ソニーは、アメリカの豊かさの象徴であった50年代のティーンエイジャーを思わせる「ジルバップ」という愛称のラジカセを1977年に発売した。
そして、これに続き、レコードメーカー各社は自社の倉庫に眠っていた50年代後半から60年代初頭にかけてのアメリカのヒットナンバー(ポール・アンカやニール・セダカ、パット・ブーンの楽曲など)を収録したオムニバスアルバムを発売。
特にロッカバラードと呼ばれたストリングスを効かせたセンチメンタルな楽曲を中心にどのメーカーも大ヒットを記録した。これが、80年代の50'sブームの基盤となっているのだろう。
このジルバップに、選りすぐったノリのよいナンバーをダビングしたカセットを入れ、歩行者天国となっていた表参道(キディランドの前あたり)で踊る若者を目にするようになったのも70年代後半である。
彼らは髪をリーゼントやポニーテールでキメ、男女問わず、同じく原宿のクリームソーダで売られていた古着を着ていた。
彼らが場所を移し、代々木公園の前あたりの通称、原宿ホコ天で踊るようになったのは80年代になってから。世間は彼らを「ローラー族」と呼ぶようになっていた。
この頃になると、彼らは古着のみでなく、一世を風靡した50'sブランド、クリームソーダ、ペパーミント、ハイヒールなどのオリジナル商品を身に着けていた。
たとえば、派手な原色のボーリングシャツやオープンシャツなどを着て、ジーンズの尻のポケットには、トレードマークのドクロが輝くクリームソーダの長財布とヒョウ柄のコーム。
そして、フラッシュキャデラック&コンチネンタルキッズの「アット・ザ・ホップ」やダイアモンズの「リトル・ダーリン」など、ティーンエイジャーの初期衝動と共に、アメリカの古き良き時代の匂いをふんだんにちりばめたポップな楽曲で、躍動感あふれるアクロバティックなダンスを見せる。
つまり、彼らは、50年代というキラキラと輝く流線形の過去に、まだ見ぬ未来を見出し、胸をときめかせていた。
この80年代初頭の50'sブームでローラーのみでなく、多くのティーンエイジャーにオールディーズとして受け入れられたのは先述したロッカバラードではなく、それ以前の、厳密にいえば50年代後半のダイヤモンドの原石のような粗削りでポップ、そしてドリーミーなロックンロールだった。
58年、エルヴィスが徴兵通知を受け、当時の大スター、バディ・ホリー、ビッグ・ボッパー、リッチー・バレンスが飛行機事故で夭逝した。そんな最中に生まれた純真なロックンロール。佐野元春が「悲しきRADIO」の中で「ジーン・ヴィンセント、チャック・ベリー、リトル・リチャード、バディ・ホリー」と叫んだホンモノのロックンロール。
50年代後半に生まれた名曲の数々は、甘ったるいだけのポップミュージックとは一線を画していた。
当時のローラーたちが愛していた映画『アメリカングラフィティ』のサントラに収録されている楽曲も、作品の舞台となった62年以前のものである(ビーチボーイズの「オール・サマー・ロング」のみ63年の発売)。
80年代のローラーたちは、カセットに詰め込んだそんなロックンロールの本質を肌で感じ、未来を見出し、バブルへと向かう原宿で青春を謳歌したのである。
2017.05.29
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