今となっては夢も夢の組み合わせであるクイーンとデヴィッド・ボウイの1981年の共作共演曲「アンダー・プレッシャー」は、両者の本国イギリスでは当然ながら1位に輝いた。しかしアメリカでは最高29位。日本でも大きなヒットにはならなかった。クイーンこそ前年’80年にアメリカで2曲1位獲得とブレイクしたものの、ボウイは「レッツ・ダンス」の2年前で未だカルトヒーローだった。当時高1だった僕にも、何だか一筋縄ではいかない曲だなという印象くらいしか残らなかった。クイーンもボウイもほぼ知らなかった自分が言うのもおこがましいのだが。
しかし、この世紀の共演は決して公衆の面前で歌われることなく終わってしまう。まずはこの曲のPVだが、両アーティスト共に姿を全く見せていない。そして、クイーンのライヴでは、フレディ・マーキュリーがメインでロジャー・テイラーがドラムを叩きながらサブを取る形で歌ったものの、ボウイがフレディの生前この曲を歌うことは無かった。クイーンの名前が先にクレジットされ、クイーンのアルバム(’82年『ホット・スペース』)に収められた曲だから当然であろう。
ボウイがこの曲を初めて歌ったのが、1992年4月20日にイギリス、ウェンブリー・スタジアムで開かれたフレディ・マーキュリー追悼コンサートであった。前年逝去したフレディのパートは元ユーリズミックスのアニー・レノックスが歌った。その後1996年からボウイは自身のツアーでもベーシストと共にこの曲を歌う様になった。
ボウイが2004年にツアーを止めると、入れ替わる様に翌2005年にクイーンがポール・ロジャースと組み19年振りにツアーを始め、この曲をロジャー・テイラーとブライアン・メイのデュエットで披露。2012年からはクイーンはアダム・ランバートと組み、アダムとロジャーのヴォーカルでこの曲を歌っている。
2016年9月23日、僕はクイーン+アダム・ランバートの2年振りの日本公演最終日、日本武道館の客席にいた。「アンダー・プレッシャー」の印象的なベースラインのイントロが始まると、ステージ後方のQ形の大型ディスプレイに晩年のボウイのポートレートが映し出された。イントロだけで消えてしまったが、当然ながらボウイ存命の2年前には無かった演出だった。せり出したステージでのアダムとドラムを叩きながら歌うロジャーのパフォーマンスは2年前より鬼気迫るものがあり、曲の終盤、僕はこの曲で初めて涙してしまった。
「アンダー・プレッシャー」、ライヴでの共演こそ実現しなかったものの、そのストーリーは決して終わってはいない。
2016.10.15
YouTube / Queen Official
YouTube / derci luiza Gobbi
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