6月20日

アリス「ジョニーの子守唄」:スージー鈴木の OSAKA TEENAGE BLUE 1980 vol.12

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OSAKA TEENAGE BLUE 1980~vol.12

■ アリス『ジョニーの子守唄』
作詞:谷村新司
作曲:堀内孝雄
編曲:石川鷹彦
発売:1978年6月20日

1978年の夏休み、大阪球場で見た風景


1978年の夏休み、小6の僕は友だちの矢沢と2人で大阪球場を訪れた。小6だけでの夜の外出なんて、どうせ咎められるだろうと予想していたのだが、小学生最後の夏休みということで、僕と矢沢の親が許してくれたのだ。

「南海ホークス友の会」とやらに入っている矢沢は、割引のチケットを持っていた。チケットをもぎりの人に切ってもらって、喜び勇んで、スタンドに駆け込んだ。駆け込んで―― 後悔した。

何でこんなところに来たんだろうと思わせる場の空気だった。ガラが悪い。小6の2人を受け入れてくれる空気など、まるでない。

内野席なのに、それほど混んでいない、というか空いている。そしてポツンポツンとオヤジが座っている。そのオヤジは、タバコの煙を煙突のように吹き出しながら、日本酒の一升瓶を飲んでいる。

南海ホークス対阪急ブレーブスの試合だった。このころいわゆる「黄金時代」を迎えていた阪急に対して、南海の状況は悲惨だった。

前年に、プレーイング・マネージャーにして球団の顔だった野村克也を解任。それを追うように、人気選手だった江夏豊と柏原純一もチームを去り、南海は迫力のないチームに成り下がり、このシーズン、前期の順位は最下位、そして後期シーズンも負けが混んでいた(当時のパ・リーグは前後期制を採用)。

タバコの煙と日本酒のニオイが充満する中で、阪急のバッターがヒットを打つごとに、もしくは南海のバッターが凡退するごとに、強烈なヤジが飛び交う。ちょっと考えられないような野卑な言葉遣いで。

そんなさまに僕は萎縮して、妙な話だが、早く試合が終わってくれ、早く帰りたいと願っていたのだ。

「なんか、物騒やなぁ」
「いや、大阪球場は、いっつもこんなもんやで」

慣れた素振りで矢沢が返してくる。そんな会話をしているうちに、安定した強さを発揮して阪急が勝った。南海は負けた。南海ファンのオヤジからのヤジ・怒号の嵐が吹き荒れる、大阪難波、真夏の夜――。

隣りに座っていたオヤジは、負けたにもかかわらず、微動だにせず、イヤフォンでトランジスタラジオを聴いている。そして「うわぁ、阪神もまた負けたぁ!」と言って、くしゃくしゃのメモ帳に数字を書いて、何やら計算をしている。

「知ってるか、あれ、賭けとるで。野球賭博やで、トバク」

南海ホークス友の会に入っていて、このうらぶれた空気の大阪球場に、割引チケットで何度となく足を運んでいた矢沢は、オヤジに慣れていただけでなく、オヤジが良からぬことをするのにも慣れきっていたのだ。

反対に僕は、「トバク」という言葉、そのカクカクした3文字の響きに、ブルッと震えた。

野村のオッサンと長池のオッサン


球場の外に出たら、酔っぱらいのオヤジが地べたに座って、日本酒の一升瓶を口飲みしながら、一人でボヤいていた。

「野村が…… 野村が…… 野村がおれへんようになったから、もう南海は終わりやぁ」

あまりにも「野村」を繰り返すので、僕は心の中で「野村のオッサン」と名付けた。

「おい坊主、お前、阪急の帽子かぶっているちゅうんは、阪急ファンか?」

僕はその日、赤いつば、赤い「H」マークの付いた黒いブレーブスのキャップをかぶっていた。「H」がワッペンではなく、刺繍になっている、ちょっと高級な仕立てのキャップだ。

もちろん阪急ファンというわけではない。あえて言えば阪神ファンだった。けれど、チームの嗜好にかかわらず、色んなチームのキャップをかぶる少年は、僕を含めて当時たくさんいた。

