続編が面白い “シリーズもの” に駄作なし!
学園ドラマ『3年B組金八先生』とは第2シリーズのことである。
いや、映画『機動戦士ガンダム』も「哀戦士」が最高だし、『スター・ウォーズ』もやっぱり「帝国の逆襲」だ。なんなら、『ゴッドファーザー』も『エイリアン』も『ターミネーター』も『トイス・トーリー』も――「2」である。そう、続編が面白い“シリーズもの”に駄作なし。ついでに言えば、ユーミンのアルバムの最高傑作も2作目の『MISSLIM』だ。
なぜ、続編が面白いと、名シリーズに発展しやすいのか?
まず前提として、パート2が作られるということは、1作目がヒットしたからである。となれば、普通は前作を踏襲しようという話になる。つまり “守り” に入る。でも―― 上記に挙げた作品たちは、どれもそれをしなかった。前作の世界観を生かしながらも、思いっきり “攻め” に出た。そして――賭けは成功したのである。
例えば、『エイリアン2』は前作のSFホラーから一転、ジェームス・キャメロン監督はアクション映画の要素を取り入れ、万人受けする珠玉のエンタテインメントにアップデートした。『トイ・ストーリー2』は少女が成長するにつれ、ベッドの下に押し込まれて忘れられる “おもちゃの宿命” を描き、作品のテーマ性を一段と押し上げた。
かくして、2作目のヒットはシリーズ全体に “攻め” のDNAを残し、以後――名シリーズへと発展していくのである。
社会現象にもなった「3年B組金八先生」その第2シリーズとは
さて、そこで『金八先生』だ。第1シリーズは、武田鉄矢演じる型破りな教師像に、劇中のエピソード「十五歳の母」のインパクトで社会現象になった。さらに、たのきん(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)の3人や三原順子(現・じゅん子)ら人気の生徒役にもスポットライトが当たり、最終回はシリーズ最高視聴率39.9%を記録した。
その半年後に、第2シリーズは始まった。普通に考えたら、アイドル性のある生徒役を増やし、よりショッキングなエピソードを放り込んでくるだろう。だが、選ばれた生徒役は、沖田浩之を除けば、特に目立ったキャスティングはなかった。エピソードも、最初の数回は、これと言ってパッとするものじゃなかった。だが―― それは暖機運転に過ぎなかった。
1980年10月31日、第5話「腐ったミカンの方程式・その1」が始まった。冒頭、ひとりの生徒が母親に連れられ、桜中学に転校してくる。長髪だが、背は低く、お世辞にも二枚目じゃない。だが、彼の登場で第2シリーズは一気に動き出すのだ。それは、前シリーズにもなかった強烈なキャラクターが生まれた瞬間でもあった。
―― 加藤優である。
1人の強烈なキャラクターで獲得した前シリーズをしのぐ人気
NHKの特番に『100カメ』なるシリーズ企画がある。ある場所に100台の定点カメラを置いて長時間撮影を続け、そこで見られる生身の人間模様をあぶりだすというものだ。その中に「少年ジャンプ編集部」の回があった。個人的に印象的だったのは、原稿を持ち込んだひとりの漫画家の卵に対し、編集者が放った言葉だった。
「読者はストーリーには付かないんですよ。キャラクターに付くんです。もっと魅力的なキャラを描いてください」
そう―― それが、まさに加藤だった。『3年B組金八先生・第2シリーズ』は、加藤優という強烈なキャラクターによって、前シリーズをしのぐ人気を獲得したのだ。そして、そのクライマックスが、最終回のひとつ前の回「卒業式前の暴力2」だった。校長から謝罪の言葉を引き出し、立てこもった放送室から出る加藤。廊下にあふれた生徒たちは「加藤」コールで盛り上がる。しかし、その時―― 駆け付けた警官たちによって、加藤らは手錠を掛けられる。画面はスローモーションに。台詞はなく、ただ中島みゆきの「世情」だけが流れる。今も語り継がれる同シリーズきっての神シーンである。
あれから42年―― 今日3月20日が、まさに1981年に『金八先生』で「世情」が流れた、その日なのだ。
中島みゆき「世情」と、加藤優を演じた直江喜一
シュプレヒコールの波
通り過ぎてゆく
変わらない夢を
流れに求めて
時の流れを止めて
変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため
