ジョン・ベルーシ。人気絶頂期の1982年3月5日、ロサンゼルス、ハリウッドの高級ホテル「シャトー・マーモント・ホテル・アンド・バンガローズ」の客室内で死去。薬物の過剰摂取、享年33。偉大なコメディアンであり俳優、そしてミュージシャンであるベルーシがもし生きていたら、素晴らしい映画を何本も僕たちに届けてくれたに違いない。
映画『ブルース・ブラザーズ』が日本で公開されたのは1981年の3月。当時、僕は15歳、一人で映画館に足を運んだ。完璧だった、痛快だった、これぞエンターテインメントだと思った。そしてアメリカはスゲーと思った、アメリカには敵わないと思った。『ブルース・ブラザーズ』は未だにNo.1ミュージカル映画として僕の中に君臨している。コメディであるにも関わらず、観終わる度に僕は鼻水を垂らして泣く。何故か? それは、黒人音楽へのリスペクトが全編に渡りひしひしと伝わってくるからだ。痛いくらいに。
ご存知の通り、ブルース・ブラザーズというユニットは、1975年にスタートしたアメリカNBCのバラエティ『サタデー・ナイト・ライブ』を母体として結成されたバンドだ。番組の第一期レギュラーであるジョン・ベルーシとダン・エイクロイドをフロントマンとするこのユニットは、映画の前から実在のバンドとして活動を開始している。
ブルースやR&Bに嵌っていたダン・エイクロイドがジョン・ベルーシを誘い結成されたユニットは、そもそもの存在が黒人音楽へのオマージュだ。400頁にもおよぶ映画の脚本を書いたのもダン・エイクロイド。死して伝説となったジョン・ベルーシに注目が集まりがちだけど、ダン・エイクロイドなくしてブルース・ブラザーズは存在しなかったわけだから、彼の才能にも敬意を表さないといけない。
『ブルース・ブラザーズ』の公開は、一気に黒人音楽が注目を集めることになったという意味で、ブルース&ソウル史にとっても大事件であった。映画に登場する偉大な黒人ミュージシャンの面々にとっても、黒ずくめの二人は思わず降臨した白人のブルースヒーローだったに違いない。
だからこそ、半ば神格化されていたアレサ・フランクリンやマット・マーフィーやキャブ・キャロウェイが本当に楽しそうに演技しているし、ジェイムズ・ブラウンは自らの伝記の中で、この映画に出演したことが転機となったと語っているんだ。B.B.キングが出演できなかったことを根に持ったらしいという逸話が、この映画が如何に黒人ミュージシャン達に愛されたかを物語っている。
映画のラストシーンで演奏される曲は「監獄ロック」。言わずと知れたエルヴィス・プレスリーの曲であり、黒人ミュージシャンの曲ではない。刑務所から出所するシーンから始まり、刑務所に戻るシーンで終わる映画だから、ラストの曲はお決まりのこの曲で誰もが納得するところだけど、僕はちょっと違った意味でこのラストシーンを捉えている。
「監獄ロック(Jailhouse Rock)」は、エルヴィス・プレスリーが1957年に発表したシングルで、彼の主演映画として3作目となる『監獄ロック』(1957年11月8日全米公開)の主題歌。この時は既にエルヴィス・プレスリーは大スターになっていたわけだけど、彼が創設したと言っても過言ではないロックンロールは、初めは世間から大バッシングを浴びた。
黒人の音楽であるリズム&ブルースと白人の音楽であるカントリー&ウェスタンを掛け合わせたような音楽スタイルは、深刻な人種問題を抱えていた当時のアメリカではありえないことであり、画期的なことだったんだ。そう、黒人音楽をリスペクトし、白人として黒人音楽を独自に表現したのがエルヴィス・プレスリーであり、この点がブルース・ブラザーズと共通していると僕は思う。だからこそ映画のラストシーンに相応しいと。
僕と洋楽との出会いはエルヴィス・プレスリーだった。親の影響だと思うけど、幼稚園の頃には「ハウンド・ドッグ」と「監獄ロック」をデタラメな英語で歌っていた。だから、エルヴィス・プレスリーは僕にとって特別な存在で、映画のラストシーンで「監獄ロック」が演奏された時、鳥肌が立ったことを覚えている。
ガキの頃から聴いていたと言え、1965年生まれの僕にとって、エルヴィスの曲はクラシックロックで僕たちの世代の曲ではない。でも、ブルース・ブラザーズが僕たちの世代、1980年代に「監獄ロック」を連れてきてくれた。それがとても嬉しくて感動するんだ。
ジョン・ベルーシが歌う「監獄ロック」は実に素晴らしい。しかもエンディングゆえに、ジェームズ・ブラウン、キャブ・キャロウェイ、レイ・チャールズ、アレサ・フランクリンも歌ってくれる。やっぱりこの映画は凄い。
2017.03.05
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