年前のステージを生で見ていて、そして今やグレてしまい、学年の番長格になっている小林から、半ば強制のように頼まれたのだ。

「でも、どうする?」

小川が悩ましい顔で、僕に聞いてきた。準備の打ち合わせのために、喫茶マロニエのボックス席に座った僕らは、2人きり無言で、すっかり悩み込んでしまった。

というのは、この3年間で、お笑い界の構図が激変してしまったからだ。1980年、僕らが中2のときに起きた漫才ブームの嵐は凄まじく、あのねのねも、せんだみつおも笑福亭鶴光も吹き飛ばされたように見えた。

さらにYMO人気の流れで巻き起こったスネークマンショーのブーム。彼らのシュールで知的な笑いを、同級生たちは無理をして理解しようとし始めた。

そして決定的だったのは、1981年の元日に始まったニッポン放送『ビートたけしのオールナイトニッポン』である。十把一絡げの漫才ブームから、「ビートたけしとそれ以外」という時代へ。

『ビートたけしのオールナイトニッポン』でたけしが繰り出す、危険で、でもどことなく知的な速射砲のようなトークは、全国的なブームとなった。そして大阪の中学生をもとりこににした。

「ばーかーやーろー!」

ビートたけし特有の、大阪弁とは真逆のフラットなアクセントによる「ばーかーやーろー!」が、大阪の中3にも伝染し始めた。そして、大阪の下町が、まるで東京の下町風の言葉で覆い尽くされた。

つまり、この3年間で、お笑いのルールが根本から変わってしまったのだ。

「いやぁ、あのときのネタやっても全然ウケへんで」
「でもなぁ、小林にシバかれるんもイヤやしなぁ」

マロニエで2時間ほど粘ったが、結局いいアイデアは出なかった。そして出た結論は―― 昔のネタをそのままやる。スベったら、「小川、えらい!」を繰り返して舞台から逃亡する、という、何の策もない敗北主義的なものだった。

ウケない“ナンセンス” 中学校卒業式前日の舞台でピンチ


卒業式の前日に、卒業生が講堂に集まるのは、僕たちの中学の恒例行事だった。前半、卒業式のリハーサルをして、その後、各クラスからの余興を楽しむのだ。僕と小川が同じクラスだったことも、あねもねの再結成につながっていた。

他のクラスからは、女子のデュオがイルカの『なごり雪』を歌ったり、落語研究会の男子が『時うどん』を披露したりして、けっこうウケている。

番長の小林の差し金なのか、僕らはトリだった。僕は、高校受験のときにも感じなかったプレッシャーに押し潰されそうになった。

「しゃあない、行くか……」

小川も始めから敗戦モードだ。

「せやなぁ……」

僕も敗戦モードのまま、舞台に飛び出した。

「はーい、どーもー。僕ら2人であねもねでーす!」

観客の反応が悪い。よく考えたら当然だ。3年の月日の流れの中でみんな、あのねのねのことなんて忘れ始めていて、「あねもね=あのねのね」というコンセンサスがない状態なのだから。

しかし、めげずにネタに入る。漫才ブームだからということで、漫才ネタから始めることにした。でもネタ自体は、青芝フック・キックのあの古ぼけたネタだ。

「で、どんな薬、飲んでまんねん?」
「塗り薬や」
「そんなアホな!」

ウケない。これは本格的にやばい。さすがに古めかしかったか。シーンとしているどころか、一部のヤンキーから怒号が飛び始めた。

「オモロないぞー!」
「はよ帰れー!」

相方が突然歌い出した、RCサクセション「雨上がりの夜空に」


僕は、小川に目配せした。「もう逃げようや」というメッセージをアイコンタクトで伝えた。しかし、小川はすっと顔を背けた。

そして、何を思ったのか、舞台の袖に用意していた、最後のネタで使うはずのフォークギターを取りに行き、ストラップを首にかけ、顔を上げて、客席の方をじっと見た。

しかし、あの頃とは違って、小川のフォークギターのヘッドから、弦が放射状にはみ出ていない。きれいに切り落とされていた。

意を決したように小川は、強いストロークでDのコードを弾いた。

ジャージャカ・ジャージャカ・ジャージャカ・ジャージャカ!

あの頃とは違う、今っぽいエイトビートだ。そして何だかロックっぽい。

小川は、僕との打ち合わせで、全然話に出なかった歌を、突然勝手に歌い出した。

「♪この雨にやられて エンジンいかれちまった!」

―― RCサクセション『雨上がりの夜空に』だ!

そうすると、客席の雰囲気がガラッと変わった。シーンとしてた同級生たちからパラパラと手拍子が起こり始め、最後は総立ちになった。さっきヤジっていたヤンキーたちも乗りに乗っている。

みんな知っている、みんな聴いたことがある『雨上がりの夜空に』。これは、1982年の春に中学を卒業して高校生になり、そしてこれから、80年代に青春を謳歌するであろう、僕たちのアンセムだ。

僕はと言えば、ギターも持たず、マイクに向かって、サビだけを小川とユニゾンで歌うだけだった。つまり、あねもねの解散コンサートは、ほとんと小川の一人舞台になったのだ。

それでも、歌詞の内容に眉をひそめる教師たちを尻目に、小川の見事なギターと歌で、同級生が盛り上がるさまは快感だった。中学校生活の中で、最高の快感だった。

あねもねの最後のコンサート、そして僕らの中学生活が終わる――。

拍手喝采を受けながら、僕らは舞台下手に退いた。

「小川、えらい!」

今日披露しなかった、懐かしのネタで慰労した。小川は軽く、せんだみつおのように、ちょっとだけ腕を上げて、フラットなアクセントでこう返した。

「ばーかーやーろー!」

この瞬間、僕らは、あのねのね、せんだみつお、笑福亭鶴光の70年代を、やっと卒業して、ビートたけしとRCサクセションが君臨する80年代を、やっと迎え入れた。

中学校の卒業式の前日は、僕らにとって、70年代からの卒業式だったのだ。

心の中で僕はつぶやいた。

「さよなら、僕らが大好きで、僕らをとりこにしてくれた、とびっきりナンセンスな1970年代――」

薬師丸ひろ子 歌手活動40周年記念

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2022.04.02
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Baliみにょん
鬱屈と理屈の世代を押しのけるように爆発した、70年代のナンセンス。毎週『がきデカ』『マカロニほうれん荘』のページをめくってはただ笑い、ギャグを口にしていた。楽しく晴れがましかった"小川"とのナンセンスステージから3年。お笑いは知的な切り口が脚光を浴び、真摯に自分と向き合いせつなく歌うロック。"僕"と"小川"が少年から青年へ歩き出す姿が愛おしい。
2022/04/02 09:33
0
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カタリベ
1966年生まれ
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