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レコード会社の仕事:例えばジャーニーの【邦題をつける】洋楽ディレクターの場合

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邦題を付ける… 洋楽ディレクターの特権にして責任ある重要な仕事


レコード会社洋楽制作の仕事は、大袈裟な表現では、海外文化、特に私の場合はアメリカ文化でしたが、それらを日本に紹介(輸入)する事です。もっとも輸入だけでしたら、輸入盤屋さんと同じですが、洋楽ディレクターとしての私の仕事はアーティストをデベロップし、そのリプレイス盤(国内盤)をより1枚でも多く売ることです。音は完成品で送られてきますので、こちらの仕事は日本向きにアレンジ(加工)して、如何にこのマーケットに送り出していくか、を考えるマーケティング担当者だいうことです。

そういうわけで、その加工作業におけるイの一番は、そのアルバムや曲のタイトルを日本語に置き換えることから始まります。邦題を付ける… という仕事はディレクターの特権ですが、子供の名前を付けるくらいに、その責任も重いものがありました。

邦題で最優先すべきは、分かりやすく、覚えやすく


洋楽の邦題と言えば、私自身、その昔こういう出来事がありました。ラジオで聴いたレイ・チャールズの「愛されずにはいられない」を気に入ったのです。アメリカで1962年のヒット曲ですから日本発売は同年か翌年です。つまり私は坊主頭の12~13歳の中学生。溜めた小遣いをもってレコード店に買いに行ったのですが、アーティスト名もロクに覚えておらず、タイトルも、実はラジオでは英タイトルの「I Can't Stop Loving You」で紹介されていたのです。

英語の習い始めですし、一度だけ聴いて、こんな長い構文がわかるわけもなく、“エサ箱” を探してもよく分かりません。かと言って、勇気を出して店員さんに訊こうにも、シャイな私は「アイ・キャンなんとか、なんですけど…」など言えるわけありません。それでこの時は購入をあきらめたことがあったのです。

それから20年近く経って洋楽制作の職に就きました。邦題を付ける時にはいつもこの出来事が原点にあります。「絶対にユーザーやラジオリスナーが一度聞いて覚えやすいタイトルにしよう」… と心に誓ってました。

他社のことですが、シングル曲の長い英タイトルをそのままカナにしただけという曲がありました。それもそれほど簡単な構文ではありません。そういう時、余計なお世話ですが説教したくなります。「お前何考えてんだ? ディレクターの仕事放棄してるんじゃないか」ってね。

そういうわけで、シングル曲の場合には、分かりやすく、覚えやすく… が一番優先すべきことで、その次に歌の内容や曲のイメージ、そしてマーケティング的な見地を加味して、あれこれ付けていました。恥を忍んで紹介します。

エネルギーを英語発音で表記、ジャーニー「ライブ・エナジー」


最初に担当したジャーニーのライブアルバム『ライブ・エナジー』(1980年)ですが英タイトルは『Captured』。ジャーニーはサンフランシスコ出身のアメリカンバンド。過酷なライブによってそのポジションをつくりあげています。単なる “ジャーニー・ライブ” でも事足りるのですが、それじゃあまりにも工夫がありません。

ライブバンドとしてのイメージを色濃くしたいし、ライブのエネルギーが凝縮されたもの… ということで、邦題と言いつつカナで、ライブ・“エナジー” と日本語の “エネルギー” を英語発音で表記しました。自慢ではありませんが、ジャパン・エナジーより遥か前のことです。

『ライブ・エナジー』には未発表曲も収録されており、シングルカットもしています。大してヒットしなかったので、ご存知ないかと思いますが、このシングル曲の英タイトルは「THE PARTY’S OVER」。

サンフランシスコもロサンゼルスと同じカリフォルニア州。当時は西海岸文化が大盛況。自分の中ではちょっと地味目だったジャーニーのイメージをウェストコーストバンドにしたくて、実はアルバムの帯もあえて幅広を採用し、青空のもと大観衆が集まった写真とキャッチコピーで、そういうイメージ付けをしようとしてました。よって、シングル曲の内容に青空は全く関係ありませんが、思い切って「ブルースカイ・パーティ」と名付けました。一応 “PARTY” はおさえています。あぁ… 恥ずかしい限りです。




シングル曲に求められたラジオフレンドリーなタイトル


また、メディアの事情もありました。この時代も引き続きラジオがヒットをつくっていました。ラジオリスナーがレコードユーザーでもあり、シングル曲にはラジオフレンドリーなタイトルが求められいたのも事実です。

以降のジャーニーは、ご存知のように『ESCAPE』『FRONTIERS』とワンワードのアルバムタイトルですし、さすがにこういう場合はカナのまま。

『ESCAPE』からのシングルカット曲、「WHO'S CRYING NOW」は、フーズが “Foods” に聴こえるかもしれません。こう言う場合は短く「クライング・ナウ」としています。

そして、セカンドの「DON’T STOP BELIEVIN’」は、アルバム発売時にはやや気楽に「愛に狂って」としていましたが、なにかとメディアで使いにくい日本語でしたし、歌詞もっとスケールが大きい内容です。

英語も分かりやすいし、リズム感もいいので、シングル発売時にそのままカナに戻しています。たとえば、「OPEN ARMS」もアルバム上は、“翼をひろげて” と大した意味もなく邦題にしていましたが、シングルカット時に「オープン・アームズ~翼をひろげて」と英タイトルをメインに日本語をサブにしています。

