80年代初頭、渋谷のファイヤー通りは個性的な店ばかり
渋谷が大好きだった記憶は今も昔も無い。
けれどもこの店で買い物したいと思える店が一時期、渋谷ファイヤー通りに集まっていたため通っていた。渋谷消防署の前に文化屋雑貨店を筆頭に80年代当時、個性的な店ばかり集まっていた。
文化屋雑貨店の並びに “HELLO” と言うメンズ向け古着屋があった。当時スタイリストを始め、プロ・アマ問わずロック、パンク好きな人なら必ず買い物に来ていたトレンドセッターみたいな店だった。
オーナーの YAM さんは滅多に店にいない。売り上げが厳しいとバイトに出かけるらしく、もっぱら店番にはドラえもんって愛称のパティ・スミスにそっくりの女性がいた。
周りのバンドマンや当時の彼氏まで、皆彼女の大ファンだった。
憧れの人 “ビンメイ・フラワーエッセンス” のマリコさん
彼氏が彼女目当てで音楽語りを始めたら2~3時間はかかるため、大抵私は2階の “ビンメイ・フラワーエッセンス” にお邪魔する羽目になった。ここはグラムロック寄りのロンドン風オリジナル服でオーダー衣装を創る事も多々ある店でご主人がデザインし奥様のマリコさんが接客してくれた。
当時、学生の私にとってマリコさんは憧れの人だった。パティ・スミスと友人で彼女の自費出版の詩集を見せてくれ取り寄せ方を教えてくれたり、ライブテープを聴かせてくれた。そして、ワッフルアイロン(髪を挟んでウェーブをつける)で私を髪型だけケイト・ブッシュにしてくれた。
下の階で彼氏が語りまくってる間に私は2階で試着しまくり、清水の舞台から飛び降りるつもりで厳選の1着を買った。
あがた森魚のバンドで遠藤賢司の奥さんが着るフレンチメイドのワンピース!?
ある日いつもの様に “ビンメイ” に行くと見慣れないエナメルの白いエプロン付きワンピースが飾ってあった。心を奪われた私にマリコさんは “フレンチメイド” と教えてくれた。そんな言葉も初めて聞いたし、いわゆるお手伝いさんが黒のボディコンのエナメル? と訳分からない私にマリコさんは “フェティシズム” や “SM” について説明してくれた。
すっかりフレンチメイド服に魅せられたが、残念ながらオーダー品故売れないと言われ堪らず「どなたのですか?」と尋ねると
「あがた森魚さん」
「あ、あがた森魚って… 赤色エレジーの!?」
「そう。遠藤賢司さんの奥様とコーラスの人が着るの。ご本人もボウイみたいなハーレムパンツのスーツを着てバンドでデビューするの」
フレンチメイドから赤色エレジーでベルボトムと下駄で10代の私の脳内キャパは完全オーバー気味に… マリコさん曰くあがた森魚氏は「A児」と名乗り「稲垣足穂のA感覚から取ったみたいだから全部根っこは一緒じゃないかな」
この日は余りにも衝撃的で閉店時間過ぎてもマリコさんと話し込み、痺れを切らした彼氏が2階に迎えに来た。後日TVで私はフレンチメイドのワンピースを観る事になる。
あがた森魚からヴァージンVS、時代の空気は70年代から80年代へ
バンド名は「ヴァージンVS」
金ピカの衣装にキャッツアイかけて激しく踊るA児ことあがた森魚氏。
70年代フォークから80年初頭のバンド編成によるキャッチーなテクノポップへ… 僅か3年の活動で解散し、この後あがた森魚氏はワールドミュージックに変化する多彩ぶり。あがた森魚からヴァージンVS への変貌は、70年代から80年代への空気感の変化を一番象徴してると思う。
「根っこは一緒」の意味が分かったのは惜しくも “HELLO” も “ビンメイ・フラワーエッセンス” も無くなってからだった。彼の変貌は、在りし日の渋谷のファイヤー通りの変貌ぶりと見事にシンクロする。
いつだって最新鋭で懐かしい。
※2018年3月10日に掲載された記事をアップデート
2020.01.28