南海のキャップをかぶる矢沢の横にいる、「阪急ファン」という設定の僕に対して、野村のオッサンは話し続ける。

「南海はなぁ、昔強かったんやぁ。逆に阪急なんて、めっちゃ弱かった。毎日毎晩、この球場で南海が、阪急をコテンパンにやっつけてたんや。知ってるか、坊主!」

それは知っている。プロ野球の歴史を子供向けにまとめた本は、当時の僕の愛読書だった。何年にどこが優勝したが並べられた年表は暗記している。昭和20年代から昭和40年代の初めまで、毎年のパ・リーグ優勝チームの多くを、「南海ホークス」という文字列が占めていたことも。

そのあたりを言い返そうかと思った瞬間、別の酔っ払いオヤジが立ち入ってきて、野村のオッサンに絡み始めた。

「オッサン、昔話はもうええやろ、時代は阪急なんや、山田と加藤と福本の阪急なんや。南海はもう昔のチームなんや!」

あからさまな罵倒である。ただし、言っていることに間違いはない。山田久志、加藤秀司、福本豊という同期生が中核をなしている阪急は、昨年まで3年連続日本一と、無類の強さを発揮していた。

阪急ファンのこのオヤジ、顔がどことなく阪急の長池徳士に似ているので、こちらは「長池のオッサン」と、僕は心の中で呼んだ。

阪急ブレーブスの黄金時代は、アリスの黄金時代


「いや、西本さんが近鉄に行ってもうたから、阪急は長(なが)ないで。これからは近鉄の時代やぁ!」

と声を荒げる野村のオッサンに対して、長池のオッサンは、阪急のキャップをかぶる僕に優しい。

「いやいや、阪急好きの僕ちゃんは分かってるわなぁ。そやそや、これからは阪急と近鉄の時代や。だからオッサンは南海電車で早よ帰れぇ!」

売り言葉に買い言葉、水掛け論ならぬ酒かけ論が続いていく。そんなやりとりを見ながら、球場の中はもうごめんだけれど、野村と長池、2人のオッサンの口喧嘩は、ちょっと面白いぞと、僕は思っていた。

「みんな野球が好きなんやなぁ」
「いやいや、こいつらと絡んでると面倒くさいで。早(は)よ帰るで」

酔っ払いのつばぜり合いに慣れっこの矢沢は、面白がっている僕を制して、一緒に難波の駅に向かうよう急かした。

大阪球場から難波の駅までは、ちょっと距離がある。どこからかともなく、聴き慣れた曲が聴こえてきた。

―― ♪風の噂で聞いたけど 君はまだ燃えていると

アリスの新曲『ジョニーの子守唄』だ。このころアリスは、まるで阪急のバッターのようにヒットを量産していた。

阪急ブレーブスの黄金時代は、アリスの黄金時代だった。

でもこの歌詞、僕には、ホークスが弱くなってもホークスを愛し続ける、野村のオッサンのテーマソングのように聴こえてきた。

―― ♪難波の地べたで聞いたけど 野村のオッサンはまだ燃えていると

1988年の川崎球場と「男女七人秋物語」


1988年の春、母親からの仕送りを引き出すために、川崎溝ノ口にある郵便局のATMに行ったら、山のようにチケットが置かれていた。川崎球場、ロッテオリオンズの試合の無料チケットだった。

あれから10年、僕は大学生となって、大阪を離れ、川崎市の溝ノ口に下宿していた。そしてあれから10年、僕は音楽にハマって、逆に野球はすっかりおろそかになった。

中学時代にYMOを聴いてから、プロ野球なんて、“ダサい” のかたまりだと思い始めた。だから、噂で聞こえてくる原辰徳や落合博満も、バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発も、よく知らない若者になっていた。

それでもATMに置かれていたチケットを手にしたのは、前年の1987年に放送された、TBS『男女七人秋物語』というドラマの初回に、川崎球場が出てきたからだ。

明石家さんまと大竹しのぶの共演で、たいそう盛り上がった『男女七人夏物語』(1986年)の続編として作られたこのドラマは、川崎を舞台としていた。出来たばかりの川崎駅地下街「アゼリア」がよく映っていた。

「ちょっとさぁ、ダサいんだけどさぁ、川崎球場、行かない?」

川崎に住んで、東京の大学に通い始めて、僕は、つとめて標準語のアクセントで話すようにしていた。80年代の東京においては、プロ野球がダサいのと同様、大阪弁もダサいと思い込んでいたのだ。

