共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol.75
Endless Summer Nights / Richard Marxビルボードが選んだ定番の夏ソング「エンドレス・サマー・ナイツ」
ちょっと前の話でいささか恐縮なのだが、米ビルボード誌が発表した歴代 “夏ソング” トップ30というのがあった(Top 30 Summer Songs / 2014年発表)。
ビーチ・ボーイズ「サーフィン・サファリ」や「サーファー・ガール」、ビリー・スチュワート「サマータイム」、エディ・コクラン「サマータイム・ブルース」、シールズ&クロフツ「サマー・ブリーズ」等々、上位には錚々たるアーティストたちによる、錚々たる定番の新旧 “夏ソング” がずらりと並んでいたのだが、そのなかで堂々24位に選ばれていたのが、80年代73番目に誕生したナンバー2ソング、リチャード・マークス「エンドレス・サマー・ナイツ」(1988年2位)だった。
リチャード・マークス、アメリカ本国での絶大なる人気
彼の名が目に飛び込んできた時、“リチャマとは、意外な…” と思ったことは確か。80年代後半から90年代中盤の時期において、本国アメリカでのリチャード・マークス人気は、それはそれは絶大だったわけで、おそらく日本に伝わってきた以上の(特に女性からの)支持を得ていたということだ。
同時期にヒットを連発していた同じような立ち位置の男性シンガー、例えばブライアン・アダムスやマイケル・ボルトン、はたまたジョン・ボン・ジョヴィらと遜色ない、いやもしかしたら彼らをも凌ぐ人気を得ていたのかもしれない。
あ、ちなみにリチャマとは、日本女性の一部熱狂的ファンによる、リチャード・マークスの愛称のこと。“Richa+Ma” と “リ様” のダブル・ミーニングね。ある意味 “白馬の王子様” 的雰囲気を醸し出すような、この秀逸な愛称が、リチャード・マークス人気の神髄を突いているような気がする。でも本当に彼のことをリチャマって呼ぶ女性、周囲にいました? ボン・ジョヴィやブライアン・アダムスと比して、なんとなく隠れファンになりがちというのも、リチャード・マークスがリチャード・マークスたる所以なのかな。
全盛期のマイケルやホイットニーに匹敵、なんと7曲連続トップ5入り!
「エンドレス・サマー・ナイツ」は、ファーストアルバム『リチャード・マークス』から3曲目のシングルカット作品。この前後、すなわち1987~89年のおよそ3年間は、リチャマ熱が特に凄まじかった時期だ。この時期のシングル・ヒットを順番に挙げると、
■ ドント・ミーン・ナッシング(1987年3位)
■ シュドヴ・ノウン・ベター(1987年3位)
■ エンドレス・サマー・ナイト(1988年2位)
■ ホールド・オン・トゥ・ザ・ナイツ(1988年1位)
■ サティスファイド(1989年1位)
■ ライト・ヒア・ウェイティング(1989年1位)
■ アンジェリア(1989年4位)
なんと7曲連続トップ5入り、うち3曲は連続全米ナンバーワンを記録!これはもう全盛期のマイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストンにも匹敵するかのような凄まじさだ。いかにリチャード・マークスが、特に本国アメリカにおいて爆発的人気を得ていたかがわかるだろう。そしてこの手の白人男性シンガー(ロッカー)には、ここ日本においても確実に一定数の女性支持者が存在していたのだ。
本稿を書くにあたって、ひとつ思い出したことがある。1994年春、筆者は某レコード会社の入社8年目のサラリーマンだったのだが、わが部署にも新卒女子社員が配属されてきた。お約束のような「どんなアーティストが好きなの?」という問いに、「リチャマみたいなイケメンですぅ~」という回答。最後のトップ10「ナウ・アンド・フォエヴァー」(1994年7位)がヒット中だったとはいえ、嬉しそうに答える女子社員の瞳の中のハートを認識するにつれ、「ああ、リチャード・マークス人気って、そういうことなんだな」と、妙に納得したものだった。“リチャマ” と呼ぶ女性、周囲に存在していたんだな。
※ KARL南澤の連載「共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味」 ジャンル、洋邦、老若男女を問わないヒットソングにある ‟共有感”。米ビルボードのチャートがほぼそのまま日本における洋楽ヒットだった80年代。ナンバーワンヒットにも負けず劣らずの魅力と共有感が満載の時代に生まれたビルボードHOT100 2位ソングを紐解く大好評連載。
2020.12.11