分かりやすい英語ですから、最初からそのままで十分でしたね。まさかシングルカットされるとは思わなくて、ちょっと油断して付けたタイトルだったかもです。

ビリー・ジョエルは、60年代王道の “漢字+カナ” タイトル


1983年ビリー・ジョエルの『イノセント・マン』では、曲調が60年代ポップスへのオマージュ。ビリーと私は同学年。同じように子供頃フォー・シーズンズやナンシー・シナトラに夢中になってます。ビリーへのシンパシーとその時代の先輩洋楽ディレクターへのリスペクトを込めて、付けた邦題もあります。

「TELL HER ABOUT IT」は 「あの娘にアタック」。「LEAVE A TENDER MOMENT ALONE」は「夜空のモーメント」、「THIS NIGHT」は「今宵はフォーエバー」とか、60年代王道の “漢字+カナ” タイトルですね。大ヒットした「UPTOWN GIRL」はさすがにこのままカナでいくしかなかったですね。

電波メディアで紹介される限り必要な、分かりやすさ、覚えやすさ


時代も進むとレコード会社だけが海外音楽情報を持ち込んでいたわけでなく、タワーなどの輸入盤も盛況になってくるし、各メディアにおいても自力で海外情報を取りはじめていました。つまり我々がサプライしなくても海外情報は直接的に日本に入って来るようになりました。そして、小林克也さんの人気番組『ベストヒットUSA』でもかっこ良く英タイトルで紹介されています。

メディアもユーザーもインターナショナルの度合いが上がってくると、英タイトルのままで語られる機会が増え、あまりにも英タイトルとかけはなれた邦題は陳腐なものになってきました。とは言え、電波メディアで紹介される限り、分かりやすさ、覚えやすさは絶対必要でした。

1984年の『Footloose』からは沢山のシングルをカットしていますが、このとき覚えやすいように、長い英タイトルを端折って短くカットしたものあります。

たとえば、ボニー・タイラーの「HOLDING OUT FOR A HERO」は、「ヒーロー」に、デニース・ウィリアムスの「LET'S HEAR IT FOR A BOY」は「レッツ・ヒア・ボーイ」に… とかね。アメリカでも大ヒットしてくると、さすがにオリジナルタイトルから離れるわけにはいかなくなってます。

時代に応じて、カナと英語表記のハイブリッド型も


時代の流れの中で新しいタイプの邦題を付けたこともあります。1988年バングルスの『EVERYTHING』です。ちなみにアルバムタイトルも英語表記のままです(これはまた後で)。バングルス自体もビートルズ・チルドレンですし60年代ポップスのDNAを持っています。よって『イノセント・マン』に似た手法でこう付けています。

シングルは3枚カットしましたが、「IN YOUR ROOM」は歌詞の意味から、「恋のてほどき IN YOUR ROOM」、「BE WITH YOU」はそのまんま「いつでも BE WITH YOU」。いずれもカナではなく英語表記を残したハイブリッド型でやってみました。

そして「ETERNAL FLAME」はさすがに音で聞くと、フレームが “frame(枠)”を連想させるのでカナは諦め、日本語で「胸いっぱいの愛」。バラードの佳曲でしたし、胸がときめく感じから、ほとんどレッド・ツェッペリンになってますが、こう名付けました。

J-POPの活性化で変わってきた邦題の付け方


後の再発時に後輩たちがこのタイトルをどう処理しているのか分かりませんが、発売当時、アルバム収録曲の各邦題には従来型の日本語表記もありました。また日英のハイブリッド型もあれば、大胆にもアルバム同様にアルファベット表記のままなども混在させていました。

というのも、この頃日本の国内制作J-POPも黎明期を過ぎ活性化してきました。アーティスト名もシングル曲も英語表記のなんちゃって洋楽的J-POPがスタンダードになってきたのです。国内制作側が洋楽のエッセンスいれて英語表記のまま攻めてくるのに、なんで本家の我々は誰でもわかる英語なのにカナにしなければいけないのだと、自分の中で悶々としていたのです。

規定に抵抗? 英語表記にこだわったタイトルとアーティスト名


当時会社には、洋楽の商品帯の表記は、どれだけ分かりやすい英語だとしてもアーティスト名やタイトルはカナにしなければならない…という規定があったのです。たとえば日本のバンドBOØWYのカナ表示、見たことないですよね?

それでも、アルバムタイトルに関しては、バングルス以前ですが、私の抵抗の結果、ブルース・スプリングスティーンの『BORN IN THE U.S.A.』(1984年)や(1985年)ミックジャガーの初ソロ『SHE’S THE BOSS』や2枚目ソロの『PRIMITIVE COOL』などは強引に英語表記のままとしています。

社内は当然として、メディアに対しても「カナ表記ではなく英語表記のままお願いします」と強く要望していました。この原稿上ではカナにしていますが、アーティスト名も英語表記にこだわっていました。

まだまだ書ききれない邦題エピソードがありますが、スペースの関係で今回はこれくらいにしておきます。原タイトルに縁も所縁もない邦題をつけたこともありますし、ひどい邦題つけて、ファンから叱られたこともあります…。

アルバムの収録曲となるとシングルカット候補ではないと思うとジャーニーの「オープン・アームズ」の例ではありませんが、結構お気楽に名付けたものもあります。このあたりのエピソードは、またの機会に紹介します。



2021.03.06
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