誘ったのは、『男女七人』シリーズが好きだった僕の彼女だった。その春に短大を卒業して、新人OLとして働き始めたばかり。『男女七人秋物語』も熱心に見ていた彼女は、川崎球場デートに乗ってきた。

土曜日のデーゲームだった。ロッテ対南海の試合だった。プロ野球にはまったく興味などなかったのだが、一応、彼女の前で知ったかぶりをするべく、昨年の順位を調べてみた。

「4位:南海ホークス、5位:ロッテオリオンズ」―― 昨シーズンBクラス同士の戦いだった。さらに調べてみると、大阪難波の地べたで野村のオッサンがボヤいて以来、南海は何と、ずっとBクラスだったのだ。

川崎球場で心に浮かんだ、アリス「ジョニーの子守唄」… の替え歌


―― ♪野村のオッサンはまだ燃えているのか?

閑散としたスタンドの中、突然アリス『ジョニーの子守唄』の替え歌が、心に浮かんだ。それでも僕は、そんな替え歌を心の中でかき消す。だってロッテも南海もプロ野球も、そしてアリスも、1988年の今となってはダサいんだから。ダサいの象徴なんだから。

「明石家さんまや山下真司、片岡鶴太郎が座ってたのは、外野席のあのあたりだよ」
「うわーっ、ほんとだぁ、感激!」

僕と彼女は、試合の内容そっちのけで、『男女七人秋物語』の話をしていた。そう僕たちはプロ野球ファンなんかじゃない。『男女七人秋物語』の気分で、あのドラマに出ていた明石家さんまと大竹しのぶの気分で、今ここにいるんだ。たまたま半笑いで、ここにいるだけなんだ。

野村のオッサンや長池のオッサンのことなんて、もうすっかり忘れちゃったよ。

試合が終わって僕たちは、こちらも出来たばかりのチネチッタのあたりでパスタを食べて、ワインを飲んで、川崎駅前の舗道でキスをした。それは『男女七人秋物語』の最終回のエンディング、明石家さんまと大竹しのぶの真似だった。

キスをしながら僕は、川崎球場に行ったことで、心の中で呼び覚まされた大阪的でプロ野球的なあれこれを、身体から浄化させた。

すっかり浄化したつもりだった――。

1988年10月19日、いつもと違った川崎の街


彼女の関係は続いていた。こちらが大学3年生、向こうがOL1年生。大人の世界と日々接している彼女だったが、大学生の僕とのデートにも、楽しそうに付いてきてくれていた。

2人の家から近いこともあり、僕たちはあれからも、よく川崎駅前でデートをした。『男女七人秋物語』やアゼリアやチネチッタのおかげで、このエリアは僕たちの「ダサい地図」からはみ出ていたのだ。

1988年10月19日――。

その日の夜、僕たちはアゼリアの中をうろうろしていた。しかし、いつもと様子が違う。何だか人が多いのだ。それも、このあたりには普通いないような目付きのオヤジたちが行き交う。

「今日、何かあったのかな?」

標準語のアクセントで僕は問いかけた。彼女は知らないという。

僕たちはアゼリアの中の喫茶店に入った。その中のテレビを見て、今この川崎で何が起こっているかが分かった。

川崎球場でのロッテ対近鉄が、すごいことになっている!

何でもこの日、川崎球場でダブルヘッダーが行われているのだが、そのダブルヘッダー2試合に近鉄が連勝すると優勝が決まるというのだ。

というわけで、あの、いつも閑散としている川崎球場が超満員になって大騒ぎなのだという。そして第1試合に近鉄が勝ったことで、いよいよ大変なことになっているらしい。

それでも僕は、興味のないふりをした。もちろん彼女も興味などない。

早々に喫茶店を出て、僕たちはチネチッタのほうに向かい、居酒屋で飲んだ。和食のメニューを食べながら、大きなジョッキになみなみと注がれたチューハイやサワーを飲むことが、若者の間で流行っていたのだ。

23時を超えていた。かなり飲んで、すっかり酔っ払った僕たちは、川崎の舗道を歩いた。道端には人がごった返していた。川崎球場から帰ってくる客なのだろう。彼らが口々に話しているのを聞けば、どうやら近鉄は勝てなかったらしく、あと一歩のところで優勝を逃したようだ。

