「手を伸ばせ、信仰に触れるんだ」 という一節で始まるデペッシュ・モードの「パーソナル・ジーザス」は、それに続く「君だけの神様(your own personal Jesus)」というリリックだけ目にすると、それなりに信仰深い曲に思える。しかし作詞・作曲者のマーティン・ゴアによれば、この曲はプリシラ・プレスリーが亡夫エルヴィスとの関係を綴った『私のエルヴィス』(新潮文庫)が着想源で、曰く「これは誰かにとってのイエス、つまり希望を与え、面倒をみてやる何者かになるということに関する曲だ」とのこと。 つまりプリシラにとっての絶対的な「神」が「エルヴィス」だったことにヒントを得た、現代資本主義社会における移り行く「神」の所在を問うた曲だということになる。とか書くと何やら大上段だが、もっと卑近な例でいえば、今の時代この「イエス」が「娼婦」であっても全然おかしくないということで、そうした性的な解釈は鬼才アントン・コービンの手掛けたMVに顕著にみられる。 コービンといえばデペッシュ・モードのモノクロのヨーロピアンテイスト溢れる一連のMVを監督した人物だ。80年代MTV・表の顔がラッセル・マルケイ(※デュラン・デュランのMV監督)だとしたら、コービンは裏番長的な存在だといえる。最近だとジョイ・ディヴィジョンの伝記映画『コントロール』の監督だといった方が通りがいいのだろうか? とにかくデカダンな匂いがプンプンするヴィデオで、「ゴシック西部劇」といった風情の全身黒のカウボーイたちが、これまた全身黒の娼婦たちと売春宿で猥らな行為に耽る(トップ画像のメドューサ風の女はその一人)。 そこに時折映される十字架。おそらくコービンは、「何だかよく分からない感情、そしてひとりぼっち。あなたは受話器を取りあげる、そしてわたしの信者になる」といったリリックから、コールガール(日本でいうデリヘル)を連想したのだろう。とはいえ、ここで一番注目するべきはそれらヒトやモノを取り囲む「個室」ではないか。 ちょっと「個室と宗教の文化史」に迂回しよう。わざわざ教会に信者を集めて神を崇めさせた拝金主義のカトリックに対して、印刷術で各個人にバイブルを行き渡らせ、「各個人のイエス(パーソナル・ジーザス)」の到来を寿いだプロテスタント文化にとって、その神を崇める「個室」の意味はとても大きい。ここで興味深い符合だが、アントン・コービンの父親もまたデンマークのプロテスタントの牧師で、コービン少年はその抑圧のもとに育ったと自ら語っていたりする。 しかし個室というのは同時に外から何も見えないということから「悪癖」が行われる場ともなる。「パーソナル・ジーザス」のMVに見られるように、娼婦と猥らな行為に耽るのも、神に祈るのも、一つの個室で行われるということ。近代小説の開祖と呼ばれるサミュエル・リチャードソンの『パミラ』(1740年)が個室文化隆盛の時代に書かれ、若旦那が小間使いの女を鍵穴から覗く行為を軸とするものだったことは偶然ではない。 デペッシュ・モードの「パーソナル・ジーザス」はそんな「部屋」のもつ聖 / 俗の両義性を思い出させる。「君だけのジーザス」と歌いながらも、内容は極めてアンチ・クライストなものなのだ。その点何といっても、ジョニー・キャッシュやマリリン・マンソンといった「アメリカン・ゴス」な人達がこの曲をカバーしているのだから、これ以上の説明は野暮というものだろう。
2018.01.11
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