ブロンドの長身美女に「金蹴り」されたい、と切に願う『映画秘宝』系のオタク青年にとってたまらない映画が出た。その名を『アトミック・ブロンド』という。
タイトルに漂うデボラ・ハリーっぽさからも分かるように、この「壁」崩壊前夜のベルリンを舞台にした女スパイ映画は、80年代サウンドが随所に散りばめられた一種の『ベイビー・ドライバー』になっている。
劇場用パンフレットにライターの宇野維正さんが丁寧な全曲解説を書いてくれているので、このコラムでは「ジェンダーと音楽」というテーマに絞って、なおかつラストに流れるクイーン&デヴィッド・ボウイによる「アンダー・プレッシャー」(81)に照準を合わせて書いてみようかと思う。
冒頭に「金蹴り」と書いたように、シャーリーズ・セロン(ロレーン・ブロートン役)は半端じゃなく身体能力が高くて、彼女のアクションシーンが本作最大の見所であると言ってよいだろう(※実際に金蹴りします)。
ロレーンは感情を殆ど表に出さないクールな女で、おまけにバイセクシャルであり、ソフィア・ブテラ演じるフランスの女スパイと激しい一夜を過ごしたりする。しかもこのシーンで流れるのがティル・チューズデイの「愛のVoices(Voices Carry)」(85)という曲で、これはレコード会社が手を入れる前はレズビアニズムに関する内容であったというから上手い選曲だ。「男より強いレズビアン」というわけで、最初に「ブロンドの長身美女」なんて便宜上書いたが、とにかくロレーンは「超女性」というか「超ジェンダー」的な存在で、男とか女とかいう狭隘なカテゴリーを無効にしてしまうようなところがある。
で、僕としてはジェンダーという「男と女を隔てる壁」というのは、本作では東と西を分ける「ベルリンの壁」に集約されると思っている。以前書いたコラムで、マドンナの「エクスプレス・ユアセルフ」(89)のMVで描かれた男と女、資本主義と共産主義といった対立の克服を、同年に起きたベルリンの壁崩壊に即して捉えてみたことがあるが、今回もそのパターンだ。
(参考)誰にも屈しないマドンナとN.W.A. ふたつの「エクスプレス・ユアセルフ」デボラ・ハリーもマドンナも、根底にあるのはマリリン・モンローのグラマーなイメージで、結局は女性性を武器にした「女」にこだわる。ゴダール風に言えば「女は女である」。しかしシャーリーズ・セロン演じるロレーンは、同じブロンド美人の系譜でありながらそうしたハリウッドグラマーなイメージを脱却して、『マッドマックス 怒りのデスロード』のフュリオサを引き継ぐ形で、女であって「女」でない存在だ。だから女であるが男のようでもあり、そのためフランスの美人スパイだって誘惑してベッドインにまで持ち込むのだ(※見習いたい)。
その流れを踏まえると、ラストで流れる「アンダー・プレッシャー」にはハッとさせられる。バイセクシュアルだったボウイとホモセクシュアルであったフレディ・マーキュリーがデュエットするこの曲は、セクシュアルマイノリティの人たちが日々感じる「性的重圧(プレッシャー)の下に」と聞き直せる。
ラストのベルリンの壁崩壊に合わせて流れる「アンダー・プレッシャー」は、生物学的な男と女という凝り固まった「ジェンダー」の高い壁の崩壊を祈願したものでもあったのではなかろうか。
2017.11.17