それにしてもこの人だかり。ここでは、さすがにキスはできなさそうだ。『男女七人秋物語』のロールプレイングのようなあのキスはできない。

それでも僕は酔っている。酔っ払ってボーッとしている―― キスがしたい。キスがしたい。

「キス、していいかな?」

と言って、彼女を抱き寄せた。そしてごった返す人並みの中で、唇を重ねた。するとその瞬間、奇妙なことが起こった。

突然、謎のオヤジが僕たちに近付いてきたのだ。

川崎の路上で見た幻と、聴こえてきた「ジョニーの子守唄」


「南海ホークスが終わったんやぁ、南海が…… 南海が……」

野村のオッサンだった。10年前のあのときと同じく、うす汚れた格好で、一升瓶をもって絡んできた。

南海がスーパーマーケットのダイエーに身売りをしたという話は、ちょっと前に新聞記事で読んでいた。しかし、プロ野球に疎くなっていた僕は、何の感慨も抱かなかった。それでも野村のオッサンにとっては、人生に関わる一大事だったろう。

そしてもう1人、オヤジがやってくる。

「阪急が無(の)うなってしまいよったぁ、阪急…… 阪急…… ブレーブスがぁ」

長池のオッサンだった。

川崎球場が大騒ぎだったこの日、大騒ぎの陰で、阪急がオリエントリースという会社に身売りすることが発表されたのだという。

野村のオッサンと長池のオッサン、10年前のあの日、つばぜり合いをしていた2人が今、川崎駅前の地べたで、おいおい泣きながら、肩を叩き合って、仲良く酒を交わし始めた。

それを見て、僕の中で何かがパーンと弾けた。

パーンと。

「オッサンら…… オッサンら、めっちゃ久しぶりやなぁ」
「おお、あの日の阪急ファンの坊主か」
「おお、阪急ファンの僕ちゃん、大きくなりよったなぁ」
「いろいろ言うても、オッサンら、あれから10年も経ったのに、ずっと野球が好きやったんやなぁ」

僕が言うと、2人が乗ってくる。

「せやせや。南海、阪急、両方とも強かったぁ。ええチームやった」
「ほんまや、野村さん、西本さん、ええ人ばっかりやった。楽しかった」

僕も座り込んで、川崎の駅前の地べたで3人、酒盛りを始めた。すると遠くから、10年前のあの曲、アリスの『ジョニーの子守唄』が聴こえてくる。

―― ♪飛び散る汗と煙の中に あの頃の俺がいた

その酒盛りに、優勝を逃した近鉄のファンも入ってくる。

「南海、阪急の後を継いだ近鉄が、ひっさびさに優勝するかと思(おも)たけど、やっぱりあかんかったわぁ。近鉄は近鉄やわぁ」

もうなくなる南海、阪急、そして、まだ持ちこたえている近鉄…… 大阪の私鉄3チームのファンが集まって、大阪弁が激しく飛び交ってワイワイ盛り上がる大宴会が始まった――。

―― すると、ここで意識がプツッと途切れた。

プツッと。

キスをしている間、僕は幻を見ていたのだ。唇を離した僕は、幻の中で行われていた大阪弁大宴会からの流れの中、思わず大阪弁で彼女に声をかけてしまった。

「ほな、もう帰ろか」

しまったと思った瞬間、彼女は不思議そうな顔で、僕にこう返した。

「なんで大阪弁なの? でも、さんまちゃんみたいで可愛いよ」

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2022.04.17
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Baliみにょん
東京の中でも緑多い中の神宮球場や、新しくできた横浜スタジアムに比べて、川崎球場はオッサンのいる昭和の風景だった。物語でいう、大阪球場の風景に似ていたかもしれない。私も80年代は球場から足が遠のき、スポーツニュースを見るくらいになっていた。バラエティ番組の中だけで、実生活で聞き慣れなかった大阪弁が、ドラマの主役が喋ることで、急に近くなった気がした時代。アゼリアができても相変わらずオッサン風景だった川崎駅前で、標準語生活の"僕"はアリスと一緒に大阪球場にリープしたんだ。
2022/04/17 10:10
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返信
カタリベ
1966年生まれ
スージー鈴木
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