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ただの色物ではない、プリンスは稀代の天才メロディメーカー
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photo:bbc.com  

朝起きたらLA在住の友人(高校時代の同級生女子で1993年に米国に移住)からメールが届いていた。その内容はこうだ。


「アメリカは、紫の集中豪雨に見舞われてますが、いやホントにびっくり」

「何がびっくりって、マイケル並とまでは言わないけれど、それに近いぐらいの大々的な騒ぎっぷりに、プリンスってこんなにすごいスターだったのか、と感心しているところです。ボウイの時とはえらい違い」


でも、正直に言うと、プリンスの訃報を聞いても僕は全くビックリしなかったし、ショックも受けなかった。なぜなら、僕は彼に昔からジミ・ヘンドリックス(70年に27歳で死去)やジム・モリソン(71年に27歳で死去)なんかと同じような匂い(何と言うか「変態的天才特有の儚さ」みたいなもの)を感じていたから。

それを強く認識したのは 96年1月、日本武道館に彼のライブを観に行った時のことだ。その頃の彼は、プリンスの名を捨ててシンボルマークを名乗っていた(メディアには The Artist Formerly Known as Prince と呼ばれていた)。

結局、その夜が僕がプリンスを観た最初で最後となったのだが、彼は他のどんなスターよりも、人を寄せ付けないような常人離れしたオーラをまき散らしていたのを鮮明に覚えている。

ところで、彼は奇抜かつ多芸多才で知られているが、そのことが、かえって彼の「純粋に楽曲を作る能力」に目を向けさせる機会を奪っていたような気がする。

だから、彼がいかに優れたソングライターだったかは、他人に書いた曲を聴くとよく判る。彼自身の強烈なキャラクターに邪魔されないからだ。実際、彼はチャカ・カーンの「フィール・フォー・ユー」やバングルスの「マニック・マンディ」など、多くのヒット曲を生み出している。

中でも、シネイド・オコナーがカバーして世界的大ヒットとなった「ナッシング・コンペアーズ・トゥー・ユー(愛の哀しみ)」は、言葉では言い表せないが、とにかく物凄い曲だと思う(元はプリンス直系のファンクバンド The Family に提供した楽曲)。

彼女は90年の MTV Video Music Awards で、女性初の「Best Video」賞を獲得した。また、このヒットの後で、プリンス本人もライブの際にセルフカバーしている。


Song Data
■ Nothing Compares 2 U / Sinéad O'Connor
■ 作詞・作曲:Prince
■ プロデュース:Sinéad O'Connor / Nellee Hooper
■ 発売:1990年1月8日(1990年4月21日 1位)


2016.04.29
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  YouTube / Prince


  YouTube / Sinéad O'Connor
 

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