80年代初頭、時代を駆け上がっていく佐野元春のロックンロール
1982年5月21日、佐野元春のサードアルバム『SOMEDAY』がリリースされました。シングルの「シュガー・タイム」も同時にリカットされ、8月25日には「ハッピーマン」、11月21日には「スターダスト・キッズ」と、元春のロックンロールが時代を駆け上がり、キャリアの礎を作った時期だったと思います。
ブレイクのきっかけは、『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』への参加だったと思いますが、もうひとつは、文化放送で深夜にオンエアされていた『ミスDJリクエストパレード』ではないでしょうか。僕もこの番組で毎晩ヘビロテされる「ハッピーマン」や「スターダスト・キッズ」を聴いて元春への思いを募らせていました。
14才の僕に生き方の選択をせまらせた佐野元春という男に会いたい。当時はビデオデッキの普及なんてまだまだ夢の話。邦楽の PV が普及するのもまだまだ先の話です。つまり、レコードの中でしか知らない元春のロックンロールを観に行くということが、14才の自分にとって人生初の「自分の道を自分自身で選んだ決断」だったように思います。
佐野元春「ロックンロール・ナイト・ツアー」最終日@中野サンプラザ
そして1983年3月18日。佐野元春ロックンロール・ナイト・ツアーの最終日。僕は中野サンプラザの客席にいました。
当時チケットを入手するには、プレイガイドに並ぶのが常。だから、新宿の小田急ハルクにあった赤木屋プレイガイドで学校の帰りに手に入れました。初めてのライブ体験。周りには好きな音楽を語れる友人もいなかったので、ひとりで行きました。春先の暖かい日。不安と期待の中で中野サンプラザに向かうバスの中から見た夕やけの色まではっきり覚えています。
会場に着くと、お客さんはとにかくみんな年上。1曲目で総立ちになるのも初めての経験。当時は、ロックコンサートでもステージに紙テープが投げ込まれていたように記憶しています。ちなみにこの日の映像は、翌年の夏、フィルムコンサートとして、同じ中野サンプラザで公開されました。そして『Film No Damage』として2013年9月7日に劇場公開され、DVD化もされています。
感涙の「ガラスのジェネレーション」つまらない大人にはなりたくない!
フェンダーのジャズマスターを抱え、銀色の光沢のあるスーツで、ステージを走り回る元春。その姿は、これまでの人生で学んできたものが全て覆されるような衝撃でした。もう37年も前のことですから記憶は断片的ですが、その光景は人生というジグソーパズルに最初にはめ込まれたピースだったように思えます。
「ガラスのジェネレーション」に涙を流し、「悲しきRADIO」のイントロのピアノに鳥肌を立て、ほぼインプロビゼーションに近い間奏にレコードでは感じることのできないグルーヴの中、キラキラとしたうねりに呑み込まれました。
恋をしようぜ Baby
きれいな恋を Maybe
本当の事を知りたいだけ
So one more kiss to me
「one more kiss to me」と何度も繰り返す元春。まだ恋も知らない自分に語りかけてくれた本当の真実への模索がそこから始まったような気がしました。そして、「つまらない大人にはなりたくない」そう強く誓ったのです。
終わりははじまり、佐野元春は新天地ニューヨークへ
アンコールで出てきた元春は「ニューヨークへ行くんだ」と言っていました。そして、「グッドバイからはじめよう」。元春が中学生の時に作ったというこの曲は10枚目のシングルとなった美しいバラードです。
どうして あなたは
遠くに 去って行くのだろう
僕の手は ポケットの中なのに
ちょうど波のように
さよならがきました
あなたはよくこう言っていた
終わりははじまり
終わりははじまり
この曲と共にステージの上で唐突にニューヨークに行くと言った元春は27才。これまでの活動に区切りをつけて新天地に向かいました。僕は14才。彼の音楽に出会って数か月後のことです。
そして、このさよならが、僕にとっては一生音楽を聴き続けようと決心したはじまりだったのです。
※2017年10月3日に掲載された記事をアップデート
2020.03.18