リ・リ・リリッスン・エイティーズ ~ 80年代を聴き返す ~ Vol.8 Billy Joel / Glass Houses 米国史上6番目のヒットメーカー、ビリー・ジョエル
ビリー・ジョエルは言うまでもなくめちゃくちゃ売れている人であります。RIAA(米国レコード協会)によると、米国史上6番目に多くレコードを売ったアーティストで、バンドを除外するとそれが3番目に繰り上がります。ちなみにそのソロアーティストの2番目にいるのがエルヴィス・プレスリー。さて1番は? …… ガース・ブルックス(Garth Brooks)。誰?それ!私も名前に聞き覚えはあるけど、曲はちゃんと聴いたことがない。カントリーミュージックの人です。いやー、如何に米国にカントリーファンが多くて、日本には少ないか、改めて気づかされますね。
それはともかく、アルバム『グラス・ハウス』も売れました。アメリカで「プラチナ」の上の「ダイアモンド」というランクの売上を上げた前々作、1977年の『ストレンジャー(The Stranger)』ほどではないにしろ。ちなみに、米国レコード協会では「ゴールド」が50万枚、「プラチナ」は100万枚、「ダイアモンド」はなんと1000万枚!です。日本だと、「ゴールド」が10万枚、「プラチナ」は25万枚。「ダイアモンド」はありません。で、『グラス・ハウス』は「米プラチナ」の7倍、つまり700万枚。これは米国内の売上ですから世界的には1000万枚超でしょう。
アルバム「グラス・ハウス」にもポップチューンが満載
そんなヒットアルバムだけに、ポップチューンが満載。10曲中5曲がシングルカットされていますが、私判断(えらそう…)では7曲は充分シングルレベルです。メロディは印象的かつ分かりやすい。アレンジも綿密でありながらそつなくキャッチー。8曲目(アナログではB面3曲目)の「愛の面影(C'Était Toi)」からの3曲はまあアルバム向けですが。でもラストの「ロング・ナイト(Through the Long Night)」はポール・マッカートニーにも引けをとらない名曲だと思うけど。
とにかく頭から7曲目までは、これでもかこれでもかと、もしビリー・ジョエルを全く知らない人が聴いたとしたらきっと彼のベストアルバムだと思ってしまうくらい、ヒットポテンシャルが高い作品がズラリと並んでいるのです。で、この人の場合、『ストレンジャー』や前作『ニューヨーク52番街(52nd Street)』とかでもそれをやってきているので、ポップクリエイティブの容量がすごいなぁ、とつくづく感心してしまうわけです。もちろん、プロデューサーのフィル・ラモーン(Phil Ramone)の力もあるんでしょうが。
レノン=マッカートニーとビリー・ジョエル
だけど、私はビリー・ジョエルを、何と言うか、一段 “下” に感じてきました。
音楽にも、映画や小説や美術などと同様、「アート」と「エンタテインメント(以下エンタメ)」という2つの要素があります。「芸術」と「娯楽」。この2つのバランスが微妙で、人間は基本的には楽ちんなほうへ流れがちですから、ビジネスのことを考えたら、エンタメ度重視のほうが、勝率は高いように思いますが、同時に人は芸術への憧れみたいなものも持っているので、アート度もまた重要なのです。とは言え、そのバランスを人為的に作ることなどできません。エンタメは熟慮とスキルと努力があれば強化できるかもしれませんが、アートはやはり人智の外側にあるものです。神の領域。限られた人だけがそれを “受信” して実体化できる。本来はそういう限られた人のことを「アーティスト」と呼ぶのでしょうが、そんな特別なアーティストの内、さらにエンタメ力にも恵まれた人が、爆発的に、時代を動かすような音楽を創り出すのだと思います。ポップミュージックで言えば、レノン=マッカートニー、ジミ・ヘンドリックス、ジミー・ペイジ、フレディ・マーキュリー……。
そう、私の中では彼らがAクラスで、いくらエンタメ力に富んでいても、アート力に乏しいアーティストは、そこには入らないのでした。そしてビリー・ジョエルは、ものすごくがんばっているけれどやはりレノン=マッカートニーを超えることはできない、BクラスのトップなんだけどAクラスではない、と感じていたのです。
「アート力」の評価なんてどうやってできるんだ、という意見もあるでしょう。私にも明確な判断基準があるわけではありませんが、みなさんもなんとなく分かるのじゃないでしょうか。「芸術は爆発だ!」と岡本太郎は言いましたが、何か得体の知れないもの、未知のもの、狂気…… そういったものがあるかどうかを、たぶん人は、意識(人智)しなくても、無意識(人智外)の部分で感じるんじゃないかなと思っています。
ヒットメーカーの苦悩? アートとエンタテインメントの狭間で
ただ、「下」とか「Bクラス」とか言いましたが、それは決してバカにしたり軽んじたりしているのではありません。音楽はじめ創作物の世界ってそういうものだ、と言うか。アート力は人智の範囲ではありませんから、持っている人は “特殊” だし、昔から「天才とキチガイは紙一重」と言われたように、人間的・社会的にはダメな人もいるし、あまり友達になりたくない(笑)。普通の人間と比較する対象じゃないのです。
ビリー・ジョエルのアルバムはどれもほぼ満点と言えるほどの完成度でした。だけどあんなに売れたのに、1000万枚が700万枚に落ちたことを気に病むような性格だったそうです。彼は自分がアート力には恵まれていないことに強い劣等感を感じていたんじゃないかな。ならばエンタメ力でそれをカヴァーしてやる、とがんばっていたのかもしれません。でもそれは相当に疲れるはずです。
1993年、『River of Dreams』というアルバムをリリースして後、突然、(ほぼ)何も作らなくなってしまうのは、その闘いに精魂尽きてしまったのではないでしょうか。売上げが低迷してフェイドアウトするというパターンは多いですが、このアルバムも堂々全米1位の大成功作なのですよ。当然、レコード会社はじめ周りからは、引き続いての制作を懇願されたでしょう。でもやめてしまった。
そしてその後は、アルコール依存症や鬱病で入院したり、交通事故をやったりと、どうにもふんだりけったりの人生。
2004年頃からようやく持ち直して、ライブ活動は活発化します。でも依然音源制作はやらず、2007年にシングル「All My Life」をリリースしたのみ。タイトルもなんだか意味深な感じがします。ただこれもしっかり全米1位を獲得するんですけどね。
「音楽アーティスト」として大きな成功を得た分だけ、さぞかし精神もすり減らしたであろうビリー・ジョエル。「アート力」を手に入れられるならば悪魔とでも契約したかもしれませんが、だとしても幸せだった保証はありません。せめて今は、平穏に音楽を楽しめる日々を過ごしていてほしいものです。
2020.09.06