1988年、JBにとって追い風が吹いていた。
ヒップホップの隆盛で数多くのJBサウンドがブレイクビーツとなり、ロンドンのDJたちが火をつけたレアグルーヴの中心核として多くの若手からリスペクトを受ける中、フル・フォースのプロデュースにより、アルバム「アイム・リアル」を御年55にしてリリースしたジェイムズ・ブラウン。
若手ミュージシャンに権限を委ね、結果として大傑作となるアルバムを誕生させた。
当時の僕は大学生。バブル景気なんて意識は全くなかったが、あらゆるジャンルの音楽を貪るように聴いていた中で出会った最大のアイドル、それがジェイムズ・ブラウンだった。
「最も好きなミュージシャンを一人あげよ」なんて聞かれたら、今でも間違いなくこの人の名前が一番に出てくる。それくらい彼の音楽にハマっていた時期だった。
ネット時代の今となっては、彼の遺した膨大な音楽と瞬時に触れあうことも、数多のライヴ映像をたんまり見ることもできるが、さすがに30年前だとそうはいかない。
都内のあちこちにある外資系レコードショップや中古盤屋はもちろん、時折開かれる骨董市のような場所にも出向き、彼のレコードを探しまくった。彼に関する書物にも目を通し、その言動やレコーディングクレジットを丹念に調べ上げた。映像なんてほとんど無かった。
そんな中リリースされたJBの新譜、それが「アイム・リアル」だった。
ところがどっこい、それから半年も経たないうちにとんでもないニュースが飛び込んでくる。
JBがショットガンを持ってオフィスに乱入!
二つの州にまたがりカーチェイスを繰り広げ、挙句警察に逮捕されたというのだ。復活直後のさらなる転落。でも僕はさして驚くこともなく、妙に納得した記憶を思い出す。当時それなりのJB情報を集めていただけに、「あー、この人だったらそれくらい普通にやるだろうな」って(笑)。
時代が後押ししてようが、世の中から見て低迷してようが、JB本人は意に介さない。「いつでもどこでも俺は俺、俺がJBだ!」って。
バッハ、ベートーベン、 ブラームス、そしてブラウン、自分で「4大B」って言ってるくらい。ブレなさ加減、まずハンパないです。
グッゴォッ!
2016.05.03
YouTube / DJ Semelo Shombey
YouTube / シネマトゥデイ
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