2000年 11月22日

大滝、細野、清志郎 — 奇跡の楽曲「ハンド・クラッピング・ルンバ」

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アルバム『Tin Pan』(2000年)。

近年、星野源や cero や Suchmos といったポスト渋谷系のアーティストが台頭してきたり、CD不況から転じてレコードコレクター対象の市場が充実してきたりする中で、シティポップが業界のキーワードの一つになっている。そのあたり少しでも関心があるリスナーなら、本作のジャケットを開いたところに列挙された参加陣に高揚しないはずがない。

アメリカではメジャーアーティストのレコーディングを無数に受け持った敏腕リズムセクションの例が複数あるが、その在り方に倣って1973年に結成されたのが、細野晴臣率いるキャラメル・ママ。編成が流動的になってからは名称がティン・パン・アレーに変わり、自然消滅後はティンパンという総称でキャリアがひと括りにされている。

本作は、必須メンバーの細野晴臣、鈴木茂、林立夫が再集結したアルバム。かつて彼らのセッションから恩恵を受けた、あるいはシンパシーを感じていた戦友たちが挙って参加を望んだ結果、スキャットしかしていない矢野顕子、フェイクしかしていない吉田美奈子、エフェクトがかかった大貫妙子等々、他じゃ考えられない “贅沢使い” が実現した。

蔵出しのデモに音を足したトラックが3曲あり、アルバム全体はその音質が基準になっている。ハイファイの先のローファイとでも言おうか。さすがは細野晴臣、ただの同窓会では済ませずキッチリ新奇性を見出している。

その中で最も豪華にして、唯一異例の成り立ちをしたのが、大滝詠一と忌野清志郎が参加した「ハンド・クラッピング・ルンバ 2000」である。はっぴいえんどとRCサクセションのメインボーカリスト、あるいは80年代の幕開けを告げたマエストロが共演する日が来るとは、誰が想像しただろう。


■ しぶしぶ参加した親友・大滝詠一

細野と大滝の交友は、もともと細野が通う立教大学内に共通の音楽仲間がいたことから始まった。先行してプロの肩書きを持っていた細野が大滝をバンドに誘った当初の構想は、得意な人にボーカルを任せ、自身は作曲と演奏(録音)を掌握するというもの。大滝に歌唱力があることは予てから確信しており、それ以外の役割まで期待していたわけではなかった。

ところが、大滝は端から大滝詠一。当時国内無名の西海岸バンド群をサウンドモデルにする “足枷” が、逆に彼のノベルティセンスに火をつけ、たちまち作曲面で細野をおびやかす存在になった。歌う気のなかった細野がシンガーソングライターとして開眼したのも、大滝がきっかけといえよう。フォーク / カントリー寄りの作風を編曲からロックへと転換していく “演奏思考” の細野と、言葉の乗せ方からしてロックを模索していた “歌唱思考” の大滝という個性のせめぎ合いは、称賛が絶えないはっぴいえんどのアルバムのいずれにおいても醍醐味である。

「ハンド・クラッピング・ルンバ」(1975年)は、大滝のソロアルバム『NIAGARA MOON』の収録曲。2人が解散後にせめぎ合いを再開した際の “大滝の攻撃” を象徴する1曲であり、永い時を経て細野のほうから本曲をリメイクしたいと打診したのは、実に興味深い経緯だ。

周知の通り、大滝はガヤガヤした中に好んで参加するような性分ではなかった。親友の細野が直接声をかけていなければ、おそらく即答で断っていただろう。話し合いの末、大滝は「サビのボーカルトラックだけサンプリングして渡すから、あとは好きにやってよ」と譲歩。これによりレコーディングは、もう1人のボーカリストと大滝との “疑似デュエット” にする方針に変わった。


■ 急に参加してきた親友・忌野清志郎

じゃあ誰に歌ってもらおうかというところで、ある日タイミングよく細野に酔っぱらい電話をかけてきたのが清志郎である。いわく「細野さん、なんでオレを呼んでくれないの!」。 理由はなかったらしい。

細野と清志郎の交友は1990年、ローリング・ストーンズ初来日時に揃って楽屋へ表敬訪問したことから始まった。その後、坂本冬美を加えたユニット HIS(ヒズ)での活動を筆頭に、様々なライブイベントやレコーディングを共にしている。一見、性格も音楽性もまるで違う2人。細野は、はっぴいえんどの頃に清志郎のウワサを聞きつけて(初期の)RCサクセションを観に行って以来、ボーカリストとしてもソングライターとしても密かにその力を認めていたという。

一方の清志郎は、自身より上の世代のアーティストと慣れ合うこと自体稀であった中、彼の遺作に数えられることになるアルバム『夢助』(2006年)のラストトラックに、細野と共作した「あいつの口笛」を選んでいる。しかも、細野がデモテープに吹き込んでおいたハミングをサイドボーカルとして使用。同業者の才能云々について饒舌に語ることは生涯なかったが、細野を特別な間柄とみていたことは想像にたやすい。


■ 記念碑的なジャパニーズロック

細野から「ハンド・クラッピング・ルンバ」のリメイクについて聞かされると、清志郎は自身が歌うパートの改訂詞を僅か2時間ほどで書き上げた。聴くと確かに、初期衝動にまかせて殴り書いた様子が伝わってくる(彼のことだから、原曲は知らなかったのだろう)。大のオトナから出てくる言葉とは思えない屈託のなさ。それでいて、ロックのグルーヴを煽動し続ける語感の隙のなさに感服である。


 Baby baby
 まだそんなところでクヨクヨ悩んでんの
 自分で自分の気持ちを
 もてあましてるんばば
 Baby baby
 もう俺はサッサとケリを
 つけたんだもんキー
 すっきりさっぱり気持ちの整理は
 とっくについてるンバ
 お風呂に入って石けんゴシゴシ
 洗い流したら
 ちょいと手をたたけばエコーがひびくよ
 裸でルンバだ(踊ろう)


また、原曲で大滝がハーマンズ・ハーミッツの某曲に挿入される珍妙なセリフ「Second verse same as the first(2番も1番といっしょだよ)」をもじった「2番は1番とちょっと違う」に対して、清志郎は間髪入れず「そりゃそうだ」と合いの手を追加。これには、パロディの意味合いを大事にしたい大滝から少々物言いがあったそうだが、細野が間に入りそのまま採用。はからずも、彼らの距離感(流儀の違い)を明示する面白い部分となっている。

作詞:忌野清志郎、作曲:大滝詠一、編曲と演奏:ティンパン。ボーカルは、終盤に細野晴臣も加わり3人で担当。ようするに完璧の布陣である。20世紀を締めくくる、とまで言うと大げさかも知れないが、バカうまのアンサンブルと絡み合う軽妙洒脱なボーカルを聴いていると、ジャパニーズロックの一つの節目が本曲によって刻まれた気がしてくる… とかく、気持ちE。

アルバム発表と同年に、ティンパンは幾度かのライブを開催している。小坂忠、久保田麻琴、吉田美奈子、大貫妙子らシティポップの第一人者が次々と登場するうちは、微かな埃をのせたレコードが物静かにまわる喫茶のようなノスタルジーも漂っていたが、最後に清志郎が赤いジャケットで登場すると空気が一変、全部もっていってしまった。そして、そこに大滝の姿は当然なかった。“来るわけがない” という一流のパフォーマンスで、清志郎と同じだけの存在感を強く放っていた。

あれから早18年。つわものどもが夢の跡。いや、夢で逢えたら素敵なことである。



歌詞引用:
ハンド・クラッピング・ルンバ 2000 / ティンパン


2018.05.08
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カタリベ
1982年生まれ
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