「世情」は、中島みゆきの4作目のアルバム『愛していると云ってくれ』に収録されている。1978年4月10日のリリースだから、『金八先生』のオンエアの3年前だ。曲の使用を決めたのは生野慈朗ディレクター。奇しくも、後にドラマ『愛していると言ってくれ』を手掛けるTBS切っての名演出家だが、第2シリーズが始まった時点では、最年少の31歳の4thディレクターに過ぎなかった。
加藤優を演じたのは、当時高校3年の直江喜一サンである。劇中の加藤は1年留年しているので高1の世代だったが、よく見ると童顔の直江サンは中学3年でも十分イケた。なにせ第1シリーズのトシちゃんは高校を卒業しているのに、中学3年生を演じていたのだ。僕らにとって、その程度の年齢のサバ読みくらい、大したことではなかった。
直江サンは児童劇団の出身で、最初から別枠でキャスティングされた沖田浩之サンと違い、他の生徒たちと同様、オーディションで選ばれた。直江サン自身、ドラマが始まるまでは、これほど化ける役とは知らなかったそう。ただ、これほど活躍する生徒なら、普通なら1話で転校して来るところから始めそうだが、5話まで待ったのが、小山内美江子サンの名脚本たる所以である。おかげで僕ら視聴者にも、加藤がリアルな転校生として映った(ココ、めちゃくちゃ大事です)。
ディレクター生野慈朗の演出、脚本にはなかった「世情」の使用
さて、改めて生野演出回の「卒業式前の暴力2」の話に戻る。実は、脚本には「世情」が流れるなど1行も書かれていなかった。全て、生野D発案の演出である。そして、あのシーンには元ネタがあり、ご存知の方もいると思うが、映画『いちご白書』のラストシーンだ。
主人公のサイモンとリンダは、学生仲間たちと共に大学の講堂に立てこもり、大学側の不正に対して無抵抗の抗議を表明する。彼らが講堂の床と手を叩きながら合唱するのは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコによるプラスティック・オノ・バンドの「平和を我等に」。だが、そこへ突如、警官隊が侵入し、催涙ガスをまき散らしながら学生たちを殴りつけ、次々に連行する―― アメリカン・ニューシネマ史に残る屈指の名シーンだ。
生野Dは、あのシーンを再現したかったという。曲はいつか使おうとずっと温めてきた中島みゆきの「世情」。実は、同ドラマのプロデューサーの柳井満サンにも、脚本の小山内美江子サンにも、一切内密で編集作業を進め、ふたりはオンエアを見て初めてあの演出を知ったという。それは一介の4thディレクターに過ぎなかった生野サンの賭けだった。
複数話にまたがる “ロングパス” で回収された腐ったミカン
この回の名シーンはそれだけではない。終盤、荒谷二中の校長や刑事たちとの話し合いの席で、金八先生の一世一代の名台詞が飛び出す。
「我々はミカンや機械を作っているんじゃないんです。毎日人間を作っているんです。人間のふれあいの中で我々は生きているんです。たとえ世の中がどうであれ、教師が生徒を信じなかったら教師は一体何のために存在しているんですか。お願いです。教えて下さい!」
そう、ここで5話の加藤の登場時から頻繁に使われてきた「腐ったミカン」が回収される。この回が24話だから、実に19話を費やして遠く投げられたボールがミットに収まったことになる。俗に、連ドラにおいて、この手の複数話にまたがる伏線と回収を “ロングパス” と言う。
もうひとつの見せ場、武田鉄矢が見せたアドリブのリアリティ
さらにこの回、最後の最後に、もうひとつ見せ場がある。
金八先生たちの尽力で、警察から釈放された加藤たち。深々と頭を下げる彼らに優しいまなざしを向ける金八先生―― と思いきや、突如、加藤と悟(沖田浩之)にビンタを放つ。そして、すぐに2人を抱きしめる。
「貴様たちは俺の生徒だ」
―― と言いたいところだが、ここで金八先生は噛んでいる。「貴様たちは俺×▽@#&%……」。実はこのビンタ、武田鉄矢サンのアドリブだったそう。だから加藤は殴られた瞬間「え!?」という顔を見せている。そりゃそうだ。だが、生野サンはNGにしなかった。金八先生が噛むところまで含めて、そこにリアリティがあったからである。
ドラマは嘘である。作りものである。だが、なぜ、作りものと分かった上でお茶の間はドラマを見て感動するかと言うと、役者が放つ一瞬一瞬の台詞や演技は、本物だからである。そこに、嘘偽りはない。極端な場合、役者自身よりも、役の中の人物の方が本物に見えることもある。
そう、例えば「加藤」のように。
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2023.03.20