英米日でNo.1! ポール・マッカートニー「タッグ・オブ・ウォー」
1982年5月10日に日本でリリースされたポール・マッカートニーの傑作『タッグ・オブ・ウォー』はオリコンで1位を獲得した。純粋な洋楽としては80年代で初めて。英米でもトップに立ったこの大ヒットアルバムは、この年唯一のオリコンNo.1洋楽アルバムにもなった。
その1年前の1981年4月に始まった『ベストヒットUSA』。地上波キー局でMVを流す番組は未だ他に無く、『タッグ・オブ・ウォー』と『ベストヒットUSA』は蜜月とも言える関係にあった。
カタリベ喜久野さんの音楽業界人ならではのコラム
『洋楽じゃ視聴率はとれない?定説をくつがえした「ベストヒットUSA」の登場!』を読んで今更ながら気が付いたのだが、『ベストヒットUSA』はヒットさえしていれば毎週のようにMVが流れる番組であった。大ヒットアルバム『タッグ・オブ・ウォー』からは当然ながらヒットシングルも生まれ、ポールが動くMVを毎回のように観ることが出来た。僕が『ベストヒットUSA』を定期的に観るようになったのはこの頃からだったかもしれない。
「ベストヒットUSA」のユニークなチャート、ラジオ&レコーズ
先行シングルはご存知、スティーヴィー・ワンダーとの共演シングル「エボニー・アンド・アイヴォリー」である。この曲は『ベストヒットUSA』でのチャートでも4週連続1位に輝いた。
ここでこの番組で使用されていたチャートについて触れなくてはなるまい。『ベストヒットUSA』で使われていたのはRadio&Recordsのチャートだった。Billboard、Cash Box(1996年廃刊)、Record World(1982年4月廃刊)と並んで “アメリカの4大チャート” と称され、2009年まで存在していた。
Radio&Recordsはエアプレイ回数を基にしたチャートで、レコードの売上げもプラスしたBillboardとは性格を異にしていた。1982年にRadio&Recordsでは14曲、Billboardでは16曲のNo.1ソングが生まれているのだが、両チャートで1位を取ったのは8曲に過ぎない。Billboardで10週連続1位に輝いたオリビア・ニュートンージョンの「フィジカル」もRadio&Recordsでは1位を取っていず、一方Billboardでは2位止まりだったTOTOの「ロザーナ」はRadio&Recordsで「エボニー・アンド・アイヴォリー」と同じく4週連続1位に輝いている。
要は『ベストヒットUSA』のチャートは、ちょっとユニークだったのだ。Billboardで7週連続1位だった「エボニー・アンド・アイヴォリー」も『ベストヒットUSA』では4週だったが、ともあれ両チャートで1位だったことだけで十分だろう。
「エボニー・アンド・アイヴォリー」は『ベストヒットUSA』で5月15日に19位でランクイン。この時スティーヴィー・ワンダーとのMVが初めて流れた。そして6月19日から4週連続で1位。Radio&Recordsでは5月14日付で1位になったので、約1か月のディレイがあったことが分かる。
それにしても2か月以上毎週MVが流れたわけで、「エボニー・アンド・アイヴォリー」、ひいては『タッグ・オブ・ウォー』の日本での大ヒットに『ベストヒットUSA』が寄与したことは間違いないだろう。
ビルボードでは10位止まり、「ベストヒットUSA」では2位!
しかし『タッグ・オブ・ウォー』と『ベストヒットUSA』の蜜月はこれだけに留まらなかった。
セカンドシングルはアルバム2曲めの「テイク・イット・アウェイ」。リンゴ・スターとスティーヴ・ガッドの夢のツインドラムをフィーチャーした、ホーンとコーラスが強く印象に残る快活なポップロックで、「エボニー・アンド・アイヴォリー」にも引けを取らないヒット性を有していた。「また大ヒットか!?」当時高2の僕は快哉の声を上げた。
が、この曲は意外なことにBillboardでは10位止まりで終わってしまう。5週にわたってその順位を保ったのではあるが、Cash Box誌でも最高6位、「エボニー・アンド・アイヴォリー」が1位を獲得したイギリスでも最高15位。「こんなものなのか」と落胆も激しかった。
ところが『ベストヒットUSA』は違った。9月4日、7位にエントリーし、リンゴ・スターや映画『エレファントマン』主演のジョン・ハートの出演するMVが流れたかと思うと、その後も7位→5位→4位と順位を上げ、10月2日放送回で遂に2位まで上昇してしまったのである。
きっと売れるであろう名曲だと確信していたことが認められたようで嬉しかったのなんの! いかにエアプレイ回数が多かったかということであろう。なお「テイク・イット・アウェイ」は年間チャートでBillboard 70位、Cash Box 45位という堂々たる成績を残している。『ベストヒットUSA』、ひいてはRadio&Recordsの最高2位も決してブラフではなかったのだ。
小林克也のVJがフラットだった理由とは
その後もポール・マッカートニーは80年代前半に全米トップ10ヒットを連発し、『ベストヒットUSA』でMVが流れ続けていた。
それが止まってしまったのが35年前の1986年にリリースされたアルバム『プレス・トゥ・プレイ』であった。Billboard 21位止まりだったファーストシングル「プレス」だけはMVが流されたような気がする。
この頃には他のキー局でもMVを流す番組が生まれていた。とある番組で『プレス・トゥ・プレイ』から別のシングルのMVが流された時のVJの言葉を僕は決して忘れない。
「ヴィデオはよく出来ています。曲はどうでもいいです」
確かポールの曲「バンド・オン・ザ・ラン」が好きだった小林克也。『ベストヒットUSA』での小林のVJはフラットだった。
なぜだったのか。その答えはリマインダーの『ベストヒットUSA』40周年記念:
小林克也インタビューの第2回にあった。小林は、映画作りがいかに体を張っているかを語り、音楽も同様、生涯がかかっている、だから公平に見てあげなくては… と語っている。クリエイターへのリスペクトこそが小林のフラットさを生んだのだ。これ、とても大切なことだと思うのだけれど、どうだろう。音楽を語ることは、語っている自分が偉いわけではなく、その音楽の正しい魅力を伝えることこそが肝要なのだと僕も考えている。
『ベストヒットUSA』は、クリエイターにとってもリスナーにとっても、まさに桃源郷であった。しかしそこに入るにはヒットしなくてはならないという、なかなか厳しい桃源郷でもあったのである。
2021.04.29